第280話 初舞台

「お前は、私の姿が恐くないのか?」

 俺が震える声で訊く。

「いいえ、少しも」

 文香が溌剌はつらつとした声で答える。


「本当に、私が恐くないのか?」


「はい、恐くありません」


「ほう……」


 俺は、ステージ上の城のセットの中で、文香と向かい合っている。


 初めての舞台で、俺はどうにか間違えずに台詞を言うことができた。

 台詞が言えたってだけで、まだ、演技をするとかそっちまでは頭が回らないけど、とにかく最低限の仕事はした。

 恐る恐る観客席の方をチラ見すると、みんな、熱心にこっちを見ている。


 戦車の文香を前にして、吹けば飛ぶような俺が「お前は私の姿が恐くないのか?」って訊いて、文香が「いいえ、少しも」って答えたら、それは当たり前のことに見えるはずだけど、それも、文香の演技がカバーして、かろうじて喜劇にはなってなかった。

 ステージを囲むお客さん達は、固唾かたずを呑んで見守ってくれている。


「一晩泊めて頂いたお礼に、私に何かさせてください」

 恐れるどころかそんな提案をしてくるベルに、面食らう野獣の俺。


「いいからさっさと帰れ」

 まだ心を開いていない野獣は、ベルを無下に追い返そうとする。


「それでは私の気がすみません。なんでもいいのです。私に言いつけてくださいまし」

 食い下がる文香のベル。


「それでは、庭の手入れを頼む。昔は美しい薔薇ばら園だった庭も、今では見る影もないのだ」

 野獣は、荒れ果てた庭を整備するのは無理難題と知りながらベルに言い付ける。

 そうすれば、ベルが尻尾を巻いて逃げると考えていた。


「はい、分かりました! お任せください」

 ところが、ベルは喜々としてそれを受け入れる。

 軽い足取りで庭へ出て行った。


 そこで、ベルが踊りながら庭の薔薇の手入れをする場面になって、俺の出番が終わる。

 俺はひとまずそこでステージから降りた。



 舞台裏に戻って待っていた今日子の顔を見たら、張り詰めていた緊張の糸が切れて、そのままそこに倒れそうになる。

 勇ましい野獣メイクをしてる癖にフラフラだ。

 今日子と委員長の吉岡さんが、そんな俺の両脇を支えてくれた。


「冬麻! よくやったよ!」

 今日子が喜びのあまり俺のほっぺたに自分のほっぺたをスリスリする。

 もう少しでキスしそうな勢いだった。


「小仙波君、いい演技だったよ!」

 委員長も素直に褒めてくれる。


「やっぱりあんた、やればできるじゃない」

 今日子がぽんぽんと気安く俺の肩を叩いた。


「こんなにできるなら、普段から積極的にクラスの行事に参加してくれればいいのに」

 委員長が言う。


 褒められすぎて恐い気がするけど、半分、っていうか、70パーセントくらいは文香のおかげだ。

 ステージの上で文香が堂々としていて、俺を上手いことリードしてくれた。

 そのおかげで俺も必要以上に緊張しないで済んだ。


 ゲームの中では俺の後ろに隠れてた文香と、立場がすっかり逆転した気がする。

 もう今の文香は、恥ずかしがり屋のララフィールじゃない。


 俺は舞台裏でカラカラになった喉を水で湿らせて、次の場面の台本を確認した。

 その間も文香の出番がずっと続く。

 元々、主役の俺の代わりに出番を多くした雨宮さん用の台本だから、出突っ張りだ。



「ほら、それじゃあ次のシーン、行ってきなさい」

「がんばって」

 少し休んだあと、俺は今日子と委員長に送り出されて、再びステージに立った。

 その後もなんとか出番をこなす。



 薔薇園の手入れのために、城に通うようになるベル。

 野獣はベルの裏表ない態度に触れて、次第に心を通わせるようになる。

 一方で、ベルのほうも野獣の恐ろしい風貌の下に隠された優しさに、徐々にかれていく。



 微妙な演技が求められるシーンが続いて、その頃には俺も少しは演技っぽいモノができるようになっていた(たぶん)。

 なんとかその辺の心の機微きびみたいなものが表現できたらって、俺なりに考えた。


 文香のほうも、ますます演技に磨きがかかっている。

 多分文香って、試合本番で成長するタイプだ。


 もう、俺の前にいるのは、ベルっていう快活な少女で、それ以外には見えなかった。

 戦車のゴツい車体がまったく気にならなくなっている。

 文香に見入ってるお客さんも、俺と同じように感じてると思う。

 っていうか、舞台が始まった頃に比べて、いつのまにか観客が増えている。

 グラウンドが隅の方までお客さんで埋まっていた。

 花巻先輩や南牟礼さんが、そんなお客さんを上手くさばいてくれている。



 そしていよいよ、クライマックスシーンがきた。


 俺がハンターに撃たれて、文香が愛の告白をする、重要な場面だ。

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