第279話 見守り

 文香が他の出演者と一緒に、ステージへ出ていった。

 グラウンドを埋めた観客から、割れんばかりの拍手や声援が上がる。

 文香の履帯りたいの音は、そんな大声援に掻き消された。


 文香は、素の、そのままの姿でステージに上がっている。

 深緑の無骨な装甲、その力を象徴する120㎜滑腔砲、力強い転輪や履帯りたい、それが文香本来の姿だ。

 唯一、砲塔の右上に花が飾ってあって、それはベル役の雨宮さんが髪飾りとして付ける予定だったものを借りて着けていた。

 文香がヒロインだっていう、唯一の記号だ。



 最初は、ヒロインのベルが友人と森へピクニックに出掛けて、やがて道に迷い、森の奥深くで古城を発見して助けを求める、そこまでのシーンだった。

 文香と、一緒にステージに上がった数人のクラスメートが、楽しそうに話しながら森のセットの中を歩いていく。

 文香が演じるベルが快活で人気者だっていうことを印象づけるキャラクター紹介のような場面で、文香は台詞を完璧にこなした。


 演技も自然にできている。


 だけど、ステージ裏からお客さんの反応を見てると、半分くらいがきょとんとしていた。

 「美女と野獣」の演劇って聞いて見に来て、役者が「戦車」と一緒に歩いているのだ。

 文香に対しては特になんの説明もなく舞台が始まっている。

 どういうことなんだろうって、みんな戸惑っていた。


 そんな観客がやがてざわざわし始める。


 俺やこの学校の生徒、学校周辺に住む人なら日常に戦車がいるという見慣れた光景も、初めての人には異様に映るのかもしれない。


 舞台は、そんな人達を置き去りにして進んでいく。


 森の中を楽しそうに散策する一行。

 途中で草原の上に腰掛けてお茶を飲んだり、お菓子を食べて歓談したりする。


 やがて一行は道に迷う。

 文香が砲塔を振って、砲身をキョロキョロ左右に動かした。

 本物の文香ならここで人工衛星とリンクしたり、ドローンを打ち上げて周囲の様子を把握するんだけど、もちろん、劇中ではそんなことはしない。


 文香は砲塔の回転や砲身の上下の微妙な動きで、迷っていることを表現した。

 砲塔や砲身だけではなく、砲塔から突き出た長いアンテナの先まで操ってるかのように繊細な演技をする。

 体中のあらゆる可動部を使って、人間らしい動きを再現してるみたいだった。

 文香の演技は、車体の隅々まで神経が行き届いている。


 それはまるで、指先や足先まで神経が行き届いたバレエダンサーみたいに見えた。


 彷徨さまよう一行は、どんどん森深くに入っていって、やがて怪しげな古城を見付ける。

 日が落ちかけた森で、一縷いちるの望みを託して城へ向かう一行。


 その頃になると、いつのまにか観客のざわざわがなくなっていた。

 みんな、文香を劇中のキャラクターの一人として受け入れ始めている。

 文香の演技は、観客にその外観を忘れさせていた。

 みんな、文香をベルというヒロインとして見ている。

 文香はもう、ほとんどの観客を引き込みつつあった。


 なんか、安心して思わずホロッと涙が零れそうになる。

 我が子がお遊戯会で一生懸命演技するのを応援するお父さんの気持ちって、こんな感じなのかな。

 たぶん、観客の中で見ている月島さんも、文香の活躍に涙してるんじゃないかと思う。


 俺の横にいる今日子や委員長の吉岡さんも、お互いに顔を合わせて頷いていた。

 みんな、どうなることかと心配していたのだ。

 そして、文香の演技が想像以上に上手いことに驚いて感心している。


 文香をヒロインに推薦してよかった。

 公演を諦めなくてよかった。

 文香頑張れって、ステージ裏から念を送る。


 っていうか、俺は文香の心配をしてる場合じゃなかった。


 いよいよ、俺の出番が近づいてくる。


 一晩を城で過ごした一行が、翌朝、古城の城主にお礼を言いに行く場面。

 そこで初めてその城の城主が「野獣」だと知る、重要なシーンだ。


 もう、緊張で手足が震えるどころか、血の気が引いて目眩めまいがしてきた。

 異様に喉が渇いて、思わずペットボトルの水をガブ飲みする。

 そうかと思えば、さっきトイレに行ったばかりなのに、また、トイレに行きたくなった。


「冬麻、頑張ってきなさい」

 今日子が俺の背中をバンッと叩く。


「小仙波君、頑張ってね」

 委員長は握手で送ってくれた。


「うん、行ってくる」

 もう覚悟を決めるしかない。

 満足な演技ができてもできなくても、せめて文香の足だけは引っ張らないようにしよう。


 俺はいよいよ、俺にとって未知のステージに立つ。

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