第122話 親心

「ふうん、そうだったんだ」

 月島さんが頷いた。

 月島さん、腕組みして目をつぶっている。

 いつものダークグレーのスーツ姿で、髪をぴしっとまとめている月島さん。

 目を瞑ってると、その整った顔がより凛々しく見える。

 学校にいる月島さんは、本物の教師って感じだ。


「文香がお金を変なことに使ってるわけじゃないっていうのが分かって、それは良かったんだけれど…………」

 月島さんはそう言って目を開けた。

 視線を窓から遠く外へ飛ばす。

 その視線は、少しうれいを帯びていた。


 俺は、そんな月島さんの横顔をすぐ近くに椅子を置いて座っている。

 俺達がいる学校のコンピューター室には、俺と月島さんの他に誰もいない。

 月島さんはテストの採点の手を休めて、俺からの報告に耳を傾けていた。


「文香は、私の元を放れたかったのかな?」

 月島さん、ちょっと寂しそうな顔をする。


「いいえ、絶対、そういうことはないと思います。ほら、俺もそうですけど、独り暮らしにあこがれる時期ってあるじゃないですか。出来もしないのに、ワンルームマンションの家賃とか調べたり、バイトしたら独り暮らし出来るかな、とか考えたり、色々するじゃないですか。文香のも、そういう感じだと思います。別に、月島さんの元を放れたいとか、そういうことじゃないと思います。だって、月島さんといると、安心するし、ドキドキするし、いい匂いがするし……」

 年上の女性に寂しそうな顔をされて、どんなふうに答えたらいいか分からなかったから、俺は言葉を尽くした。

 オタク特有の早口になってたかもしれない。


 俺が必死に話すのを見て、月島さん、「ふふふ」と笑った。


「そうだね。ここは、文香の成長を喜んでおくべきかもね。文香もそんなお年頃になったってことかな。でもなんか、親離れされちゃったみたいで寂しいんだよね」

 文香のAIの設計者であり、そのプロジェクトリーダーの月島さんは、やっぱり、文香の母親なのだ。


「まだ私、子供もいないし、恋人だっていないのに、こんな気分を味わうなんてね。これも、文香が冬麻君と知り合って、一緒に生活してるせいかな。君のおかげで、文香がより人間らしくなったってことかな? こうなったら、冬麻君に責任取ってもらおうかしら」

 月島さんが意地悪く言う。


 責任って、どう責任をとるんでしょう?



「文香が家を買って今の家を出ること、許すんですか?」

 俺は訊いた。

 お隣さんとして、それは重要な問題だ。


「そうだね。あの子がそうしたいって言うなら、そうさせてあげるかもね。まあ、その場合、でもちゃんと人員を配置して、何事もないように見張ることになると思うけれど」

 前に文香は某国のドローンに襲われそうになったことがあるし、その警備は欠かせないだろう。


「冬麻君、とにかくありがとう。変なこと頼んでゴメンね。このお礼は絶対にするから。私にしてほしいことがあったら、なんでも言ってね」

 月島さんはそう言って俺にウインクした。


 なんでも、だと…………


 その後の一秒間で、一億通りもの月島さんにしてほしいことリストを想像した俺の脳は、文香のAIに勝るとも劣らない能力を持ってると思う。




 コンピューター室で月島さんと話をして部室に帰ると、中庭では文香が文化祭実行委員のみんなと伊織さんに囲まれている。

 庭でき火をしながら話をしていた(焚き火の中には、当然のようにサツマイモがくべてある)。


 みんなは、文香が家を買う話題で盛り上がっていた。


「高校生で持ち家だもんね。文香ちゃんには敵わないよ」

 今日子が言う。


「弟子入りしてその資産運用方法を習いたいくらいだよね」

 六角屋が言った。


「文香ちゃん、新居に引っ越したら、お泊まり会しようね」

 伊織さんが言う。


「うん、もちろん!」

 文香が弾んだ声で答えた。


 伊織さんから発せられる「お泊まり会」っていう、甘い響き。


「一緒に寝て、夜遅くまで女子トークしたりしようね」

「うん!」

 なんだか百合百合しい。

 だけど、文香と伊織さんの組み合わせは、百合って言うんだろうか?


「ところで文香君、家一軒であれば、3000万程度でこと足りるわけだが、残りの使い道は考えているんだろうか?」」

 花巻先輩が訊いた。

 先輩は目を見開いていて、鼻の穴が広がっている。


 先輩、下心が見え見えすぎです…………


 先輩はそれを文化祭の予算に組み込むことを目論もくろんでいるんだろう。



「でも、文香ちゃん、独り暮らしとか、大丈夫?」

 六角屋が訊いた。


「そうだよね。一軒家に住むとなると、色々大変なこともあるよね」

 今日子も言う。


「うーん、大丈夫だと思うけど…………」

 そこのところは自信なさげで、文香の砲身が戸惑ったように下を向いてしまった。



「ならばひとまず、独り暮らし出来るかどうか、試してみたらどうだろうか?」

 先輩が言う。


「試す、ですか?」

 俺が訊き返した。


「うむ。大枚叩いて家を買う前に、まずそれを体験してみるといいだろう。知り合いの商店街の不動産屋に話をしてみよう。手持ちの空き家を一晩貸してほしいと頼めば、快く貸してくれるだろう。そこで一日独り暮らしの体験をしてみればいい。家を買うのは、それからでも遅くはないだろう」

 先輩が言うことはもっともだった。 

 家を買うなんて、一生に一度のことだし。


「どう? 体験してみる?」

 俺は文香に訊いた。


「うん! してみる!」

 文香は一も二もなく返事をする。

 文香の砲身がピンと上を向いた。


「よろしい、ならばさっそく頼んでみよう」

 先輩がそう言ってスマートフォンを手にする。



 一日とはいえ、文香に独り暮らしさせること。


 月島さんじゃないけど、なんだか俺も、保護者になったような気持ちで心配だった。

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