第214話 嵐の夜

「冬麻君、蝶の羽ばたきで、台風の進路を変えよう!」

 文香がそう言ったかと思うと、俺が見てるゲーム画面から文香のアバターであるララフィールが消えた。

 文香がゲームからログアウトしたのだ。


「そうだよ。台風の進路を変えちゃえばいいんだよ!」

 文香の声は弾んでいた。

 さっきまでの、文化祭の中止を危ぶんで落ち込んでた文香とは正反対だ。

 油圧でサスペンションを動かして車体を揺らしていて、ぴょんぴょん跳ねそうな勢い。


「台風の進路を変えるって、文香、どういうこと?」

 俺は訊いた。

 さっき俺がバタフライエフェクトの話をしたあとにこうなったから、それとなんか関係あるんだろうか?


「どうやって進路を変えるの?」

 俺は重ねて訊く。


 まあ、常識的に考えて変えられるはずはないんだけど。


「うん、ちょっとね」

 文香はそう言って種を明かさなかった。

 っていうか、俺の話なんか全然聞いてなくて、上の空って感じだ。


「冬麻君、私、集中するから、寝るか一人でゲームしてて」

 はしゃいでたと思ったら、そう言ったっきり、今度は黙ってしまう。


「ねえ、文香?」

「…………」

 ついには俺が話し掛けても返事もしなくなった。


 俺はいつも女子の気持ちが分からない鈍感な奴って言われるけど、今の文香の気持ちも分からない。

 そういう意味で、文香はどんどん人間の女子に似てきてる気がする。



 俺の足下の方では、ファンが回るモーター音が聞こえ始めた。

 たぶんそれは、文香のAIを冷やす冷却装置のファンの音だ。

 大雨が文香の装甲を叩く音にも負けないでその音が聞こえるってことは、冷却ファンが全開で回ってるらしい。

 文香のAIに膨大な負荷がかかっている。

 文香は今、その頭脳をフル回転させているのだ。


 でも、一体、何をしてるんだろう?

 文香がその頭脳を使って何を考えてるのか?


 どれだけ頭で考えたって、台風の進路を変えることなんて、できるはずはないのに。


 文香が返事をしないから、仕方なく俺は一人でゲームすることにした。

 文香はさっき寝るかゲームでもしてて、って言ってたけど、心配で寝られそうにない。


 最近忙しくて積みゲーになってたゲームをやった。

 だけど、こんな状態でゲームに集中できるわけもなかった。

 ゲームをしながらテキストを読み飛ばして何度も戻ったり、普段ならしないようなミスを連発して、結局、放り投げる。


 すると、なんの前触れもなく、エンジンが掛かった。

 俺の後ろで文香のV8エンジンが轟音を立てて車体が振動する。


 文香のバッテリーが切れて、発電のためにエンジンを動かしたのだ。

 ハイブリッド戦車である文香は大容量のバッテリーを積んでるけど、ファンを全開で回すくらいその頭脳を使ってるんだから、相当な電気を食うらしい。

 バッテリーが切れるのも当たり前だった。


「文香?」

 俺は呼びかける。


 だけど文香からの返事はない。


 仕方なく俺は、文香の中でふて寝した。

 エンジン音がうるさくても、もう、それには慣れている。

 却ってエンジンの振動が心地良くて、眠りを誘われるくらい。




「ねえ、冬麻君」

 どれだけ時間が経っただろうか。

 うとうとしたところで、文香に呼ばれた。


「ん? なに?」

 俺は寝ぼけながら返事をする。


「冬麻君、雨の中悪いんだけど、燃料補給してくれる?」

 文香が言った。


「あ、うん、いいよ」

 俺は答える。

 文香はずっとエンジンを回してたし、燃料切れも当然だろう。


 大雨の中、俺はレインコートを羽織って文香の外に出た。

 中庭に大量に常備してある軽油のドラム缶からホースを引いて、文香の車体正面にある給油口に繋いだ。

 それで文香の燃料タンクを一杯に満たす。


 そのあいだも文香はずっとエンジンをかけていた。

 幸い、この雨がラジエーターを叩き続けるおかげで、エンジンの冷却は足りている。

 オーバーヒートの心配はない。


 給油を終えて文香の車内に戻ると、

「ありがとう」

 文香はその一言だけ残して、また長考に戻った。



 その後も文香の食欲は旺盛おうせいで、夜のあいだ、俺は何度も何度も給油を頼まれた。

 言われるがままに、俺は給油を続けた。


 文化祭準備で徹夜するのには慣れてる俺も、大雨の中、燃料のドラム缶を運んだり、ホースを取り回したり、文香の車体に登ってハッチを開けたりする作業は殊の外疲れた。

 風はますます強くなっていて、文香の車体に上ったとき、気を付けてないと体が飛ばされそうになる。

 雨に打たれながら、俺はそれに耐えた。


 そうして何回給油しただろうか。


 長い夜が明ける頃にはふらふらになって、俺はいつのまにか文香の中で深い眠りについていた。


 夢も見ないでぐっすり寝てしまった。




「冬麻君、起きて」

 朝になって、文香に起こされる。


「終わったよ」

 文香が言う。


「終わったって?」

 俺は夢うつつのまま訊き返した。


「もう大丈夫。台風の心配はしなくていいよ。文化祭、開けるから」

 文香が言う。


「えっ?」


 そんなことあるんだろうか?


 俺は、恐る恐る車長席のハッチを開けた。

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