4 眠りたがりの水つかい

 拳銃をかまえて引き金を引く。

 撃たれた影は、ダムに向けていた体を、ゆらりとこちらに向けた。目は見当たらなかったが、私をとらえたことが殺気から分かる。


「私が相手になるわ。ダムから離れなさい。ディー、彼のもとへ行って」

「でも、アリス」

「はやく」


 かたい声で言うと、ディーはダムのもとへ走った。


 入れ替わるように、影が私へと近づいてくる。集まって、合体して、ふくれて、大きくなった形は、さながら黒い高波のようだ。

 見ているだけで恐ろしい。けれど、動揺しては相手の思うツボだ。


「こんな手荒に呼び止められたのははじめてよ。私になにか用事があって?」


 私は平静をよそおって、自分を囲った影を見回す。

 返事はない。影はゆらゆらと揺れている。


「そう……。用がないなら帰らせてもらうわ」


 右に、左に、乱れ撃つ。しかし、影には一向にダメージがない。

 影の壁がじりじりと狭まってきたので、私は冷や汗をかいた。


(どうしたらいいの?)


「「アリスからはなれてっ!」」


 ダムとディーが、影をかき分けて私の前後をかばった。

 前方の影が、するどい指先を振り下ろす。

 私は、とっさに二人を抱きしめて叫んだ。


「やめてっ!」


 攻撃が止まるはずもなく、私は突風におそわれた。


「くっ」


 とたんに、肌が焼けるように熱くなる。

 腕が縦に裂かれて、血がふきだしたのだ。


 力が入らない手で、なんとか拳銃だけは落とさずに握りしめた。これを手放したら、ダムもディーも守れない。

 強ばる体に気合いを入れて、ふたたび銃口を持ち上げた私は、不思議なことに気づいた。

 影の揺らめきが止まっている。風が吹かない日の、湖の水面のように。


(いったい、なぜ?)


 そのとき、私たちがいる一帯に大量の水が降り注いだ。


「みんな……ゲンキー?」


 ライブのMCのようなコールと共に、私の前に降りたったのはヒスイだった。

 脇腹に三日月の烙印スティグマを浮き上がらせ、両手には大きな水泡をかかえている。

 彼を見て、双子は顔色をぱぁっと明るくした。


「「ヒスイちゃん!」」

「オマタセしました」


 微笑んだヒスイは、両手を合わせて前に押し出した。

 水泡から滝のように強い水流が出て、影を押し流していく。

 だが、消滅させることはできないようだ。影は、端々をするどく尖らせて、カーテンを裂くように水を割りはじめた。


「水では、あの影を退治することはできないみたいね」


 声をかけた私に、ヒスイはお菓子を強請る子供のように、ずいと片手を出した。


「火をチョウダイ」

「火?」


 私はポシェットから、先ほど使ったマッチ箱を取りだした。


「これでいい?」


 受け取ったヒスイは、取り出した一本をる。

 手の平に新たな水泡を生み出してオレンジ色の火を移すと、水が青白く燃えだしたので、私は度肝を抜かれた。


「水が、燃えた?」

「めたのる。ゴシュジンが教えてくレタ」

「もしかして、メタノールのこと?」


 メタノールとはアルコールの一種だ。人体には毒になるので使えないが、工業器具の洗浄剤やアルコールランプの原料として活用されている。

 ヒスイの烙印スティグマは、水の体をなしているなら、なんでも生み出せるらしい。


 燃える水を一回り大きな水のヴェールで包んだヒスイは、手早く四つに分裂させて、私たちの前後左右に浮かべる。


 水のドームは、大きなランタンのように光り輝いた。

 光のまぶしさに照らされた影は、氷像が溶け崩れるように地面に落ちて、わだかまる。


「影は、光にかなわナイ。これで、ワタシの勝ち」


 地をはうしかなくなった影は、頭に長い耳を生やした男の形をしている。

 影絵のようなそれらに、私は見覚えがあった。


「あれは?」

「テイキュウの悪魔。だから、影みたいにオボロゲ」

「低級の……。あの耳はなんなの?」

「ミミ? あれはツノ。悪魔に生えテル。ジョウキュウ、隠すのジョウズ」

「角……」


 つぶやく私の脳裏に、走馬灯のようによぎるのは幼い頃の記憶だ。

 

 恥ずかしがりだった私の唯一の。私は指摘しなけったけれど、彼がシーツで隠そうとしていた物がなんなのか知っている。


 それは、頭に生えた長い長い突起だった。

 たとえ姿を隠しても、床に落ちる影には現れてしまう正体を見て、私は彼を『ウサギ』と呼んだ。

 影から伸びる突起が、ウサギのミミのようだったから。


 けれど、ちがった。

 彼が隠したかったのは耳ではなく、だったのだ。


「そうだったの……。『ウサギ』は悪魔だったのね……」


 ヒスイは、傷ついた私の腕を取ると、自分の服を裂いて包帯のように巻き、止血してくれた。


「アリス、痛いの痛いのだいじょうぶ?」

「アリス、痛いの痛いのとんでけする?」

「大丈夫よ。傷は浅いから」


 心配する双子をなだめていると、ヒスイは周囲の影を見つめながら言う。


「ゴシュジンさま、『オクリオオカミ』になってこいって。家まで送る」

「送っていただけるのは、ありがたいけれど……。あとで、ダークに『きちんとした英語を教えてあげて』と伝えてくださる?」

「ガッテンダ」


 私はひとまず安堵した。

 ヒスイの火があれば、影に襲われることはないからだ。

 一方で、悔しさもある。


(このタイミングでヒスイ殿を寄越したと言うことは、ダークは、私たちが公文書館に忍びこむことはお見通しだったってわけね)


 先手を打ったつもりで、また後手に回ってしまったようだ。

 私は、じくじくと痛む腕を押さえながら、小さくため息をついた。



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