3 今宵、悪はめざめる

 改めて庭を見下ろした私は、はっと息をのんだ。


「これは……」


 しげった緑が、夜の庭に影絵を作っている。


 迷路のように形作られた庭の垣根かきねが『花びら』に。

 レンガ敷きの遊歩道が『つた』に。

 歩道にそって置かれた彫像が『とげ』となって『薔薇ばら』を描き出している。


 それは寸分たがわず、ジャックたちの『烙印スティグマ』と同じ紋章だった。


「私、ずっと悪魔の『烙印』と暮らしていたの……?」


 ランタンを持つ手が震える。

 自分が生きてきた世界が飼育ケージの中だと知って、平静ではいられなかった。


「これのおかげで低級は入ってこられないのさ。ここは君が生まれたのを機に改築したと言っていたね。その際に、庭にも手を入れたのではないかな?」


 落ち着いたダークの声に支えられて、私はどうにか答える。


「ええ。薔薇をたくさん植えて、私といっしょに成長する薔薇園にしたって、お父様がおしゃっていたわ。でも、どうして屋敷に『烙印』なんて――」


 口走る私は、ふいに答えにたどりついた。


「――私を、他の悪魔から守るため?」


 惨劇の夜、大きな赤黒い影は屋敷を荒らしまわって『アリス』を探していた。


『アナタ、悪魔にねらわれているカラ』


 ヒスイの言葉を思い出すと同時に、ドクンと、私の耳元で血がうずいた。


 トゥイードルズと公文書館に忍びこんだ帰りにあった影の軍団は、『眠り姫事件』について調べられたくなかったから襲ってきたのではない。


 単に『アリス』が、悪魔の方が優勢になる夜に、警護をほとんどつけずに屋敷の外にいるという、格好のチャンスをものにしようとしただけ。


「私は生まれつき『悪魔』に狙われていたのね……」


「そのようだ。君のお父上が悪魔に詳しかったのは、君を守るためだったのではないかな。ここに『烙印』を与えた悪魔に教えてもらったんだろう。その悪魔は、リデル男爵家に知恵を貸す、家族のようなものだったのかもしれない」

「家族……」


 私の脳裏に、とある人物が浮かんだ。


「……ダーク。お願いがあるの。聞いてもらえる?」

「俺でお役に立てるなら、よろこんで力を貸そう」

「ナイトレイ伯爵邸でジャックを預かってちょうだい。寝付くと朝まで起きない体質だから、いま運んであげて」


 突拍子もない申し出に、ダークは驚いた顔で部屋の方を見た。


「男を抱えて空中散歩する趣味はないんだが……。まあ、いいよ。君は従者と離れて、何をするつもりなんだい?」

「みすみす家族をうばわれて、黙っているわけにはいかないわ。悪いことをしたなら、懺悔ざんげしてもらわなくちゃならないでしょう?」


 私の胸に、黒いほどに赤い決意がわき上がった。


 リデル男爵家ファミリーの名前は伊達ではない。

 大英帝国がとこしえに続くように、黒幕として闇のなかに息づいてきた孤高で残虐な貴族だ。


 この世界にとっての悪役。

 私には、その血が流れている。


 胸の奥から、悪魔より怖ろしい顔をした父の、祖父の、そして何代にもさかのぼる当主たちの声がする。


 裏切り者をゆるすな。罪には罰を。

 生まれてきたことを後悔するような断罪を与えよ。


 私は心でうなずいた。

 手を出した愚かものは、微塵みじんのためらいもあわれみもなく、地獄へ突き落としてやる。


「それが私の、私たちリデルのやり方だもの」


 怪しく笑うと、ダークはわずかに目を細めて、ゴクリと喉を鳴らした。


「……君が望むように」

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