第45話 温泉回

「せっかく、みんなでこっちにも入ってやろうと思って来たのに」

 今日子が言う。

 浴衣姿で、髪を上げている今日子。

 花巻先輩も、月島さんも、伊織さんも、浴衣姿で髪を上げて艶っぽいうなじを見せていた。

 みんな、顔がほんのりと火照ほてっている(ついでに六角屋も火照っている)。


「は、入ってくれるの?」

 俺は湯船に浸かったまま、みんなを見上げて興奮を抑えきれずに訊いた。


「うん、お風呂から上がって部屋の窓から外を見てたら、あんた達が見えてさ。伊織さんが、せっかくだから入ってあげよう、とか、言うから」


「伊織さんが?」


 そんな、伊織さんが俺の名前を覚えてくれてるってだけで嬉しいのに、入ってあげようとか、俺に気を使ってくれるなんて。


「だって、小仙波君と文香ちゃんが一生懸命作業してたのが見えたから。せっかく文香ちゃんが直してくれたお風呂に、入ってあげないと可哀想だし」


 ああ、そっちか。


 伊織さんが機械フェチなの忘れてた。


 だけど、理由はどうであれ、重労働した甲斐があった。

 これで、この旅行の主目的だった混浴風呂にみんなで入れる。

 温泉回が達成できる(俺の裸だけなんてショボい温泉回で怒られないですむ)。


「その代わり、私達女子全員が湯船に浸かるまで、あんたはキツく目をつぶって、雷が鳴ろうが、文香ちゃんの120㎜砲を耳元で撃たれようが目を開けないこと。いい?」

 今日子が訊いた。


「もちろん!」

 今日子がちょっと偉そうなのはしゃくさわったけど、俺は素直に返事をしておく。

 絶対にこのチャンスを逃すことがあってはいけないのだ。


「いいって言うまで、絶対に目を開けちゃダメだよ。途中で薄目でも開けたりしたら、あんたはもう、ここから生きて帰れないと思って」

 今日子が言う。

 生きて帰れないとか、物騒ぶっそうな。


「私は、薄目くらいだったらいいかな」

 月島さんが言った。


 やっぱり、月島さんは夢がある返事をくれる。


「私は、パッチリと目を見開いててもいいぞ」

 花巻先輩が言った。


 やっぱり、花巻先輩はいつも破天荒はてんこうな返事をくれる。



「それじゃあ、私達、浴衣脱いでくるから。文香ちゃん、冬麻が目を瞑ってるか、ちゃんと見ててね。目を開けたら遠慮えんりょなく撃っていいから」

 今日子が言って、女子達が脱衣所の小屋に入っていった。



「じゃあ、小仙波、楽しめよ。俺は、部屋に帰る」

 六角屋が言った。


「えっ? いいの?」

 あんなに女好きの六角屋が、女子達との混浴のチャンスを逃すとは。


「ああ、俺はなにもしなかったから悪いし、あんまりガツガツしてないで、引くときは引かないとな」

 六角屋はそんなふうに言って、旅館の建物に戻っていった。

 変なヤツだ。



 一人になって、俺は素直に目を瞑る。


 小屋の方から、わいわいと楽しそうな女子達の声が聞こえた。

 「やっぱり大きい」とか、「キレイな形」とか、「触ったらダメ」とか、聞き捨てならない会話が聞こえたけど、俺は耐える。

 これはトラップかもしれない。

 ここで目を開けたら、混浴はなくなる。


「まだだよ」

 小屋から今日子が投げかけた。


 しばくして、素足の足音がして、すぐ近くに人の気配がする。

 温泉の硫黄っぽい匂いに交じって、いつも嗅いでいる女子達の良い匂いがした。


 俺は、耳に意識を集中して、耳でものが見えないか試した(もちろん、見えなかったけど)。


 すぐに風呂桶で体を流す音が聞こえた。

 その水の飛沫が、俺の方にも跳ねてくる。


 やがてお湯に入る音が聞こえて、水面が揺れた。

 温泉が波になって、こっちに流れるのを肌で感じる。


「まだ、開けたらダメ」

 今日子が念を押した。


 ここで目をぱっちりと開けて、その光景を最後に永眠するのもいい気がしたけど、ぐっと歯を食いしばって我慢しておく。



