第27話 幻想へのトリガー
「エル。まだ寝てるのか?」
「んぅ……」
アルフィオの声が聞こえ、ベッドの中でもぞもぞと寝返りを打った。
なんでアルフィオが俺の部屋にいるんだろう?
あ、違う俺が彼の部屋に泊まったんだった。一瞬寝ぼけて忘れてた。
思い出し、角を隠すために頭に巻いたタオルがズレてないか触れて確かめる。よし、大丈夫だ。
「おはよう……」
目を擦りながら身体を起こした。
「おはよう、エル」
「うわっ」
アルフィオの顔を見て、一瞬誰かと驚いた。
眼鏡を外したアルフィオの顔が結構な正統派イケメンだったからだ。
顔を洗ったばかりなのか前髪も後ろに撫でつけられてて、いつもよりグッと男前に感じられた。
彼のギャップに胸がドキドキとする。
「これから朝食を作るが、エッグアンドトーストで大丈夫か?」
「あ、ありがとう」
さっといつもの黒縁メガネをかけてしまったので、束の間のギャップは終わってしまった。
良かった、見慣れた彼の姿だ。
彼が朝食を作ってくれている間に別室へと行き、朝の身支度を整える。
清潔な服に着替え、白いキャップを被った。
未だにアルフィオに自分の正体は話していない。だからこの頭の角の存在は隠し通さなければ。
アルフィオのことは信頼しているし、彼になら正体を話してしまってもいい気はする。
でも特別彼に打ち明けなければならない事情はない。
正体を知る人間はなるべく少ない方がいいだろう、ということで彼にはまだ話していなかった。
「うん、よし」
鏡の前で帽子を直し、にこりと笑った。
部屋に戻ると、トーストの良い香りが鼻をついた。
「エル。ちょうど出来たところだ」
食卓に皿を運んだアルフィオが振り向く。
それにしても朝食まで作ってもらえるなんて至れり尽くせりだな。
「何か悪いな、色々してもらって」
「朝食が一人分増えるくらい負担でも何でもないさ」
綺麗なきつね色にこんがり焼けたトーストの上に、満月のような目玉焼きが乗っかっている。
うーん、美味しそうだ。
「いただきます」
手を合わせて朝食に手を付け始めた。
「そういえば今朝の新聞に金鹿亭のことが載っていた」
アルフィオがカフェオレのような茶色の液体が入ったカップを傾けながら口を開く。
この世界にもコーヒーってあるんだな。
「本当か?」
「ああ。火事のことと、寝ぼけて火を点けたという男の記事があった」
彼がふぁさりと新聞紙をテーブルの上に置く。
彼の言っている金鹿亭の記事が上になるように新聞は四角く折り畳まれていた。
どうやらアルフィオは几帳面に新聞紙を折りながら読むタイプのようだ。
「君も読むと良い」
「分かった」
トーストを齧りながら新聞を手に取った。
『金鹿亭出火、原因は客の放火?』と見出しに載っている。
「男は『夢の中で怪物に襲われた』などと主張し容疑を否認している……?」
客が罪人のように書かれている記事にはてと首を傾げた。
「そうだ。わざと火を点けたんじゃないかと疑われているそうだ」
「ええ、そうなのか。宿の人には『寝ぼけて』って聞いたんだけどな」
「それなんだが、魔術師が寝ぼけて魔術を行使することなどあり得ないんだ」
アルフィオは眉を上げながら言った。
「それは、そんなうっかりな魔術師がいないから?」
尋ねながらトーストと一緒にその上に乗った目玉焼きを噛み千切った。トーストに塗られたバターの甘みが口の中に広がる。うん、すごい美味しい。
「いや、そういうことではないんだ。うっかりかどうかは問題ではない」
彼は俺の言葉を否定すると、説明を始めた。
「例え意識が覚醒している時であったとしても、無意識に呪文を呟いた程度では魔術が発現することはない。これは言わば心に鍵をかけた状態だからだ」
「鍵?」
「ああ、例えば夢の中でどんなに辛いことや悲しいことがあったとしても、現実で寝ながら泣き叫ぶ人はまずいないだろう。だが赤ん坊はそのほとんどが夜泣きと区別がつかないが、実のところ寝ながらにして泣くことがあるらしい。これはまだ心に鍵をかける能力が育ってない為だ」
こくこくと彼の言葉に頷く。
まるで彼が教師で、俺がその生徒になったかのようだった。
「今の例のように、心の鍵自体は魔術師だけでなく普通の人も皆備え持っているものだ。心の安全装置と言い換えてもいいだろう。夢と現実が混濁してしまわないように閉じる安全弁だ。この安全弁を魔術師は魔術を行使する為に一度打ち破らねばならない。要は世界の理を一時的に騙すのだから、今度は
寝起きなことも相まって、長い説明にうつらうつらとしてきてしまった。
どうやら彼の生徒としては俺は落第なようだ。
「つまり夢の中で本気で魔術を使おうと思っても、それで現実で火が点いたりはしないってことか?」
俺が理解した範囲で彼の言っていたことを纏める。
