第73話 胡麻と豆乳の鍋

「さあさあ、熱いうちに食べようではないか。皆でなべを囲めば、不安の種など遠く地平の彼方かなたへ消えさえ去ろうというものだ」

 花巻先輩が言った。


 部屋着のピンクのワンピースの上に、割烹着かっぽうぎを着ている花巻先輩。

 手に鍋つかみをはめた先輩が土鍋のふたを外すと、いかにも美味しそうな湯気がもわっと立ち上る。

 カセットコンロの上の鍋は、ぐつぐつと耳に心地いい音を立てていた。



 俺達、文化祭実行委員と伊織さんは、部室の居間で鍋を囲んでいる。

 夕ご飯にみんなで準備したのは胡麻ごまと豆乳の鍋で、ボリュームたっぷりだった。

 鶏肉やつみれが、白菜や白ネギなんかの野菜が隠れてしまうくらい、ゴロゴロ入っている。


「さあ、今日は特別に私が取り分けてしんぜよう」

 先輩が言って、菜箸さいばしとおわんを手に取った。

 先輩はそれをお椀にたっぷりよそってみんなに回す。


 こういうとき、花巻先輩は頼りになった。


 先輩の何事にも動じない姿を見てると、不安に思ってることもなんとかなる気がする。

 この先なにがあっても、上手く転がっていくって思えた。


「小仙波、君にはもっと大きくなるよう、鶏肉を余計に入れておいたぞ」

 先輩が俺にお椀を差し出す。


 いや、大きくなるようにって、小学生じゃないんだから……


「ありがとうございます」

 俺は先輩からお椀を受け取って口をつけた。

 香ばしい胡麻と豆乳のつゆが、肉にも野菜にもよく染みている。

 外でグラウンドの文香を見守ってて冷えた体が、食べてる間にぽかぽかしてきた。

 食べ進むうちに、じわっと顔に汗が浮く。


「コラーゲンたっぷりで、明日はお肌が艶々になりそう」

 今日子が言ってみんなが笑った。

 今日子のテンションがいつもより少し高いのは、この場の雰囲気を盛り上げようとしてるんだと思う。

 今日子は、俺に対しては生意気だけど、そういうふうに気が利く奴なのだ。

 今日子が周囲に対して気配り出来る奴だってことは、幼なじみの俺には分かっている。


 みんなで何杯もおかわりして、大きな鍋からはみ出すくらいあった具材が、あっという間になくなってしまった。


「さて、それではシメとまいろうではないか」

 花巻先輩が空になった鍋にご飯を投入する。

 ご飯がぐつぐつと音を立てる頃を見計らって、さらに卵を割り入れて、最後にみじん切りにした万能ネギを散らせば、シメのおじやが完成した。

 先輩がそれもみんなによそってくれる。


 濃厚なスープを吸い込んだおじやは、どこまでも深い味がした。

 鍋を鱈腹たらふく食べたばっかりなのに、俺達はそれもすぐに平らげてしまう。


 そうしてお腹が満足しても、みんな、口数が少なかった。


 ここにいるみんなが文香のことを心配している。

 みんな口にしないけど、学校のグラウンドで機関銃を撃った文香がどうなるのか、そのことを考えていた。

 警察や消防が出動して大事になったそれがどう決着するのか、まるで分からないのだ。


 だから、鍋の片付けが終わると、誰からともなく部室を出た。

 グラウンドを見渡す位置から文香を覆っているブルーシートを見守る。

 規制線を守る警察官ににらまれたから、そこで大人しくしていた。



 相変わらず、学校周囲の道路は緊急車両が囲んでいて、一般の車や人の往来はなかった。

 その代わり、グラウンドは警察官や消防隊員、自衛官でごった返している。


 時々ヘリコプターが飛んできては、頭上を通り過ぎた。

 その度に、バタバタとうるさいローターの音が校舎に反響する。


 グランドの真ん中で、文香はブルーシートの壁で覆われていた。

 そこだけ周囲から投光器が当てられて、昼間のように明るい。

 シート越しに、中で何人もが動き回ってるのが見えた。

 影の動きを見る限り、文香の車体に取り付いて、何かを調べてるらしい。


 あのシートの中で、文香が不安そうに震えてるのが見える気がした。

 それも、ゲームの中の、ララフィールのアバターの姿で浮かぶ。


「寒いから、皆で固まっていようではないか」

