宝石を捕まえる話

しっぽタヌキ

第1話 宝石を捕まえる話

 その死体は廃棄物の溜まった山の前にあった。

 濁った目は開いたままで、口は空気を求めて喘いでいるようだ。


「そっか」


 私はそれを見て、言葉を零した。

 昨日の夜、ねぐらに帰ってこなかったからおかしいと思ったのだ。私たちのような年齢の子供が夜に徘徊するとどうなるか。私たちは幼い頃からそのことを嫌というほど体で味わっているから、夜になれば子供同士でねぐらに籠り、身を寄り添い合って朝を待つ。

 でも、昨日、いつも私の隣で笑っていたあの子は帰ってこなかった。


 ――死んだから帰ってこれなかったのか。

 ――帰ってこなかったから死んだのか。


 それはもうわからない。

 ただここに死体がある。これがすべてだ。


「明日は私かな」


 その子の死体を乗り越え、廃棄物の山から食べられそうなものを探す。かびたパンでもあれば上出来だ。働き口もなく、養い口もない私のようなものは、こうやって毎日廃棄物の中から食べ物を探して生きていくだけ。餓死するのか、凍死するのか、はたまた殺されるのか。


 ――明日なんてあるのか。


「いや……今日かな」


 ――私もどうせ死ぬのだ。



***



 私が住んでいるのがなんという国で、どういう場所なのかは知らない。ただ、大きな街があって、その端にここがあるのはわかっていた。

 街の汚いものを全部集めたような場所――貧民窟。

 それは私の住む場所で、私の世界のすべてだ。


 貧民窟にはたくさんのボロ家が無計画に建ち、通路や日差しなんて考えられていないから、いつもどんよりと曇っている。あなぐらと呼ばれるのももっともだ。

 そこにはたくさんの人が生きているが、街にはほとんど近づかない。

 貧民窟から出ることもできるが、憲兵に見つかって、牢屋に入れられるか、連れ戻されるのがオチだからだ。

 それに出たってどうやって生きていくというのか。

 ここにいるものには正しく生きていくことなんてできない。

 盗みと体を売ることしかできないものが、貧民窟から出ていっても、同じ事をして、街の人間になぶり殺されるだけだろう。


 ――どこにもいけない。

 ――どこにも生きる場所がない。


 そんなのが集まるのが貧民窟。

 だが、そこに住む者にも二種類がいて、外でどうしようもなくなって、ここに入り込んだ者と、初めからここにいる者がいた。

 私は初めからここにいるほうの人間で、貧民窟の住人である女の胎から生まれた。貧民窟にはどこにでもいる、生きるために外の男を釣り、金をもらう女だ。

 当たり前だがだれかに守ってもらえるようなものではないから、約束より低い値段しか払われなかったり、そもそもなにも払われないこともある。

 そして――そんな女は死んでもだれも訴え出ることはないから、頭がおかしいやつに殺されたりする。


『運がなかったね』


 ――それだけの命だ。


 今日、死んだ子もそれだけの命。

 ……そして、私も。


 ――だったら。


「……死に方ぐらいは決めたい」


 私を産んだ女みたいに、殴り殺されるのはいやだ。きっと痛い。今日死んだ子みたいに、息を求めて死ぬのはいやだ。きっと苦しい。

 でも、そんなもの決められないんだろう。私は汚泥だ。生まれたときから汚泥で、汚泥の中で生きて、汚泥に殺されて終わる。


「胸が……」


 なぜだろう。さっき死体を見てからずっと、胸の奥がじりじりと焼けるように熱い。こんな気持ちは知らない。こんな感情知らない。

 なのに、胸の奥が熱い。

 ……本当はずっとずっと胸の奥で燻っていたのかもしれない。

 その火がたしかに胸の中で燃えている。許すな、と胸の中で叫んでいる。


『お前の命を他人に脅かされるな』


 運があるか、ないか。

 それだけで決まる、汚泥の命が、でも、たしかに意思を持ち、叫んでいるのだ。

 だから――


「会いに行こう」


 ――今日は街に宝石がやってくる。



***



 今日、街に王太子が来ると知ったのは、一月前。王太子が来るから貧民窟を一斉清掃するといって、たくさん殺された。

 私は運があったから、生き残り、そして今、王太子に会いに、貧民窟を抜け出そうといている。


「たしか、ここを右……」


 暗い地下道を壁に置いた手だけを頼りに進んでいく。左に行けば、街の外に出られるらしい。それを教えてくれたものはもういない。街の中に行ったのか、街の外に行ったのかはわからないが、貧民窟には帰ってこなかった。

