第187話 推理

 目を覚ますと、そこに幸せな感触があった。



 連日の文化祭準備とクラスの演劇の稽古けいこでかなり疲れが溜まってる俺は、ここのところ布団に入ったらすぐに眠りに落ちてしまう(問題の花巻先輩との件でもそうだった)。

 昨日の夜もそんな感じで、文化祭実行委員のみんなと一緒に部室で夜中まで作業して、布団を敷いたらそのまま眠ってしまったんだろう。


 それから一回も目を覚ますことなく、こうして朝を迎えた。


 まだ目蓋まぶたは開かないけど、辺りが明るくなってるのが分かった。

 ちゅんちゅんと聞こえる声は、部室を囲む木々に止まってる鳥が活動を始めたのだ。


 すると、段々と意識がはっきりしてくる中で、俺の手が何かを触っていた。

 両手がそれぞれ、何かをつかんでいる。

 それは適度に柔らかくて、適度に張りがあって、俺の手の平がぴったりと吸い付いていた。


 なんなんだ、この幸せな感触は…………

 俺の両手が離れたくないと言っていた。


 もしかしてこれは、俗に、おっぱいと呼ばれる物体なのではないだろうか?

 俺の手がさらにそう言う。


 だとすれば、これは誰だろう?


 寝る直前に俺の近くにいたのは伊織さんだった筈だ。

 伊織さんが俺の隣りに布団を敷いて、雑魚寝になったのは覚えている。

 だけど、うちの女子達はみんな寝相が悪いから、これがそのまま伊織さんだとは限らない。

 眠りながら、頭と足が反対になったり、布団が変わってるのは日常茶飯事だ。


 俺は、触覚からそれが誰なのか目を瞑ったまま考える。


 この手の感覚からして、それが花巻先輩のものでないことは明らかだった。

 先輩のだったら、俺の手に余ってこんなふうにぴったり手の中に収まらないだろう。

 だとしたら、やっぱり伊織さんか。

 でも、伊織さんも、花巻先輩に負けず劣らずのものを持ってるから、それも違う気がする。

 それに、以前、触ってしまったときの感触とはかなり違う(その感触は脳裏に焼き付いている)。


 だとすると、今日子だろうか?


 いな


 今日子のはもう少し小さくて、感触にしんがあるのだ。

 幼なじみの俺はそれをよく知っている。

 だからこれは今日子のものではない。

 それは断言できる。


 今日子の可能性がないとすれば、おのずと南牟礼さんの可能性も排除された。

 なぜなら、南牟礼さんは今日子よりも小さいのだ。


 ならば、月島さんだろうか。


 いや、それはない。

 月島さんのはもっと大人な感触だ。

 大人の感触で、そっちの方から俺の手を迎え入れてくれるようなおおらかさがある。


 だとしたら、誰だろう?

 コンピューター研の坂村さんは、昨日ここに泊まらなかったし……



 俺は、目を瞑ったまま、記憶辿って、今この手に握られているものの持ち主を探そうとする。


 そして一つの結論に至った。

 そうだ、この感触には覚えがある。

 だけど、なんで彼女がここにいるんだ?



「百萌!」

 俺はびっくりして布団から飛び起きた。


 目を開けると、そこに妹の百萌がいる。


「もう、お兄ちゃん、どこ触ってるの!」

 百萌がぷうっとほっぺたを膨らませて、俺の手を払いのけた。

 紺色のドットのワンピースっていう、ちょっとよそ行きの格好をした百萌がそこにいる。


 起こってるけど、相変わらず百萌が世界一可愛い妹なのは違いない。


「なんで百萌がここに?」

 俺は当然の質問をした。


「お兄ちゃん、ここのところずっと家に帰ってこないから、様子を見に来たんじゃない」

 百萌のほっぺたは膨らんだままだ。


 そうか、もう何週間も家に帰っていない。

 LINEとかでやり取りはしてるけど、こうして直接顔を合わせるのはかなり久しぶりだ。

 まさか、それでわざわざ部室まで会いに来たとか……


「っていうか、百萌は学校いいのか?」


「今日は土曜日だよ」


「ああ……」

 俺、完全に曜日感覚がなくなってる。


「百萌ちゃん、お兄ちゃんが帰ってこなくて寂しかったんだよね。こんなに可愛い妹さんをほったらかして、悪いお兄ちゃんだね」

 伊織さんが言った。


 もう、俺以外の委員会メンバーは全員起きていて、布団も畳んである。


「妹君よ、大切な兄上を独占してすまんな。しかし、文化祭がすぐそこに迫っている。もう少し、我慢してくれたまえ」

 花巻先輩が言った。

 先輩、朝食の準備中だったのかエプロンをつけている。


「いいえ、兄のこと、こき使ってやってください」

 百萌が生意気を言った。


「うむ。案ずるなかれ、もうすでにこき使っている」

 先輩はそう言ってガハハと笑う。


「なんかここ、楽しそうだね。私も、来年はこの学校に入って、文化祭実行委員になろうかな」

 百萌が委員の面々を見渡しながら言った。


「おお、なんと見上げた心掛け。大歓迎である。小仙波の妹君よ、来年は我が委員会の戦力として頼むぞ」

 先輩が百萌の両肩に手を置いた。

 先輩、うちの可愛い妹を青田買いしないでください。


「はい!」

 百萌が満面の笑顔で返す。


 っていうか、先輩は来年も卒業しないのが確定ってことか。


「それじゃあ、勉強頑張らないとな」

 俺は百萌の頭をなでなでしながら言った。

 久々になでなでするこの感覚が心地いい。


「えへへ」

 百萌が甘えて頭を押しつけてくる。

 まあ、俺が入れたんだから、百萌も入れるとは思うけど。


「冬麻、勉強頑張るのは冬麻もでしょ?」

 今日子が言う。


「えっ?」


「文化祭の前に、期末テストがあるじゃない」


「ああ……」

 嫌なことを思い出した。


「うむ。我が文化祭実行委員会は文武両道、期末テストで赤点をとるようなやからは、活動禁止なのである」


 そんなぁ…………

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