8 貴族の心得

 私が呼びかけると、扉が開け放たれた。

 廊下に立っていたのは、銀糸で刺繍を入れたマントを羽織ったダークだった。


「やあ、麗しきレディたち。失礼するよ」


 美貌の貴族の登場に、令嬢たちは黄色い歓声を上げる。

 一方のティエラは、真っ青になった。


「伯爵さま、どうしてこちらに……」

「説明するのでお座りになって、ティエラ様。ナイトレイ伯爵様は、あなたの父君について報告するために判事のもとへ行く途中でしてよ」

「報告……?」


 けげんな表情で腰を下ろすティエラに、ダークは一礼した。


「こんにちは、レディ・ロックホームズ。俺は、警察が管理している報償金について調べていたのです。君の父君である署長は報償金の一部を横領おうりょうして、受取人には額面より少ない金額を渡していたようですね。俺が何度も警察署を訪れたのは、その証拠を手に入れるためでした」


 ダークは、マントの下から紙の束を取り出して、扇のように開いた。

 伝票の写しや、署長名義の領収書、報償金額の通達書といった、横領の証しだ。


「君の父君は、犯罪者からの賄賂わいろは率先して受けとるわ、マスコミへの根回しはするわと、かなりあくどいことをしていたようですね。横領に加担させられた警官が手伝ってくれたので、証拠は容易たやすく集まりました」

「お父さまが横領を指示していたって……信じられないわ。どうして、そんなことを伯爵さまが直々に調べているんですの」

「どうしてって……そんなことも分からないのかい?」


 ダークが不思議そうに目を見開いたので、ティエラは固まった。

 まさか自分の無知を、自分が手玉に取ろうとしている男に指摘されるとは思わなかったのだろう。


「ティエラ様。報償金は貴族が善意で出していますのよ。ですから、受け取り人や金額については報告義務がありますの。その報告を取りまとめる役目を、ナイトレイ伯爵様が担っているのですわ」


 ヴィクトリア女王が手を回している場合でも、受け取り人である私の名は報告されている。

 永代貴族の血脈を継いでいる私は、報償金を渡してもいいクリーンな人物だと貴族たちからお墨付きをもらっているのである。


「横領して作った金で爵位を買われたとあっては、貴族への冒涜ぼうとくですから、俺は独自に調査をしていたのです。探偵みたいで楽しかったですよ」

「知らなかったわ。わたくし、なにも……」


 ティエラは戸惑うが、貴族社会で『知らなかった』なんて理由は通らない。

 貴族の家に生まれた娘は、どんな深窓の令嬢だって、礼節をはじめ、季節ごとの手紙の書き方、使用人の動かし方まで厳しく叩き込まれる。

 貴族の血脈は、隅々までとうぜん暗記。

 仕事内容、交友関係は都度アップデートしていく。

 上下関係を知らなければ、失礼を働きかねないからだ。


 だが、ティエラの目には、貴族が血の滲むような努力をしてその地位にいることが見えていなかったようだ。

 豪勢な生活のほうにばかり目を奪われていたのだろう。


「貴族は、ティエラ様が想像しているよりも、ずっと険しい人生を送っていますのよ。己の地位は己で守らなければならないのです。飢饉で領民が困れば税をとらずに彼らの暮らしを守りますし、戦になれば領民は貴族の下について戦力になります。あなたには、これが上下関係に見えているかもしれませんが相互関係なのです。貴族でもないのに貴族の役割をする者が現れては混乱しますから、貴族は貴族らしい態度、貴族らしい環境で、権威を保たねばなりません。贅沢をしているように見えるのはそのためです。けれど実際は、権威を守るために借金を重ねて、結果として家がお取りつぶしになる貴族もいるくらいですのよ」


「爵位に守られているようで縛られている。それが貴族。であるからして、民からの信頼を損なうような不届き者は排除しなくてはならないというのが暗黙の了解なのです。ご理解いただけましたか、レディ?」


 ダークが笑いかけると、ティエラの大きな瞳が揺らいだ。

 あ、泣きそう。

 私が思った矢先、大粒の涙がボロボロとこぼれだす。


「お父様は悪いことをしたかもしれません……。けれど、親が罪をおかしたら娘まで幸せを奪われなければならないのですか? わたくしが脅迫状を作ったのは、自分の未来を守るためです。先日まで庶民だったわたくしが幸せになるためには、伯爵さまに気に入られなければならなかった。他の令嬢を遠ざけるのに必死だったのですわ……! この気持ちを分かってくださるでしょう。皆さん!?」

「…………」


 呼び掛けられた令嬢たちは、誰もティエラの方を見ない。まるで彼女がそこに存在しないかのようだった。

 ティエラは、今までのしおらしさを打ち消す勢いで叫び散らした。


「なんで誰も目を合わせないのよ! あんたたちは生まれた家が裕福なだけで、令嬢らしい真心なんてこれぽっちもないのね。これでわたくしが路頭に迷ったら、あんたたちのせいよ!!」

「路頭に迷うことはなさそうですけれど」


 私がもらすと、ティエラは目をすがめた。


「なんですって?」

「ティエラ様は、男性を虜にするのはお得意なのでしょう?」


 私は、ダークに目配せして、例の雑誌を引き取った。

 手にするのも気持ち悪いが、この場で怯んだところは見せられない。


「モデルの才能もおありのようですし!」


 意を決して雑誌を広げると、令嬢たちから悲鳴があがった。

 箱庭のような家庭でわいせつ画像と無縁むえんに生きてきたのだから、オーバーなくらいの反応は当たり前だ。


 だが、令嬢たちにも少女らしい好奇心は備わっている。

 ひとしきり騒いだのち、紙面で卑猥なポーズを取っている『メアリアン』がティエラと同じ顔をしていると気づいて、興味深そうに寄ってきた。


「お顔立ちが同じだわ……。ティエラ様、これはあなたですの?」

「ち、ちがうわ。メアリアンって名前が付いているじゃない! 別人よ!!」

「俺が調べたところによると、『メアリアン』はレディ・ロックホームズの芸名だそうですよ。ご令嬢が見ていい雑誌ではありませんから、俺が預かります」


 ダークが雑誌を引き抜いてくれたので、私はほっと胸をなで下ろした。

 雑誌をぶらさげていた指が気持ち悪いから、あとで念入りに手を洗おう。


 令嬢たちは、目新しい花が閉じてしまったあとも、ミツバチみたいに集まって談義をつづける。


「署長の娘が違法雑誌のモデルだなんて。警察は何をしているのかしら」

「きっと買収されているんだわ。賄賂って、犯罪を取りこぼしてもらうために渡すんでしょう」

「お父様に進言しておかなくちゃ。変な人間と付き合って、家名にきずがついたら大変ですものね」


 口々に上がる拒絶の言葉。ティエラには軽蔑けいべつの眼差しが送られる。

 追い詰められたティエラは、私が詰問きつもんしなくても、口をひらいた。


「お、お金が必要だったのよ。ドレスもアクセサリーも高価だもの。貴族につり合う人間になるためには、違法雑誌のモデルだってしなくてはならなかったの。分かってくださいますよね、伯爵さま!」


 ティエラに駆け寄られたダークは、ふっと微笑んだ。


「申し訳ありませんが、理解しかねます。レディ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る