 だから、この地下道は私だけが知っている。

 そうして暗い道を進んでいけば、街の外れにある物置小屋の床へと出ることが出来た。今日は貧民窟の周りは警備兵だらけだが、この地下道は見つからなかったようだ。

 ぼろぼろの物置小屋の壁の隙間から外へと出る。

 見上げた空は貧民窟から見た空とは違い、青い色をしていた。これが本物の空の色なんだろう。


「王太子は街を見ている……はず」


 街の道なんて知らない。王太子がどこにいるかなんてなんにもわからない。

 だから、人の気配がするほう、たくさんの人がいるほうへと勘だけを頼りに進んでいった。

 手に持っているのは黴たパン。さっき廃棄物の山で見つけたものだ。

 これを食べれば、今日は生きていける。

 でも――


「王太子に投げつける……」


 私はきっと死ぬ。きっと殺される。

 きっとうまくいかないし、よしんばうまくいったとして、きっとなんにもならない。

 それでいい。私はただ最期に……。


「この国で一番美しいものを見て、死のう」


 汚泥の私とは違う。

 この国で一番大切にされているもの。

 その姿を見て、その目を見て、その目が一瞬でも、私を見てくれたなら――それを最期にする。

 胸にある炎。それだけを頼りに石畳を走る。そして、ついにたくさんの人がいる通りを見つけた。

 熱狂している大人たちの体の隙間を縫って、前へ前へと進む。

 でも、一番前には警備兵が立っていて、私と目が合うと、すごく嫌な顔をした。


「おい、お前、どこから――」

「あっ! 王太子殿下よ!!!」

「まだ小さくて可愛らしいわねぇ!」


 警備兵の言葉を、隣にいた女たちが遮る。甲高い嬌声は耳に響き気持ち悪いが、それよりも私は目の前のものに目を奪われていた。


「……あれが……宝石……」


 馬に乗ったその人はまだ子供で、年齢は私と同じぐらいだろうか。

 白い馬に乗った背筋は伸びており、豪奢な服にはきれいな刺繍がきらきらと輝いていた。

 金色の長い髪は風になびき、匂い立つように揺れ、青い瞳は今日、初めてみた本物の空より、ずっとずっときれいだった。


 ――私とはまるで違う。


 これが汚泥と宝石との差なのだと、心底思った。

 同じ生き物じゃない。価値が違う。命の重さが違う。あれはたしかに宝石だ。


「ちょっと、後ろから押してるのだれ!?」

「やめて!!」

「いたい!!」

「おい!!」


 王太子を、ただぽかんと眺めていると、怒声が響いた。どうやら、大量の人がいたところに不意の動作が起こり、群衆が対応できず、だれかがこけたようだ。人垣が蠢いている。


「落ち着け! 後ろのものは下がれ!!」


 そのことで警備兵の注意が私から逸れた。


 ――今しかない。


 足にぐっと力を入れ、警備兵の横を潜り抜ける。あっ! という声も気にしない。緊張のあまり足がもつれそうになりながら、転がるように王太子の馬まで走った。

 すぐ後ろに人の気配を感じ、急いでパンを投げる。

 黴たパンは王太子の腕に当たって――


「え、なに……?」


 怯えたように大きくなったきれいな青い瞳が私を映す。

 うまくいった……あのきれいな宝石を私は見た。正面で。私だけを映した青い瞳を。

 だから、思わず笑ってしまって――


「お前!! なにを!!!」

「おい!! 早く連れて行け!!!」


 男たちの怒声と、体に走る痛み。

 どうやら私は道に引き倒されて、両腕を後ろ手に固定されているらしい。石畳に押し付けられた頬はたぶん血が出たと思うし、背中を膝で抑えつけられているから、息が吸えずに苦しい。腕もおかしな角度にされてるから、脱臼もしたかもしれない。

 痛いのも苦しいのもいやだ……。でも、息も絶え絶えになりながら、目だけをもう一度王太子に向ける。そこには馬に乗った王太子が、いまだ怯えた青い目をしていて……。


「き……れい……」


 最期にこれを見れたなら。


 ――ああ。私は『運があった』。


 その命なのだと確信して死ねる。



***



 ――死ねる。


 そのはずだったのに……。


「これはいったいどういうこと……?」


 捕まったあとの私は、尋問を受けた。爪が二枚剥がされてしまったけれど、話せることなんてなにもない。

 なんてことはない貧民窟にいた孤児だとわかれば、そのまま殺されるのだろうと思っていた。

 それが、なぜか私は風呂に入れられ、服を与えられ、よくわからない一室に移動させられていた。

 移動した部屋にあるのは、ベッド、机、それと絨毯。

 靴も与えられ、履かされたから、触感はわからないけれど、きっとふかふかだろう。

 意味が分からなくて、警戒しながら辺りを見回していると、がちゃりと扉が開いた。

 そして、そこから男が二人と――


「王太子……?」


 金色の長い髪と青いきれいな瞳。王太子だ。なぜ?

