第211話 奇跡

 俺は大雨の中、レインコートを着て傘をさしてグラウンドに出た。

 だけどすぐに傘なんか必要なかったことを理解する。

 風が強くて、横殴りの雨の中では傘なんかさしても全然意味なかったのだ。


 仕方なく俺は傘を畳んで走った。

 人影が見えたグラウンドのステージに急ぐ。



 駆け寄ってみると、ステージの上にいたのはやっぱり女子生徒だった。

 土砂降りの中で濡れそぼった女子が、両手を上げて空を仰いでいる。

 その長い髪はずぶ濡れで、制服は肌にぴったり張りついていた。

 雨音に紛れてほとんど聞こえないけど、彼女はぶつぶつと何かつぶやいている。


 その女子に俺は見覚えがあった。


 超常現象研究会の稗田ひえださんだ。


 長い黒髪の前髪をぱっつんにしてて、その前髪から覗く凍り付きそうな涼やかな一重ひとえの瞳が、彼女のものだった。

 雨の中でも、稗田さんの制服からはお寺に行った時嗅いだような、お香の匂いがする。


「稗田さん! 何してるんですか!」

 俺は雨音に負けないよう、大声で訊いた。


 すると、天を仰いでぶつぶつと呟いてた稗田さんが、チラッとこっちを見る。

 涼やかな瞳をさらに冷たくして、「邪魔しないで」って、目で言っていた。


「こんな雨の中で、何をしてるんですか!」

 俺はもう一度訊く。


「儀式をしています」

 稗田さんが短く答えた。


「儀式?」

 俺は鸚鵡おうむ返しする。


「ええ、この厚い雨雲を払い、台風を押し戻して、太陽を呼び出すのです」

 稗田さんは面倒臭そうに言った。


 ○○の子か!


 って、俺は思いっきり心の中で突っ込む。


「ほら、あなたにも見えるでしょう? 私はこうして雲の中に巣くっている龍と交信を試みています。あの龍にお帰り願うのです」

 稗田さんはそう言って空を指した。


「いえ、全然見えませんが」

 空には分厚い雲があるだけで、龍どころかそのうろこの一枚だって見えない。


「フッ……」

 見えないと言った俺を、稗田さんは鼻で笑った。


「古式ゆかしい作法に従って儀式をしています。邪魔しないでください」

 そう言うと稗田さんは、また空を向いた。


「もう…………、ってか、これ、なんなんですか!」

 俺は思わず大声を出してしまう。


 俺達がいる場所。

 グラウンドに建てたステージの上に、白いペンキで幾何学模様が描いてある。

 幾何学模様っていうかこれ、魔法陣だ。


「ああ、もう! こんなの描いちゃって……」


「古式ゆかしい作法と言ったでしょう。これは空の龍と交信するために必須なのです。故に、描きました」

 稗田さんには悪びれた様子がない。


 この悪戯書き消すのが、また一仕事だ。


 いや、前の時みたいに、この魔法陣でまた変な「モノ」を呼び出しそうでこわいんだけど…………


「とにかく屋根があるところに行きましょう。このまま濡れてると、風邪ひきますよ」

 稗田さんは細いし、実際、小刻みに震えていた。


「いえ、大丈夫です。もう少しでこの雲は消え、空が見えるでしょう」

 稗田さん、がんとして動こうとしない。


「それじゃあ、せめてこれ着てください」

 俺はそう言ってレインコートを脱いだ。

 脱いだレインコートを稗田さんの肩に掛ける。

 こっちもびしょ濡れになるけど、痩せてる稗田さんよりは俺の方が寒さに耐えられると思う。


「着てください」

 俺が言うと稗田さんはこっちを見て「えっ?」って顔をした。

 終始クールな稗田さんさんが、一瞬だけ感情を表に出した気がする。

 きょとんとした顔のまま、稗田さんはレインコートに袖を通した。


「あ…………ありがとう」

 稗田さんは消えそうな声で言う。



 レインコート姿の稗田さんは、そのままもう一度空を仰ぐと、ぶつぶつと呪文のような言葉を呟き始めた。

 仕方なく俺は、すぐ横で雨に濡れながらその「儀式」を見守ることにする。


 相変わらず雨風強くて、一向に止みそうにない。


 それにしても、クールで達観たっかんしてるような雰囲気の稗田さんが、文化祭を開催したい一心で、こうやって「儀式」をしてくれてると思うと、なんだか文句を言えない気がした。

 稗田さんも、なんとしても文化祭をやりたいって思ってくれてるのだ。

 その思いは俺や文化祭実行委員のメンバー、そして、文化祭を楽しみにしてる他の生徒達と同じなのかもしれない。


 このおかしな儀式も、稗田さんは稗田さんなりに考えて、台風から文化祭を守ろうとしてるんだろう。



 ぶうぶつと呪文を詠唱えいしょうする稗田さん。

 だけど、5分しても10分経っても、当然、雨は止まなかった。

 太陽が顔を出すどころか、風雨はさらに強まってくる。


「稗田さん、もう十分でしょう? 屋根のあるところに行きましょう。とりあえず体を拭いてください」

 俺は言った。


 だけど稗田さんはそこを動かない。


「もう少しなんです」

 稗田さんはそう言って首を振った。


 仕方なく俺は、

「ほら、行きますよ」

 そう言って稗田さんの手を引く。

 だけど、稗田さんはその手を振り払った。


「もう……」


 こうなったらしょうがない、俺は、稗田さんを抱っこする。

 稗田さんの背中と膝の裏に手を入れてお姫様抱っこする形になった。

 そうでもしないと、稗田さんここから永遠に動きそうになかったし。


「ちょっと! 待って!」

 抱っこされて稗田さんが慌てた。

 手足をばたばたさせて抵抗する。

 こっちも自棄やけだ。

 多少強引でも連れていくしかない。



 そのままステージを降りて、稗田さんをとりあえず部室に運ぼうとした時だ。


 その時突然、分厚い雲に切れ目ができて、雲の一部が明るくなった。

 そこから青い空が見えて、日の光が差し込んでくる。

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