第254話 喉歌

 花巻先輩がステージのスポットライトの中に立った。


 叶さんのように前もって用意していたわけではないので、先輩に特別な衣装はなくて、制服のセーラー服のままステージに立っている。

 その先輩は、いつものように自信たっぷりな感じじゃなくて、どこか、頼りなさげな雰囲気があった。

 万能な花巻先輩に於いて、唯一と言っていい弱点だった歌を、この大入り満員の講堂で披露しようっていうんだから、それも当然だろう。


 スポットライトの中で、マイクを持って少し前屈みになってる先輩のことが、愛おしく思えてしまった。

 思わず「頑張れ!」って声をかけたくなる。


 なんか、初めてのピアノの発表会に挑む娘を見守る父親のような気持ちだった。



「それでは、エントリーナンバー2番、花巻そよぎさんの歌唱審査、歌って頂きましょう」

 司会の先輩が言って、ステージからはける。

 ピアノの伴奏者もいないし、カラオケも用意されてなくて、先輩はアカペラで勝負するみたいだ。


 観客席からの拍手はしばらく止まなかった。

 叶さんの超絶歌唱を聴いた後で、先輩に対しての期待がいやが上にも高まっている。

 その点、後攻の先輩がちょっと不利な気がした。



 先輩は拍手が収まるのをしばらく待った。

 そして、ほぼ収まったのを確認して、始める。


「花巻よそぎ、歌わせて頂きます」

 先輩はそう言って一度咳払いした。

 そして姿勢を正す。


 俺や、周りの文化祭実行委員のメンバーは、部室で聞いた先輩の歌声を思い出して身構えた。

 実写版「ジャ○アン」と言われた先輩の歌声。

 それに備えた。


 やがて先輩の口から「歌」が発せられる。

 うなるような、喉が詰まったような、音。

 歌とも、声ともつかないような音。


 だけどあれ?

 なんか違った。


 歌にならない声なのに、なんだか耳に心地いい。

 この空気の振動が耳から入って脳の中をくすぐるっていうか、魂を揺さぶられるっていうか。


 部室で聞いたときと違って、ステージ上の先輩の口から発せられる声は、どこか、ぞくぞくした。

 相変わらず歌詞は聴き取れなかったけれど、それでも連続的に発せられてる声がメロディアスに、講堂中に広がっていく。


 観客席の人達も、スポットライトの中の花巻先輩を見詰めたまま、静かに聞き入っている。

 先輩の口から発せられる声に合わせて体を揺らす人もいた。

 中には、目を伏せて瞑想状態になってる人もいる。


 迫力ある叶さんの歌とは真反対だけど、どこか引き込まれた。



「ご清聴ありがとうございました」

 歌い終わって先輩が頭を下げる。


 観客席もこの歌声にどう反応していいのか分からないみたいだった。

 それでざわざわしている。


 そこで突然、審査員席の初老の男性審査員が立ち上がった。


「まさか! こんな所で本格的なホーミーを聞くことができるとは、思ってもみなかった……」

 その審査員が、目を見開いて言う。


 ホーミー?


 ホーミーってあの、モンゴルとかその周辺で伝承されてる、あの歌唱法のことか。

 喉歌のどうたとも言われて、喉を詰めたような独特な歌声は、前にテレビとかで聞いたことがあったし、音楽の授業で世界の音楽を紹介したときにも聞いたことがあった。


「確かに、この、雑音とは違う、耳に心地良い響き。オペラが西洋的な芸術なら、このホーミーもまた、東洋的な芸術だ」

 他の審査員の一人が言う。


 すると、客席からパラパラと拍手が上がった。

 言語化されて、やっと納得したって感じ。

 やがて拍手が広がっていって、講堂中の大拍手になった。

 その拍手もまた、しばらく鳴り止まない。



 花巻先輩はもう一度頭を下げて、そして、スポットライトの中から舞台袖に戻って来る。


「お疲れ様です!」

 戻って来た先輩を文化祭実行委員みんなで囲んだ。


「先輩、すごかったです!」

「不思議な声で癒やされました」

「いつまでも耳に残る、最高の歌でした」

「生でホーミー聞いたの初めてです」

 みんな、口々に言う。


「先輩、いつの間にホーミー習ったんですか?」

 俺は訊いた。


 先輩も性格が悪い。

 こんな隠し球があったなら、あらかじめ言っておいてくれればいいのに。

 ああでも、こんなふうにいつも俺達に驚きをくれるのが花巻先輩か。



「いや、私はホーミーなど習ったことはないが」

 先輩がきょとんとした顔で言った。


「習わなくても、独学で習得できたってことですか?」

 六角屋が訊く。


「いや」

 先輩が首を振った。


「自然に、そういう歌い方ができちゃったんですか?」

 今日子が訊く。


「いや、私はただ、普通に気持ちよく『恋愛サー○ュレーション』を歌っただけなのだが」


 えっ。


「ただ、いつも通り歌っただけなのだが」

 先輩が言って、そこにいる全員が目を伏せた。


 嗚呼ああ


 普通に歌っただけの「恋愛サー○ュレーション」がホーミーに聞こえてしまう花巻先輩、恐るべし。


「ま、まあ、良かったですね。なんにしろ、みんな感心してるし」

 南牟礼さんが顔を引きつらせながら言った。



 とにかく、これで三つの審査、すべてが終わった。

 あとは審査結果の発表を待つばかりだ。

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