「そういうことだ。だから容疑者の男は疑われているのだろう。寝ぼけていた訳がないだろうと」
「へえ。疑われて大変だな」
「ん? 君は容疑者の放火は故意じゃないと思ってるのか?」
「ああ」
宿に火を点けたという男の言い分を自然に信じている自分に気が付いた。何で俺は『寝ぼけていた』という主張を信じているのだろう。
思い返してみて、忘れかけていた自分の記憶が蘇った。そういえば火事の前、真夜中に夢を見ていたのだった。
「俺も、怪物に襲われる夢を見たんだ」
そのことを彼に伝える。
「む、本当か?」
「ああ。間違いない」
そうだ。虫のような化け物に夢の中で襲われ、人間の黒すけに助けてもらったんだった。
蜂みたいな外観が気持ち悪くて背筋がぞわりとしたのをよく覚えている。
「しかし、それだけではたまたま容疑者の主張と夢の内容が被っただけとも言える」
「確かに」
彼の言葉に頷いた。
記事には『怪物に襲われたと主張している』と書かれているだけだ。どんな怪物に襲われたのかも判然としない。たまたまあの火事の直前に見た夢だから関連付けて考えてしまったけれど、この火を点けてしまった人の主張が本当だったとしても全然別の怪物の夢を見ていたかもしれない。
「ともかく、魔術を行使するにははっきりと己の意思でトリガーを外す必要があるんだ。これは夢の中で魔術を使おうと思った程度では外れるものでは決してない」
と、彼は話を纏めた。
「でも、それってもしかして……」
思うところがあり、呟く。
「うん? 何か思いついたことでもあるのかね?」
彼が小首を傾げる。柔らかい笑みを湛えた彼がそうすると、まるで小鳥のようだと思った。
「そのトリガーを外させる魔法とかがあれば、どうだろうと思って」
俺の言葉に、彼が目をぱちくりとさせた。
う、なんか変なこと言っちゃったかな。
「いや、すまん。なかなか斬新な意見だと思ってね。魔術を使えるようになる魔術か」
「あ、そっか。魔法を使おうと思ってもそもそもその魔法が使えない……!」
自分の意見の間抜けさにすぐに気が付き、顔を赤くして下を向いた。
魔法を使うための魔法なんて、本人が魔法をかけれないならそもそも使えないし、使えるのなら無用の長物だ。
そこまで考えてまた閃いたことがあり、顔を上げる。
「あ、でも他の人にかけてもらえば……?」
「うん。理論的に考えればそれは可能だと思う」
今度はこくりと頷いてもらえた。
「じゃあ……」
「しかし、寝ている相手のトリガーを外させて宿に放火させる目的とは何だろうな?」
「ああ、確かに意味が不明だな」
宿に恨みがあったのか、客の方に恨みがあったのか。
何を目的にしているにせよ、それは恐ろしく迂遠な手段に思える。
わざわざ魔術を使うのならもっといい方法があるだろう。
そんな風に長話をしている内に二人の食事はとっくに終わっていた。
「さて、そろそろ行こうか?」
時計を見て、彼が立ち上がる。
彼の柔らかい声音に、心地よさが身体に広がるのを感じた。
彼と一緒に迎える朝というのはこんなにも穏やかなものなのか。
そう感じた瞬間、リラックスして緩んだ思考をそのまま口に出して呟いてしまった。
「ずっとアルフィオのところに住んでたいなぁ」
「な……っ!?」
俺の一言に、座っていた椅子を押し戻そうとしていた彼の手がずるりと滑った。
彼を相当驚かせてしまったようだ。
「あ、ごめんそんなの迷惑だよな?」
「いやいや、迷惑なものか! 宿が決まるまで居てくれて構わないとも」
彼は俺の言葉を慌てて否定した。
そして何か思い付いたのか一言付け加える。
「ああ、あるいは宿じゃなくていっそのこと定住の地を決めてしまうのもいいかもしれないな」
「それって、家を買うってことか……!?」
彼の言葉に衝撃を受けて目を丸くする。
「もちろん賃貸もありだと思うが」
「そっか、そういう手もあるのか……」
次の宿を早く決めなきゃとばかり思っていた。
家を持つなんて発想は目から鱗だった。
「家を持つなんてずっと先のことだと思ってた」
「ギルドも軌道に乗ってきたところなのだし、そろそろ考えてもいいんじゃないかな」
「なるほど」
家の相場はよく知らないけれど、今の収入ならローンを組むことも可能だろう。
俺の給料を把握している経理係が言っているのだからきっとそうだ。
「だからまあ、焦らずゆっくりと今後のことを考えればいい。それまで好きなだけ私の家にいてくれて構わないから」
「ありがとう、じっくり考えてみることにする」
親切で優しい彼と一緒の生活を長引かせる口実が見つかり、何故だか口元が綻んでしまっている自分がいた。
もうちょっとだけ甘えてしまってもいいよな……?
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