 入ってきた人にびっくりして、思わず口に出すと、男の一人が私に向かって鞭を振るった。


「ツッ!?」

「王太子殿下だ。殿下と呼べ」


 左腕に走った衝撃に息を漏らせば、冷たく言い放たれる。鞭打たれた場所は赤く腫れあがっていた。

 このことに悲鳴を上げたの私ではなく王太子だった。


「待って、待って……! 酷いことはしないで……!」

「しかし、殿下、貧民は言葉ではわかりません。飼うのならば、きちんと躾をしないと」

「飼うなんて……そんな……」

「飼うのです。そうでないのならば許されません」

「……はい」

「では殿下、こちらへ」


 王太子……殿下は私を何度も振り返りながら、男の一人と一緒に部屋を出て行った。

 残ったのは鞭を持つ男と私。


「では躾をしましょう」


 鞭を持つ男はそう言うと、私にここでの暮らし方を身に付けさせるため、何度も鞭を振るった。口答えは許されない。ただ言われたことを覚える日々。

 鞭に打たれながら、必死でいろいろと覚えている間に、ときどき殿下がやってくる。

 殿下がくるときは、必ず菓子を持っていて、それを手ずから私に与えるのだ。

 ……きっと、こうして殿下に反意を持たないようにしているのだと思う。


 ――私の主人は王太子殿下。

 ――王太子殿下の意に沿ったときにだけ、菓子が与えられる。

 ――私は殿下のもの。


 私は殿下に飼われている。

 鞭と菓子で、それを私の身に沁み込ませるのだ。

 ……そんなことをしなくてもいいのに。


 ――殿下は宝石だ。


 私はその青い瞳を見ることで、生を実感できるのだから。



***



 そうしているうちに、私は十五になり、殿下も十五になった。

 鞭を振るわれることはもうなく、殿下は毎日のように部屋に訪れる。菓子を持って。


「おいしいかな?」


 殿下が青い瞳を輝かせて、私を見る。私は殿下がくれたクッキーを噛み砕き、飲みこむと、殿下の指をぺろりと舐めた。


「おいしいです。ありがとうございます」

「うん」


 ソファに座っていた殿下が、床に片膝をついていた私に手を伸ばす。

 殿下は私を膝に乗せ、ぎゅうっと抱き寄せた。


「……王宮のやつらはだれも僕のことが見えないみたいだ」

「殿下はここにいるのに?」

「僕は飾りなんだ。父だってそうだ。僕らがなにかしようとすると迷惑そうな顔でこちらを見る。……それだけ。なにも起こらない。なにもできないんだ……」

「王族の方々がこの国を治めているわけではないのですか?」

「建前だけさ。……実際は元老院や官僚たちが勝手に動かしてる。いつからかは知らないけど、王家は形骸化してしまった」


 殿下はそういうと私の頬にすりすりと自分の頬を寄せた。


「殿下。殿下はとても貴い方です。だれよりも貴い方です。この国で一番きれいです」

「……うん」


 心から思っていることを告げると、私を抱きしめていた腕がすこしだけ緩んだ。

 殿下は私の頬から顔を離すと、今度は正面に顔を寄せる。こつんと額同士を当てれば、私の目には殿下の青い瞳だけが映った。


「僕は……一番きれいなのは、この黒い瞳だと思う」

「私の瞳ですか?」

「うん。……あの日、君を見つけてから、毎日思ってる」

「私は殿下の瞳が一番きれいだと確信しています」


 目の前にあるこれが。本物の空よりももっときれいなこの青い色が。世界で一番きれい。

 まっすぐに殿下の瞳を見ていると、青い色が甘く蕩ける。

 殿下はそのまま私をぎゅうっともう一度強く抱きしめると、そうだ、とローテーブルの上に視線を移した。


「今日は本を持ってきたよ」

「ありがとうございます」

「君は本当に本が好きだね」

「はい。いろんなことを知るのは楽しいです」

「そう……」


 殿下はすこしだけ苦い表情をしたあと、私に本を渡してくれた。

 私はそれを受け取って、さっそく本を開ける。

 本は楽しい。私は五年間外に出ていないが、本があれば、世界のことも、この国のことも、貧民窟のことも、私のことも、全部を知ることができるから。


