第210話 大雨

 本降りになった雨が、部室の屋根を叩いている。

 窓から見る外のグラウンドに大きな水溜まりができて、端にある側溝に向けて川みたいに雨水が流れていた。

 段々と風が強まってるのか、グラウンドをぐるっと囲む桜の枝葉が揺れている。

 まだ午後四時前なのに、厚い雲が空を覆っているせいで、電気をつけないと室内では作業ができなかった。


 天気予報では相変わらず台風の接近を告げている。

 この学校は台風の進路の予報円の真ん真ん中に位置していた。

 まだ数日あるのにこの雨風だと、台風が来たらどうなっちゃうんだろう。

 その台風について、天気予報士はここ数年で最大規模って言っていた。


 花巻先輩の言葉に励まされて折れなかった俺達文化祭実行委員も、さすがに口数が少なくなっている。

 みんな手だけ動かして黙々と作業していた。

 普段、凜として背筋をぴっと伸ばしている伊織さんがしょんぼりしてるし、俺に対して口うるさい今日子も静かでしおらしい感じだ。

 いつも女子の言葉に敏感な六角屋も上の空だし、各方面に連絡のメールを打ってる南牟礼さんは誤字を連発して何度もやり直した。


 中庭では、文香が祈るようにずっと空を見上げている。



 「文化祭中止」っていう文字が、みんなの脳裏に見え隠れしてるのは間違いなかった。

 それが現実のものになろうとしている。


「ふははは! 皆、どうしたのだ」

 花巻先輩が笑い飛ばした。

 エプロン姿の先輩が、立ち上がって腰に手をやる。


「台風などに来られては、もう、手の打ちようがない。中止も止むを得ないではないか」

 先輩が続けた。


「たとえ中止になったとて、我らがここまで準備してきて得たものは消えない。この一年の皆の献身けんしんは、目を見張るものがあった。これまでの準備は、ここ数年で一番だったぞ。それは、この学校の文化祭を長らく仕切っている私が言うのだから、間違いがない」

 先輩がその大きな胸を張って言う。


「中止になったらなったで、来年はこの二倍の規模の文化祭を開けばいいだけのこと。ただ、それだけのことである」

 先輩は自分で言って、自分で頷いた。


 言いながら、先輩の言葉にいつも切れがないと思った。

 一年365日、毎日が祭を豪語し、この日のためにすべてをかけている花巻先輩。

 本当はこの中で一番文化祭の中止を悔しがってるのは、先輩なのかもしれない。

 先輩、ホントは心の中で歯軋はぎしりしてるのかも。


「やだ! 私、今年絶対にやりたい! 文化祭やりたい! 今年やりたい!」

 中庭から文香の声が聞こえた。

 雨だから窓は閉めてるのに聞こえる。


 文香は部室の中の先輩の言葉を聞いて、我慢できずにスピーカーを大音量にして言い放ったらしい。


「今年絶対に文化祭やるの! 中止にはしないの! だって来年は…………」

 いつになく文香が高ぶって感情を見せていた。

 まるで、駄々っ子のような口ぶりだ(実際、文香はまだ四歳なんだけど)。


 部室の中のみんなが、普段と違う文香の語気に驚いて固まる。


「文香ちゃん……」

 月島さんが立ち上がって文香がいる中庭の窓に張りついた。 

 月島さんは文香をなだめるためか、雨の中、窓を開けて外に出る。

 そして、車長席のハッチを開けて中に入った。


 それにしても、さっき文香は「だって、来年は……」って、なにか言いかけて止めたけど、何を言いかけたんだろう。



「あれっ?」

 そんな騒ぎの中、突然、南牟礼さんが場違いな声を出した。


「グラウンドに誰かいますよ」

 南牟礼さんがグラウンド側の窓を指して言う。


 みんながそっちの方向を見た。


 確かに、雨で煙るグラウンドに誰かいた。

 ぽつんと一人、グラウンドに組んだステージの上に立ってるのが見える。


 その誰かは、ステージの上で空に向けて両手を掲げていた。

 大雨の中、顔を空に向けて仰いでいる。


「誰でしょうか?」

 六角屋が言った。


「あんなところで、何してるんだろう?」

 伊織さんが言う。


 見る限り、その誰かは雨の中で傘もさしてないし、何らかの雨具を身に付けてるふうでもなかった。


 雨に煙って見えにくいけど、女子みたいだ。

 うちの学校のセーラー服を着ている。


「俺、見てきましょうか?」

 俺は言う。

 夏だとはいえ、あんなふうに雨に濡れてたら風邪をひくし、滑ったり、飛ばされてきた何かに当たって怪我でもしたら危ない。


「ああ、頼む」

 花巻先輩が頷いた。


 大雨の中、俺は傘とレインコートの二重装備で部室を出る。

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