 花巻先輩がそう言って、俺達を包み込むようにした。

 俺達は四人は先輩の言葉に甘えて、先輩に寄り添って固まる。

 文化祭実行委員と伊織さんで、猿団子さるだんごみたいになった。



 やがて、校門の方が騒がしくなったと思ったら、そこに停まっていた警察車両や消防車両が移動して、グラウンドに深緑色のトレーラーが乗り付けられた。

 自衛隊の車両で、文香が温泉に行くとき使った73式特大型セミトレーラーだ。


 俺達が見守る前で、文香はそのトレーラーに乗せられる。

 文香はその荷台にワイヤーでがっちりと荷固定された。


 そのまま、トレーラーは自衛隊の軽装甲機動車に先導されて、校庭を出て行く。


 文香のトレーラーを見送ると、そこにいた警察官や消防隊員が、ヤレヤレみたいな顔をして散っていった。

 そこに集まっていた人と車両が次々に校門を出ていく。

 皆が潮が引いたみたいに帰って、グラウンドはたちまち静かになった。


 グラウンドに掛けられた規制線はそのまま残ったけど、パトカー一台と警察官二人だけ残して、誰もいなくなる。


 最後に、投光器の明かりが消されて、グラウンドは真っ暗な闇に包まれた。



 俺達は部室に戻る。

 居間の掛け時計を見ると、時刻は午後11時を少し過ぎていた。


「さて、夜も更けたことで、これから夜道を行くのは危険であろう。皆、ここに泊まっていったらどうだろうか?」

 花巻先輩が言う。

 先輩に言われなくてもここに泊まるつもりだったのか、みんなが頷いた。


 みんな、文香がどうなったのか早く知りたいし、このまま家に帰って一人でそのことを考えるより、一緒にいたかったんだと思う。


「それでは、風呂を沸かしておいたから順番に入りたまえ」

 先輩、いつのまにか風呂の用意までしてたらしく、すでに部室の風呂にはお湯が張ってあった。


「どうだ小仙波、覚悟があるなら私と一緒に入るか?」

 花巻先輩が悪戯っぽくそんなことを言う。


「いえ……」

 残念ながら、俺にそんな覚悟はない。


 っていうか、ここは「そうですね入りましょう!」とか言って突っ込みを待つべきだったのかもしれない。

 そこで、一笑い起こすべきだったのかも。


 まったく、俺はこういうとき、咄嗟とっさの受け答えができない。

 こんなときだけど、それを反省した。



 順番に風呂に入って、俺と六角屋は先輩のスエットを借りて、今日子と伊織さんは先輩のネグリジェを借りた(こんなときでもなければ、伊織さんのネグリジェ姿をガン見したんだけど。っていうか、なんで花巻先輩は、こんなセクシーなネグリジェとか持ってるんだよ)。


「さて、明日に備えて我らは眠っておこう。眠って体を健康にしておかないと、昼寝も、授業中の居眠りもできんからな」

 先輩が言う。

 なんなんだその理屈…………


「そうですね。明日のためにも寝ましょう」

 六角屋が言った。



 俺達は居間のちゃぶ台を片づけてそこに布団を敷く。

 横に五つの布団を並べて敷いた。


「うむ、丁度、女子三人男子二人であるから、男女交互に眠れるではないか」

 なにが丁度なのか分からないけど、花巻先輩がそう言って、俺達は男女交互に雑魚寝ざこねすることになった。


 俺は、今日子と伊織さんに挟まれて眠る。



 不安なのか、電気を消すと、今日子も伊織さんも、俺の肩に寄り添ってきた。

 俺のこんな頼りない肩でも、ないよりはましなんだろう。

 そこに寄り添って、抱き枕みたいに使ってくれた。


 俺は布団に横になったまま固まる。


 ただでさえ眠れないのに、これじゃあ余計に眠れなかった。

 二人の寝息が、くすぐるみたいに俺の顔をでてるし。



 それでも、午前三時過ぎた頃になってようやくうとうとしかけた頃、

「小仙波君……小仙波君……」

 真夜中に誰かが俺の肩を揺すった。


「小仙波君」


 暗がりに目を開けると、そこに月島さんがいる。

 スーツ姿の月島さんが、口の前に指を一本立てて、声を出さないように、って仕草をした。

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