2 知らずの薔薇

 満天の星空をせおって柵に腰かけていたのは、ダークだった。


 星座の模型がかざられた濃紺色のトップハットに、同色のフロックコートを合わせている。胸元で光るのは、三日月型のブローチだ。

 まるで、夜空から下りてきた使者のような装いである。


 バルコニーに出た私は、窓を後ろ手に閉めた。


「ベランダから訪ねて来るのが好きなのね」

「君の屋敷は仕掛けだらけで怖いからね。せっかくの夜の逢瀬おうせだ。色っぽくいきたいところだが、ジャックくんがお休みなので、小声で失礼するよ。うちのヒスイが、これを持って行けってうるさくて」


 ダークは、小脇に抱えていた水のランタンを、バスケットボールで遊ぶNBA選手のように指先で回した。


「さんざん『この屋敷に低級の悪魔は入れない』と聞かせているんだが心配性でね」

「その理由が知りたいわ。どうしてリデル邸には悪魔が出ないの?」


 影として動き回るなら、どこにだって侵入できるはずだ。

 それなのに、なぜかリデル男爵家の中には現れない。世のなかは偶然で回っているようでいて、理屈の通らないことはほとんど起こらないものだ。


 悪魔が入ってこられないなら、相応の原因があるはる。

 知りたがる私を、ダークは「ただでは教えられない」と突っぱねた。


「俺も知りたいことがある。お互いに情報交換と行こうか、リデル男爵家の当主」

「お受けしましょう。ナイトレイ伯爵」


 眉をあげると、ダークは「そこまで肩ひじ張らなくていいよ」と笑った。


「俺が知りたいのは、リデル・ファミリーの『悪魔の子スティグマータ』たちについてだ。彼らはで亡くなったのかい?」


「同じではありませんわ。ジャックは、リデル家が強盗にあった夜に、私といっしょに。リーズは、イーストエンドで知り合ったときには、すでに『悪魔の子』でした。トゥイードルズも出会った時には『悪魔の子』でした。親戚の紹介で知りましたの」


「その親戚とは、誰だい?」

「叔父のベルナルドという人です。イーストエンドの近くで孤児院を経営している、慈善家です。ダムとディーはそこで保護されました」


「保護児童のうち、どうして双子だけこのリデル邸に招いたんだい?」

「彼らが『悪魔の子』だった、から……?」


 私は、自分の言葉に違和感を覚えた。


 トゥイードルズに初めて会ったのは、寄付金を贈った貴族として、孤児院を表敬訪問していたときだ。

 そこに、にこにこ顔のベアが、双子を連れて現れた。


『アリス、この子たちはとってもいい子なんだ。リデルの家族としてふさわしい!』


「――そう言われて、私は、二人を引きとったのですわ」


 何かが心のなかに引っかかる。

 けれど、ダークは考える暇さえ与えてくれない。


「では、俺が君に教える番だ。君は『烙印スティグマ』について、どこまで知っている?」


「烙印は、よみがえった人間が死後、かならず地獄に落ちる印としてつけられること。亡くなった状況に応じて、人知を超えた能力が宿ることくらいですわ」

「そうか。では、補足しよう」


 彼の指先から、昼間見た青い光が走って、水のランタンに三日月の紋章が現れた。それを私に持たせて、顔を寄せる。


「これが俺の『悪魔』としての印だ。亡くなった者に与えればよみがえり、『烙印』として機能する。高等な悪魔になると、生きている者をも自由に操るという」

「同じ印を『烙印』として持つヒスイ殿は、あなたによみがえらせてもらったのね」


「物分りが良くて助かるよ。これには二つの意味がある。ひとつは、死後に必ず地獄に落ちる証。もうひとつは悪魔の名札だ」

「名札?」


「烙印を受けた魂を地獄に案内するのは、その『悪魔』の仕事なのさ。仕事が重複しないようによみがえらせた人間に自分の名を刻んでいるんだよ。俺は、ヒスイが亡くなったら、彼を地獄に連れて行かなければならない。考えるだけで気が滅入めいるね」


 ダークは肩をすくめた。

 人間として生きているダークも、悪魔のつとめからは逃げられないらしい。


「アラビアン・カフェで俺が見たところ、リデル一家にいた四人――番犬くん、双子、リーズ――の烙印は同じ『薔薇』だった。違う場所で、違う生き方をしていた五人が、同じ悪魔の手でよみがえり、ここに集まっている。偶然にしては、出来すぎていると思わないかい?」


「誰かが私たちを集めて、危険な黒幕家業をさせているとおっしゃるの?」

「集めてさせている、という言い方は正しくないな。君たちは、ここで守られているのだから」


 ダークは、上半身で振り返って、階下の庭を見下ろした。

 

「君は気づいていないが、このリデル邸にも同じ烙印が押されている」

「ここに?」


 急に居心地が悪くなって、私は足ぶみしながら周囲を見渡した。

 だが、どこも見慣れたものだ。


 バルコニーに置かれた陶器の花鉢も、ねじり柵も、夜に咲く赤い薔薇も、いつもと変わらない。


「この屋敷のなかで烙印なんて見たことがないわ。どこにあるの?」


 ダークは、私の肩を抱き寄せて、ベランダの外を向かせた。


「もっと広くご覧よ。きみの大事な薔薇たちを」

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