第232話 きゅん

「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん」

 委員長の吉岡さんが、俺の注文したドリンクに対して魔法の呪文をとなえた。

 フリフリのメイド服で、頭にホワイトブリムを乗せてる委員長。

 委員長は呪文を唱えながら伏し目がちで顔を真っ赤にしている。

 絶対領域が眩しい足を内股にして、モジモジしていた。


 その声は、風がまったくないなぎの湖面くらい平板だ。

 一本調子でまるで抑揚よくようがなかった。


「それが飲み物がおいしくなる魔法ですか? 全然、おいしくなったように見えないんですけど」

 俺は言った。


 この教室で他のテーブルについてるメイドさんは、思いっきり可愛く萌え萌えしている。

 飲み物に砂糖をドバドバッと入れたみたいな甘い声が四方からサラウンドで聞こえた。


「吉岡さん、もっと可愛く言ってください。それじゃあ、おいしくなりませんよ」

 俺は続けた。


「は、はいぃ」

 顔を真っ赤にしたまま委員長が答える。


「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん」

 少し置いて委員長が言った。


 さっきよりは言い方が若干柔らかくなった気はするけど、まだ、さざ波くらいの抑揚しかない。

 メイドさんの魔法って言うにはほど遠かった。


「まだ、照れがあります。委員長は可愛いんだし、その衣装もすごく似合ってるんだから、照れずに全力でやってください」

 俺は言った。

 そしたら、なぜか同じテーブルについてる南牟礼さんがため息を吐く。

 ジト目で、なんか言いたそうに俺を見た。


「か、か、か、可愛いとか……」

 伏し目がちだった委員長が、完全に下を向いてしまう。

 そんな照れた仕草が余計に可愛い。


「もう、意地悪しないで」

 委員長が消え入りそうな声で言った。


 なんか、その言葉を聞いて、俺の心の中でゾクゾクするものがある。

 真面目で強気で、普段は担任教師にも食ってかかる委員長。

 その委員長がこんなにもふにゃふにゃになっている。


 俺の中で新しい扉が開いてしまった。


「いえ、これは意地悪とかそういう問題ではありません。この文化祭でお客さん達に楽しんでもらうためにも、ここはメイドカフェとして一定のクオリティーが必要です。俺は文化祭実行委員として、クオリティーチェックをしているのです。だから、真面目にやってもらわなければ困ります」

 もっともらしいことを言ってみる。

 でも、基本、委員長に悪戯してみたくなっただけだ。


「そうだね。真面目にやらないとね」

 顔を真っ赤にしたまま委員長が言った。

 理屈っぽいことを言ったら、その言葉を鵜呑うのみにしてくれたらしい。

 本当に、委員長は真面目なのだ。


「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん」

 委員長の台詞がさらに柔らかくなった。


「そうです。もっともっと、思いっきりメイドさんを演じて!」


「おいしくなあれ、萌え萌えきゅん」

 滅茶苦茶可愛い声を出す委員長。


「可愛さを前面に出して!」


「おいしくなあれ、萌え萌えきゅん」

 委員長の声が弾ける。


「声だけじゃなく、仕草を加えて!」


「おいしくなあれ、萌え萌えきゅん」

 委員長は顔の下に両手をグーにして添えた。


「そうですそうです! さらに、腕で胸を挟む感じで!」


「おいしくなあれ、萌え萌えきゅん」

 委員長が両腕で胸を挟んで、谷間が強調される。


「最高です! もう、萌え萌えのメイドさんです!」

 俺が言ったら、隣で南牟礼さんがゴミを見るような目で俺を見ていた。


 ちょっとやり過ぎたかもしれない。


 でも、委員長の顔が今まで見たことないくらい生き生きしていた。

 今まで心の中にあったたがが外れたみたいに。


 いつものツンツンしてる委員長もそれはそれでいいけど、こんな顔もいいと思う。

 これからも、時々こんな笑顔を見せてほしいと思った。




「いってらっしゃいませ、ご主人様! お嬢様!」

 すっかりメイドが板についた委員長に見送られて教室を出る。


 教室を出た途端、南牟礼さんが「ふふふ」と笑った。


「大体事情は分かりました。先輩、例の演劇であの委員長先輩に絞られてたんですね」

 南牟礼さんが言う。


 南牟礼さん、お見通しだった。


「だけど、大丈夫ですか?」


「なにが?」


「先輩のクラスの演劇って、明日が本番ですよね」


「ああ、うん」


「本番の前にあんなふうに委員長さんにちょっかい出しちゃって、先輩明日仕返しされますよ」


「あっ」


 南牟礼さんの言うとおりだ。


 明日の仕返しが怖い。

 余計なこと、しなきゃよかった……


「それに、また、誤解されちゃいますよ」

 南牟礼さんが意味ありげに言う。


「誤解って、なにが?」


「分かりませんか? もう、分からないならいいです」

 南牟礼さんがぷうっと頬を膨らませる。


 まったく、変な南牟礼さんだ。



「あっ、先輩、もうすぐ時間ですよ」


「時間ってなんの?」


「伊織先輩のバンドのステージが始まります」


 ああ、そうだ。


「急ぎましょう」

 俺は南牟礼さんに手を引かれて講堂へ急いだ。


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