第20話 帰還
文香が帰ってきたのは、体育祭から数日後のことだった。
教室で普通に真田の古文の授業を受けてたら、外から懐かしい振動が伝わってきて机が揺れる。
ほどなくして、教室の前のシャッターが開いた。
「遅れてすみません」
そう言いながら、文香が教室に入ってくる。
「文香ちゃん!」
女子達が席を立って文香に駆け寄った。
「大丈夫?」
「どうしてたの?」
「寂しかったよ」
文香を囲んだ女子達が口々に言った。
みんなが文香のこと気に掛けてくれてたみたいで、なんだか嬉しい。
「おいみんな、授業中だぞ」
真田は口ではそう言ったけど、強く止めたりはしなかった。
しばらく、みんなの興奮が収まるのを待つ。
騒ぎが収まったところで、文香は真田の許可を得て挨拶した。
「みなさん、心配をおかけしてすみませんでした。体育祭に出られなくてごめんなさい。今日からまた、よろしくお願いします」
車体前方を下げて、お
みんなが温かい拍手で迎えた。
「それじゃあ三石、席に着け。授業続けるぞ」
真田が言って、文香がゆっくりと俺の隣の席まで進んだ。
そこでサスペンションの油圧を抜いて座る。
久しぶりで、なんか、お互いよそよそしくなってしまった。
訊きたいことがありすぎるんだけど、一応、授業中だし、声を掛けるかどうか迷う。
少しして、
「ごめんね」
文香が俺だけに聞こえるように言った。
この「ごめんね」は、体育祭の部活対抗リレーに出られなくてごめんね、ってことだと思う。
「ううん」
俺は短く言って首を振った。
こんなとき、六角屋ならもっと気の利いたことを言えると思う。
文香に気を使わせずに、何事もなかったように自然と迎え入れる言葉。
それを探して、授業そっちのけで考えを巡らせてたら、俺は気付いた。
文香の
そこに、黒く焼け焦げてへこんだ部分があった。
5㎝くらいの大きさで、クレーターみたいに装甲がえぐれている部分があった。
ちょうどサスペンションの影で、見えにくい位置だ。
隣から確認するだけで、それが何カ所かあった。
改めて文香を見ると、砲塔の装甲が新品みたいに新しい。
欠席する前と違って部分的に何枚か交換されていた。
ずっと近くで見ていて、文香に乗ったこともある俺には、その微妙な変化が分かる。
確か、文香の元になった23式戦車にはモジュール装甲が採用されいて、破損部分だけを取り替えたり出来るはずだ。
だとしたら、新しくなってる部分は、破損したってことだろうか?
文香、どこで、なにをしてたんだろう…………
休み時間になると、文香はみんなに囲まれる。
「どこ行ってたの?」
「なにしてたの?」
「もう、休まないよね?」
みんなに色々と質問攻めにされた。
文香はそれに
俺は、それを答えられるであろう人を知っていた。
文香が戻ってきたなら、あの人も戻ってるに違いない。
そう思ってコンピューター室に急ぐと、果たして月島さんはいた。
コンピューター室の教員用の席に座って、書類に目を通している月島さん。
「久しぶりだね。どうぞ」
俺が来ることを予想してたみたいに、月島さんの前に椅子が置いてあった。
俺はそこに座る。
「残念だけれど、君の質問には答えられないな」
俺が質問する前に月島さんが言った。
「学校を休んでるあいだ、文香がどこで何をしていたかを、私の口から説明することはできません。ずるい言葉だけど、大人の事情でね」
月島さんはそう言ってウインクする。
わざと茶化すみたいなことをした。
「だけど、文香は心から体育祭に出たがってたの。あなた達と一緒に、仮装リレーをしたかった。それを、私達が大人の事情で連れ出したの。それは事実だから、信じてあげて」
茶化したと思ったら、月島さんが真顔になる。
「あの、文香は危ない所とか行ってないですよね?」
俺は無駄だと分かってて訊いた。
「危ないところ?」
「たとえば、その、戦場とか……」
さっき見た文香の車体の弾痕みたいなのが気になった。
一部の装甲が新品に替えられてるのが気になる。
「まさか」
月島さんは
「文香は、まだ
逆に月島さんが質問してくる。
「本当に、文香に危ないことはなかったんですね」
「ええ、本当よ」
月島さんは言い切った。
俺の視線を堂々と受け止めて少しも揺るがない月島さん。
その目が嘘を言ってるとは到底思えなかった。
それとも、大人の女性って、こんなふうに普通に嘘がつけるんだろうか?
「本当に、すみませんでした」
放課後、文香は部室でも謝った。
花巻先輩に六角屋、今日子と俺の前で、砲口が地面にめり込むくらい車体を傾ける。
すると、縁側に立っていた花巻先輩が裸足で中庭に降りて、文香に寄り添った。
「さあ、三石君、今すぐその頭を上げろ。我らは十分に体育祭を
先輩が言って、今日子も六角屋も頷く。
「本当に、すみませんでした」
重ねて言う文香の前面装甲を、先輩が優しく
「まだまだ祭りはいくらでもある。一年365日、毎日が祭りだ。体育祭は、また来年、皆で楽しもう。リベンジしよう」
先輩が言うと、文香は震えるような声で「はい」と言う。
文香に涙を流す機能が付いてたら、きっと、バケツ一杯くらい涙を流したかもしれない。
っていうか、花巻先輩、やっぱり今年度も留年して、来年も体育祭に出るつもりだ。
「よし、それじゃあ仕切り直しの打ち上げとしよう。文香君に、我らの体育祭での勇姿を見せようじゃないか」
俺達は縁側にテレビを置いて、記録のために撮っておいた体育祭の録画を一緒に見た。
録画を見ながら、最後には文香にも笑い声が戻る。
夕方、俺は久しぶりに文香の車長席に入って、一緒に帰った。
「冬麻君、なにがあっても、私は冬麻君を守るからね」
ヘッドセットから、唐突にそんな文香の声が聞こえる。
久しぶりに座った車長席は、柔軟剤の香りに交じって、微かに鉄の匂いがした。
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