第275話 荒々しい

「ふうむ、演劇の場所を講堂からグラウンドへ移したい……とな」

 居間のちゃぶ台についている花巻先輩が、湯飲みのお茶を飲み干したあとで言った。


「はい、お願いします」

 先輩の前で正座してる俺が頭を下げる。


 クラスの話し合いで場所を変えて公演するって決めて、教室を出た俺は「部室」へ走った。

 そこで文化祭の指揮を執っている先輩に、こうして頼み込んでいる。


 先輩と俺との遣り取りを、他の文化祭実行委員と月島さん、篠岡さんが周りで見守っていた。


「文香君を、ヒロインに据える、とな」

 先輩がさらに訊いた。


「はい。ヒロインを演じるはずだったクラスメートが倒れてしまって、代役が必要になったんです。それには文香が一番ふさわしかったんです。文香は講堂のステージに立てないから、グラウンドのステージを使うしかないんです」

 俺は早口で説明する。


「ふむ」

 先輩がゆっくりと頷いた。


「お願いします! 俺、クラスのみんなの代表で来たんですけど、みんな、これまで一生懸命準備してきたから、このまま公演中止にはしたくないんです! どうしてもやりたいんです! どうか、お願いします!」

 俺はそう言って先輩にがぶり寄った。

 先輩に必死なことをアピールしたかった。


「うーむ」

 先輩は、怪訝けげんそうな顔をしている。

 眉を寄せて、俺の顔をまじまじと見ていた。


 あれ?


 俺、なんか変なこと言っただろうか?

 なんか俺の顔に付いてるだろうか?


「っていうかあんた、顔、顔」

 今日子が面倒臭そうに言う。


 あっ!


 そうだった。


 そういえば、「野獣」のメイクをしてもらって、顔がそのままだった。

 俺は、毛むくじゃらの野獣の顔のまま、先輩にお願いしてたのだ。

 野獣のまま先輩に迫っていた。


 はたから見れば、野獣がかしこまってお願いを立ててるっていう、異様な光景だっただろう。


「分かった。許可しよう」

 先輩が言った。


「公演中止で舞台に穴をあけるより、場所を変更してでもやり遂げたほうが、祭も盛り上がるというもの。主役の離脱という苦境にも諦めなかった小仙波のクラスの、その心意気や良し! 許可しようではないか!」

 やっぱり先輩、分かってくれた。

 俺が想像してた通りの答えをくれた。


 先輩は、これだから花巻先輩なのだ。


「それにしても小仙波よ、うーむ」

 先輩はそう言って俺の顔を覗き込む。

 舐め回すように俺の顔を見た。

 そして、少し頬を赤らめる。


「先輩、どうしたんですか?」

 俺は訊いた。


「いや、小仙波がその、迫力ある顔で迫ってくるものだから、つい、な」

 先輩がモジモジしている。


「普段の控え目な小仙波もいいが、そんなふうに荒々し小仙波もまた、魅力的というか……野獣のような小仙波がまた、なっ…………」


 先輩、野獣メイクの俺にとろんとしていた。

 無垢な少女のような顔になっている。


 っていうか花巻先輩、このメイクがいいってことは、先輩って、「ケモナー」だったのか…………

 なんか、思いがけず使いどころがない知識を得た気がする。



「よし、小仙波の晴れ舞台のためだし、俺達も一肌脱ごうか」

 六角屋が言う。


「そうですね、先輩のためにもう一仕事しましょう!」

 南牟礼さんがそう言って立ち上がる。


「小仙波君、手伝えることがあったら言ってね。手が必要なら、生徒会の方でも動いてもらうし」

 伊織さんが優しい笑顔をくれた。


「土木工事が必要なら私に言いなさい。施設部隊を呼んでくるから」

 月島さんが言う。

 月島さん、もう、正体隠すの諦めたらしい。


「よし、グラウンドに展示してあるF-3をちょっと端に動かそうか。そうすれば、お客さんがもっと入れるもんね」

 赤ら顔の篠岡さんが言った。

 篠岡さん、動かしてくれるのはいいですけど、戦闘機の飲酒操縦だけはやめてください。


 とにかく、みんなが俺のクラスのために動いてくれた。

 こんなに力強い仲間を持って、俺は幸せ者だ。

 だけど、みんなが頑張って人がたくさん集まったら、その前で演技をする俺が恥ずかしいから、少しはセーブしてほしい。



「ところで小仙波」

 一旦落ち着いた声に戻って花巻先輩が俺を見る。


「はい?」


「その代役の話、当然、文香君にはしてあるんだろうな?」

 先輩が訊いた。



「あっ!」



 完全に忘れてた。

 一番肝心な所に話を通していない。


 文香はまだ、そのことを知らずにグラウンドで子供達の相手をしている。

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