「目を開けていいよ」

 お湯の波が静まって、今日子が言った。


 恐る恐る目を開けると、円形の湯船に沿うように、四人の女子が温泉に浸かっている。


 右から、今日子、花巻先輩、伊織さん、月島さんの順で並んでいた。

 五人も入ると広い湯船も一杯で、足を伸ばしたら誰かの足に触れてしまいそうだ。


 温泉が乳白色だから女子達の鎖骨さこつの辺りまでしか見えないけど、推定90㎝の花巻先輩とか、月島さんとか、伊織さんとかは、その大きなモノの上の辺りまでがしっかり見えている。

 真っ白なそれが、お汁粉の中のお餅みたいに湯の上に浮かんでいた。


 頭に一気に血が上って、ぶっ倒れそうになる。

 俺の静脈じょうみゃく頑張れ!

 上った血を、なんとかして心臓に送り返してくれ!

 ここで倒れるわけにはいかないんだ!


 俺は、生まれて初めて自分の静脈を応援した。



「もう、嫌らしい目で見ないでよ!」

 今日子が言った(いや、今日子のは、ぺったん…………)。


 俺、そんなに嫌らしい目をしてるだろうか。

 でも、このシチュエーションで嫌らしい目をしなかったら、いつするんだって話だ。


「やはり、露天風呂は格別だな」

 花巻先輩がそう言ってお湯を掻いた。

 先輩が掻いたお湯が、波になって俺の胸の辺りに届く。

 みんなの周りにあったお湯がこっちに流れてくるのかと思うと、緊張する。


「どう? 温泉で、裸同士で女子に囲まれてる感想は?」

 月島さんが訊いてくる。


「どうって……」

 なんて意地悪な質問をするんだ。

 最高に、決まってるじゃないか!


 その時、お湯の中で誰かの足が俺の足に触れた。

 それどころか、その足は俺の足をくすぐるみたいにして、指で悪戯いたずらしてくる。


 この足、誰の足だろう?

 みんな、澄まし顔をしてるから分からない。


 まさか、伊織さんってことはないとは思うけど。



 俺達がそんなふうに温泉に浸かってるところへ、旅館のお婆さんがゆっくりと歩いて来た。


「ほう、綺麗になったじゃないか」

 湯船を見渡して言うお婆さん。


「ただで綺麗になって、もうけものだね」

 お婆さんは悪い顔でそう言った。


 俺と文香が苦労してここまで綺麗にしたんだから、お礼の一言もあっていいのに。



「とてもいい露天風呂ですね」

 月島さんが言った。


「ああ、うちの亭主ていしゅが一人で作ったんだよ。もう、かなり前に死んだけどね」

 お婆さんは表情を変えずに言った。

 ご主人が亡くなったって、もしかして、お婆さん、この宿を一人で守ってたりするんだろうか?


「だけど、この辺にはいのししがいるから、気配を感じたらすぐに小屋に逃げるんだよ」

 お婆さんが言う。


「えっ? 猪って、この辺りまで下りてくるんですか?」

 月島さんが訊く。


「ああ、ちょろちょろと、河原を横切ってるのをよく見るよ」

 お婆さんは当たり前のように言った。

 確かにここは深い山の中で、野生動物もたくさんいるんだろう。


「ゆっくり浸かってていいけど、夕飯までには戻るんだよ」

 お婆さんはそう言うと、旅館に戻っていった。



「なんか、火照っちゃった。ちょっと体を冷ますから、小仙波君、また目を瞑って」

 月島さんが言う。


 俺が言われたとおり目を瞑ると、ざばんと音がして、月島さんがお湯から出たのが分かった。


「それなら私も」

 今日子の声がして、右側から波が掛かった。


「うん、私も」

 花巻先輩の声がする。


「小仙波君、目を開けないでね」

 伊織さんの声もした。


 耐えるんだ!

 俺は、試されてるんだ!


 俺は血の涙を流しながら耐える。

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