2001年宇宙の旅 記憶から薄れないモノ

 話は、九歳児にも「ただならぬ未知の存在を調査しに向かう宇宙船」だと分かりました。

 今でもハッキリと、覚えている。



 人工知能HALとの疑心暗鬼から来る、人と人工知能の破滅への邁進。

 HALの強硬な暴走。

 ボーマン船長の逆襲。

 HALの機械的な言い訳。

 HALの機械的な命乞い。

 HALの悲痛に満ちた謝罪。

 HALの哀しい、末期の歌声。



 今でも薄まらずに、俺の中に残っている。



 そして、最後のパート。

 「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」


 不気味なコーラスと、何が何だか全く理解出来ないスターゲイトへの突入。

 唐突に、豪奢な部屋に閉じ込められたボーマン船長。

 相当な歳月を経た、ボーマン船長の身体。

 現れるモノリス。

 転生したかのように、宇宙に漂って地球に戻って来るボーマン船長の成れの果てスターチャイルド



 トンデモナイ映画を観て、父子共々「ポカーン」としておりました。


父「…最後の意味、分かった?」

俺「全然」

父「分からないよねえ?」

俺「きっと、初めの三十分を観ていないからだよ」

父「じゃあ、二回目も観るか。最初の三十分だけ」



 で、観ましたよ。

 猿が水飲み場を争い始め、モノリスに触れて賢くなり、骨をルシール釘バットの代わりに使い始めるという進化の描写を。

 モノリスが進化を促すというのは、分かった。

 でも、ラストシーンの意味が分からない。


 分からないまま映画館を出て、近くの焼肉屋で夕飯を。

 店員がスキンヘッドで、「太陽にほえろ!」なら確実にヤクザ役で出てきそうな外見。九歳児ながらも「ヤバい店なのでは?」と思ったけれど、初めて焼肉屋で食べる焼き肉は美味かったです。

 値段が大人一人&子供一人で一万円だったので、やはりヤバい店だったと思うけど。

 夕食中の話題も、帰りの電車内での話題も、『2001年宇宙の旅』について。

 あの映画の、訳の分からない部分について。


 その後、『2001年宇宙の旅』に関して解説した書籍を読んだり、小説版を読んだり、続編を描いた小説まで読んで、作品の意図を理解はした。


 それでも尚、三十六年経っても尚、無限の映画の彼方へ誘われた感情は、一切何も薄まっていない。



 父はまだ、あの日の事を憶えているだろうか?

 去年、父は脳梗塞で倒れて、脳がだいぶグダグダになったので、あの日の記憶も何処かが壊れたり失われたりしたかもしれない。

 さて、どうやって確かめようか。

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