「僕にできることがあったら、言ってね? 僕が君の望みを叶えてあげる」

「本当ですか?」

「うん」


 本を読もうとしていた、顔を上げ、殿下を見る。

 殿下は私と目が合うと、嬉しそうに笑った。

 その甘く蕩けた青い色を見つめて、気になっていたことを聞く。


「殿下。殿下はこの国をどう思いますか?」


 そうして蓄えた知識で得た。この国は――腐っている。


「そうだね……。君には隠しごとはしていないから、僕が思っていることも伝わっていると思う。……きっとこの国はもうだめだ。貴族が肥え太り、一部の特権階級だけが幅を利かせ、自分の地位を守るために動いている」

「はい」

「君の生まれた貧民窟もなんとかしたいとずっと思っているんだ。……だけど、どうにもならない。次に天災が起こった時、この国にはもうそれを救う力は残っていない。他国が攻めてきても対抗する術はないだろう」


 殿下のその言葉を聞き……私の胸がまたじりじりと焼かれていくのを感じた。

 本を読んで知識を得た。この気持ちはきっと怒りだ。この胸に燃えるこの火は怒りなのだ。


「殿下。私を外に出してください」

「え……」

「私はもっと勉強がしたい。……この国ではだめです。貧民窟の出身であるとわかれば勉学の機会は奪われます。なので、隣国に行くことを許してほしい」

「……隣国に」

「はい」


 殿下は私の言葉に驚いて、言葉を詰まらせる。

 その青い瞳は初めて出会ったときのように、見開かれ……怯えている。なにに怯えているのかはわからないけれど、殿下は私の言葉が怖いようだった。


「そうか……そうだよね……。もう五年。……僕は五年間も君をここに閉じ込めていたんだから……」


 殿下は両手で顔を覆って、ぼそぼそと言葉を零す。


「……許すべきだ」


 殿下はそう言った。

 でも、次の瞬間、殿下は顔を覆っていた手を放し、私へと伸ばす。

 そして、私をぎゅうっと抱き寄せた。


「……僕が……どうしてもここにいて欲しいって言ったら?」


 私を抱きしめる手は震えていて――


「君を離したくない。……僕と一緒にいて欲しいって言えば、一緒にいてくれる……?」


 青い瞳が懇願して私を見る。

 この世界で一番きれいな色が。私だけを求めている。

 でも――


「できません」


 私はその瞳を見て、まっすぐに言い放った。


「私を隣国へ。私の望みを叶えてください」


 宝石は泣きそうな顔をして――

 それでも「わかった」と頷いた。



***



 私はそれからすぐに隣国へと留学することができた。

 貧民窟出身だったが、殿下がどこかの貴族を後見人としてくれたらしく、隣国での暮らしは快適だった。私はそもそも頭が良かったらしく、五年間の下地と、留学した学校での勉強でどんどん知識を得て、さらに地位も得る。

 隣国は実力主義を貫いていて、実力さえあれば、国の中枢に食い込むこともできる仕組みが整っていた。それを利用したのだ。


 殿下と離れて五年。

 私は二十にして、国の方向性を決める重要な会議に出席できるまでになっていた。

 そこで、私はある提案をした。


『かの国を討ち、領土を拡大させましょう』


 私が言ったかの国とは、殿下の国だ。

 留学先の隣国にて地位を得た私が、祖国である殿下の国を滅ぼす提案をする。

 このことは議論を呼んだが、私の出身を話し、これまでの暮らしを伝え、私の傷を見せた。

 剥がされた二枚の爪は大きくなってもうまく成長せず、不格好。鞭打たれた傷は痕になり、左腕から背中にかけていくつも引き攣れた筋が走っている。

 これを見た者は私が殿下の国を滅ぼす理由に検討がついたのだろう。滅ぼす方法を具体案で示せば、会議は攻め落とす方向で進んでいった。

 殿下の国には質の良い金が出る山がいくつかあるのだ。

 隣国はそれをいつも狙っていたが、さすがに策もなく軍を動かすことはできない。

 だが、私がいれば各貴族の動向や、こちらと内通できそうな貴族とも連絡が取れる。情報源は本と殿下の話からしかないから確証は取れないが、確証を取るのは他の連中がやってくれるだろう。


