第143話 忘れ物

 いよいよ最後に、文香にお返しを渡す番になった。

 俺は、縁側から中庭に降りて文香の前に立つ。

 そこで文香と向かい合った。


 文香はサスペンションを震わせていて、ぷるぷるしている。

 俺よりも相当大きくて立派な体格してるくせに、小動物みたいに緊張してるのが分かった。


「あれ? あんた、もう何も持ってないんじゃない? 文香ちゃんへのお返し、どうしたの?」

 縁側から眺めている今日子が訊く。


 確かに今の俺は手ぶらだ。

 さっきまでみんなに渡すプレゼントの袋を提げてたけど、その中は空っぽで、袋は畳んでしまった。


「まさか、忘れたとかないでしょうね」

 眉を寄せて俺をにらむ今日子。


「そんなわけあるか!」

 いくら俺だって、そんなミスはしない。

 文香へのお返しは、ちゃんと用意してあった。


 俺は文香に向き直る。

「ちょっと、中に入っていい?」

 俺が訊くと、

「うん、いいけど……」

 文香が砲身を上下させて頷いた。


 俺は、いつものように文香の砲塔に上がって、車長席のハッチを開ける。

 ハッチからするっと文香の中に入って、座り慣れた座席に納まった。


 俺の目の前には、なにも映ってない文香のモニターとキーボードがある。


「『クラリス・ワールドオンライン』を立ち上げてもらっていい?」

 俺は文香に訊いた。


「うん」

 すると文香はすぐに自分をネットに繋ぐ。

 モニターにログイン画面が映った。

 俺は、IDとパスワードを打ち込んで、ゲームにログインする。


「文香もゲームに入って」

「うん、分かった」

 すぐに文香もログインしてきて、モニターに、俺のアバターと文香のララフィールのアバターが並んで映った。


 場所は、海が見える丘の上に建つ、俺達の新居の前だ。


 文香が操るララフィールのアバターは背が低くて、俺の半分くらいしかない。

 現実とゲーム内とで、俺達の大きさが逆転した。


「はい、これがホワイトデーのお返し」

 俺は文香にゲーム内のアイテムを渡す。


 俺が渡したのは、猫の顔の形をしたポシェットだ。


「えっ? これって…………」

 文香が絶句する。


 文香が絶句するのも無理はなかった。

 このポシェットは相当なレアアイテムで、ドロップ率が致命的に低い。

 正式には発表されてないけど、0.01%とされている。

 しかも、そこに辿り着くのに、超難関なクエストをこなさないといけない。

 クエスト自体の成功率も、10%を切るのだ。


「これを手に入れるために、どれだけログインしたの?」

 文香が声を震わせながら言った。

「さあ、分からない。この一ヶ月、毎晩、四、五時間はやったかも」

 バイトから帰って、眠くて目蓋まぶたが落ちそうな中を、エナドリ飲みながら頑張った。

 深夜二時三時までゲームして、クエストの周回数112回でやっとドロップした。

 だけど、確率的に言えばそれでも幸運な方だろう。


「もう! 冬麻君の馬鹿!」

 文香が言った。

「そんなことしたらダメだよ!」

 アバターの小さな文香が、プンプン怒っている。

 俺の周りをぐるぐる回って、ぴょんぴょん跳ねる。

 怒ったララフィールの可愛いモーションだ。


「でも、この装備文香が欲しがってたし、ララフィールがつけるとすっごく可愛いくて、似合うと思ったから」

 デフォルメされたオッドアイの猫の顔を模したポシェットは、ララフィールが提げるのにぴったりだ。

 他の種族がつけるとどこか滑稽こっけいになるから、ララフィール専用アイテムって言ってもいい。


「ありがとう」

 文香が言って、そのアイテムを装備した。

 腰元に猫の顔が覗くその姿は、やっぱり無条件に可愛い。


「大切にするね。もう、ずっとこれつけてる」

 文香がくるっと一回転した。

 アバターの長い髪とポシェットがふわっと揺れる。


 一瞬、ここがゲームの中の世界だってことを忘れて見とれた。



「よし、それじゃあ、それつけて久しぶりに二人でクエスト行こうか」

「うん!」


 そんなふうに、文香と久しぶりにゲームを楽しんだ。

 文香が学校に通うようになってから、こうしてゲームをする時間が減ったけど、やっぱり、「クラリス・ワールドオンライン」は楽しい。




 二人で夢中でゲームしてて、気付くとかなりの時間が流れていた。

 ハッチを開けて外に出ると辺りが煙たくなっている。

 肉が焼ける良い匂いが鼻に届いた。


 見ると中庭に火が起こしてあって、バーベキューが始まっている。

 中庭のバーベキューコンロを囲んで、宴の席が出来ていた。


 そこで委員会のみんなと伊織さん、月島さんが飲んだり食べたりしている。

 花巻先輩と月島さんは、もう、酔っぱらって顔が赤くなっていた。

 横に、焼酎の一升瓶やワインの瓶、缶ビールの空き缶が転がっている。


「ああ、やっと出てきたよ」

 俺を見た今日子が言った。

 バーベキューコンロで、大きなウインナーを焼いてる今日子。


「二人がいつまでもいちゃいちゃしてるから、こっちはもう始めてるよ」

 月島さんが焼酎のグラスを掲げて言った。


「さあ、バレンタインデーのお返しのお返しだ。小仙波も、食べて飲んで、楽しむがよい」

 花巻先輩が言う。

 先輩、目が据わっていて、呂律ろれつが回っていない。

 花巻先輩と月島さんにお酌してる六角屋が、お前も早く来てお酌しろ、って感じで俺を見た。

 六角屋、酔っぱらった二人に絡まれて大変だったらしい。


 我が委員会は、結局、こうなるのか…………


「ほら、小仙波君、花巻先輩のグラスが空いてるよ」

 伊織さんに言われて、俺は急いで文香から降りた。




 バーベキューパーティーは夜遅くまで続いて、俺はもうこれ以上何も入らないってくらいお腹一杯になって家に帰った。

 満腹感と、女子達にお返しを渡せた満足感と共に帰宅する。


 すると、家の玄関で妹の百萌が待ちかまえていた。

 お風呂上がりでシャンプーの良い香りがする百萌。


「それでお兄ちゃん。ちゃんとお返しは渡せたの?」

 百萌がまるで姉のように訊く。


「うん、渡せた。みんなに喜んでもらえた」

 俺が言うと、

「そう、良かった」

 偉そうにヤレヤレって顔をする百萌。


「それで、百萌とお母さんの分のホワイトデーのお返しは?」

 百萌がそんなことを言う。



 えっ?


 あっ。




 忘れてた。

 みんなへのお返しに気を取られて、百萌と母へのお返し、完全に忘れてた。


「もう! お兄ちゃん最低!」



 その後一週間、百萌は口を利いてくれなかった。

 百萌の機嫌を直すのに、一週間かかった。


 でもまあとにかく、俺にとって最高のホワイトデーだった。

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