 そうして、決定した武力行使。

 私の情報もあり、特に苦戦することはなく攻め落としていった。

 殿下の言っていたように、殿下の国は内部での抗争で疲弊し、隣国と戦う力など残っていなかったのだろう。

 残るは王都のみ、というところまで来て、私はあの懐かしい地下道を進んでいた。


「本当にこんなところが王都の内部に繋がっているのか?」

「はい。貧民窟へと繋がっています。王都の軍は突然内部に現れた敵軍に焦り、勝手に自滅するでしょう」


 一隊二百を率いる隊長の疑問に答える。

 そう。私が生まれた貧民窟は王都の端にあったのだ。

 王都は高い城壁に囲まれ、外からの攻撃は難しく、このまま籠城されると厄介なことになりそうだったが、この地下道が使えれば、一気に情勢は傾く。

 もちろん、貧民窟に兵が待機している可能性はあるが……まあ、まずないだろう。王都のものが貧民窟を守るなどありえないし、貧民窟のものがこちらを襲ってくることもない。


「そろそろ着きます」


 懐かしい、いつもどんよりと曇った空。汚いものをすべて詰め込んだ場所。

 全員が無事に貧民窟に到着し、そこから城壁の門へと攻めた。内部から攻めればなんということもなく、門はすぐに開き、待機していた兵を中へ引き入れる。

 こうなれば、戦局が決するのはすぐだった。

 王宮は落とされ、私はその一室に向かっていく。

 扉を開ければ、そこにいたのは――


「殿下」


 呼べば殿下は私を見て、苦しそうな顔をした。

 一応、鎧は着ているが、殿下はそういうのは苦手だと常々言っていたので、やはり似合ってはいない。いつもの服で、金色の長い髪をなびかせているほうが殿下らしい。


「殿下」


 もう一度呼び、殿下に近づいていく。

 見張りの兵士たちには外に行くように指示していたため、部屋には私たちだけだ。


「殿下」


 殿下が床に片膝をついていたので、私もその正面で片膝をつく。

 きれいな青い瞳はいつも通りにきれい。

 でも――


「殿下? いつものように抱きしめてはくださらないのですか?」


 動かない殿下を不思議に思って、首を傾ける。

 殿下はいつも私を抱きしめてくれたのに。今日は五年ぶりに会ったというのに、手を伸ばしてくれない。


「……君は……やはり、僕を恨んでいたんだよね……」


 殿下が漏らした言葉の意味が分からない。


「恨む、ですか? 私が殿下を?」

「うん……だからこうして僕を倒しにきたんだよね……」

「倒しに?」


 なぜ?


「一番きれいなものを倒さなければならないのですか?」


 わからなくて、殿下に聞けば、殿下はただ私を見つめていた。

 きれいな青い瞳。

 私は……私はこれを――


「私はただ、手に入れたかったのです」


 そっと手を伸ばす。頬に触れれば、殿下は私の手の上に手を重ねた。


「世界で一番貴いのは殿下です。殿下が一番きれいな宝石なのです」


 私はその宝石を手に入れたかった。それだけ。


「殿下は国に捕らわれて、私のものにならない。だから、国を滅ぼして殿下を手に入れようと思いました」


 殿下は国のことばかりだった。いつか結婚して、子供を作り、私から離れてしまうのだ。

 そんなの……そんなのはいやだ。

 私はこの宝石が欲しいのだ。


「安心してください。殿下の身柄は私が引き受けることになっています。きれいな屋敷を立てました。この王宮よりは小さいですが、私が五年間住んだ部屋よりは大きくて、環境もいいところを用意しています」


 殿下のために用意したものを、一生懸命に伝える。

 私は殿下の欲しいものがわからない。

 でも、私が与えてもらったものをちゃんと返していく。


「殿下。……私は殿下のものです」


 あの日、殿下に会ったときから。


「殿下は……私のものはいやですか?」


 恐る恐る殿下の瞳を見つめる。

 すると殿下はぎゅうっと私を抱きしめた。


「君は……僕のもの?」

「はい。私は殿下のものです」


「僕は――君のものだ」


 胸の中に燃えていた炎がその瞬間大きく沸き上がった。体が熱い。燃えるみたいに熱い。指先から爪先まで甘く体全体が燃えていく。

 これが喜びだ。この気持ちが。


「……ずっと一緒にいられるんだ」


 殿下はこれまでで一番、穏やかな顔をした。

 そして、そっと唇に唇が触れる。

 初めての感触に、今度は胸がぎゅうぎゅうと痛くなった。

 そんな私を見て、青い色が甘く蕩けた。


「この世界で一番きれいな宝石」


 ――捕まえた。

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宝石を捕まえる話 しっぽタヌキ @shippo_tanuki

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