エピローグ
† † きっと誰しも愛されたい † †
私は、呼吸を整えてマデリーンの眠るベッドに手をかざした。
「どうか、彼女の眠りを解き放って」
唱えると、胸元の
それから、ほどなくして彼女は目覚めた。
「あなた……だれよ?」
寝ぼけ眼で問われて、苦笑するしかなかった。覚えていないような相手の陰口を叩いたせいで、彼女は永遠に眠り続けるところだった。
口は災いの元とはよく言ったものだ。
「マデリーンっ!」
サイラント夫人は、やせ細った娘をかき抱いて泣いた。
私は、二人の邪魔をしないように、そっとベッドを離れた。
† † †
「眠り姫は全て目覚めさせたわ。あなたからもらった『烙印』の能力のおかげで」
私は、清められた王宮の回廊を、腰の低いメイドの案内で進みながら言う。
足元に差す午後の陽光は、初夏の熱さを含んでいる。
衣替えを終えて、衿と袖がチュールになったドレスは、羽のように軽い。
となりを歩くダークは、麻素材のディットーズで都会人をきどっている。
「俺のおかげじゃないさ。烙印を焼き付けられるときに、『能力の解除』なんて珍しい力を願った、きみのお
「だけど『
私の能力では、ジャック、ダムとディー、リーズに焼き付けられた悪魔ベルナルドの烙印を消すことはできなかった。
彼らは、薔薇の悪魔に囚われながら、死からよみがえった罪人として、地獄に落ちるまでの余生を送るしかない。
もちろん『アリス』もいっしょに。
私たちは小高い丘に案内された。
黄色いタンポポと桃色のゼラニウムは花畑を彩り、木陰には密やかなツユクサが風に揺れる。
おおよそ都会的ではない、豊かな自然が広がる、気持ちのいい空間だ。
丘のうえには、大きなパラソルが設置されていた。
その下のテーブルには、便箋に熱心に目を通す女性がいる。
落ち着いた面差しは、賢明な老君のそれだ。
涼しげなストライプドレスの胸元には、未亡人が身につける
女性は、従者に耳打ちされて、ようやく顔を上げた。
「まあ、珍しいお客さまだわ」
「ヴィクトリア女王陛下。拝謁、しごく光栄に浴します」
私がスカートを持ち上げ、丁寧に膝を曲げる。
上流階級の頂点に君臨する相手なのだから、出合い頭にはこれが普通だ。
しかし、ダークは、街ですれ違った顔なじみにするみたいに、軽く帽子を上げた。
「やあ、ヴィッキー。今日も綺麗だね」
「ヴィッ?」
私は非難の目をダークに向けた。いくら相談相手の役目を仰せつかっているとはいえ、女王陛下にその挨拶はないだろう。
さぞやお怒りだろうと思ったが、女王は、なぜか両手を頬に当てて感激していた。
「アリスに、ダー君じゃないの! 二人とも、可愛い恰好で来てくれて嬉しいわ!」
「だ、ダーくん?」
戸惑いっぱなしの私に、ダークは、小声で説明をくれる。
「王宮での暮らしに退屈してしょうがないとおっしゃるので、少々変わったゲームをしているんだ。この丘では敬意を払わず話していいことにしよう、とね。彼女を愛称で呼ばないと、名前の前に耐えがたい蔑称を付けられる。ちなみに、俺が一番こたえたのは『変態ダー君』だった」
「それは残酷な……。あなたたち、幼児退行でもしてらっしゃるの?」
ドン引きする私を後目に、女王は二人分の椅子とお茶を持ってくるように命じる。
「タイミングがいいわ。ちょうど、ダー君が送ってくれた、眠り姫事件の
女王の手元の便箋は、ダークが書いて送ったものだったらしい。
さっそく運ばれてきた椅子に腰かけた私は、緊張ぎみに声を発した。
「女王陛下。眠り姫事件の犯人は、闇に葬りました。ナイトレイ伯爵の助力はありましたが、結果的に解決したのは、私たちリデル
「そのようね。この事件がきっかけで、二人は結婚の約束をしたのよね。アリスが『烙印』を受け入れる覚悟をしてダー君のキスを受け入れるくだりなんて、興奮して眠れなくなってしまったわ!」
推しの新スチルを見た少女のように身をよじる女王に、私は嫌な予感がした。
「あの、どうも私が解決した事件とは子細がちがっているようなのですが……。その書簡を見せていただいてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ! こんな
「こ、これは……」
女王に手渡された手紙を読んだ私は、卒倒するかと思った。
事件を解決するまでの一連の流れが、私とダークの恋模様に重きをおいた、乙女ゲームのように書かれていたからだ。
「どういうことなの、ダーク!」
「何てことはないさ。俺は美貌だけでなく、文才も持ち合わせていてね。筆がのって大恋愛超大作になってしまったというだけだよ。だが、内容のねつ造はしていないよ。君との出会いから、駆け引き、事件に巻き込まれての急接近までを、少々華やかに表現しただけで」
「華やか? 華やかですって?」
私は、ダークの襟元をつかんで、反対の手で書面を顔に突きつけた。
「ここの『夜会で初めてのキス』って、私があっち向いてホイ方式で騙されたやつでしょう! 『一目で引かれ合った二人は、お互いの熱を伝え合うように唇を合わせ……』って表現するのは、ねつ造以外のなにものでもないじゃない!!」
「まあまあ、落ち着いて。ヴィッキーはお気に召したようだよ。ね?」
ダークが笑いかけると、女王は桃色に染まった顔を縦になんども振った。
「素晴らしい完成度よダー君。このまま本にして売ってほしいわ! あ、その前に結婚式よね。どんなドレスで行こうかしら?」
どうやら重大な誤解をされている。
私はダークをつかんでいた手を離して、必死に主張した。
「陛下! この婚約は犯人を陥れるためにでっちあげたことで、本気じゃないんです!」
「照れなくってもいいのよ、アリス。危機が男女を結びつけるのはよくあることなのよ。事件でのドキドキ感が、本物の愛へと変わる……。ときめくわぁ!」
「ヴィッキー、あまりからかわないでくれ。アリスは照れ屋なんだ。だけど、本気になると情熱的でね。契りを交わすときも、かわいい顔で
「ダーク、変な言い方をしないで! 烙印の話でしょう!?」
「あれ、キスの話じゃなかった?」
悪びれないダークの笑みに、私は顔を真っ赤にして
見ていた女王は、クネクネと体を揺らす。
「きゅんきゅんするわ! メイドたちにも見せてあげたい!」
「ど、どこに行かれるのですか、女王陛下っ!」
「ちょっと人を集めてくるわ~っ!」
私の呼び止めもむなしく、女王は長いドレスをたくし上げて、丘を駆け下りて行ってしまった。
あの調子では、まちがいなく婚約について言い触らされるだろう。
王宮に伝われば、社交界まで噂が広まるのに時間はかからない。
「なんてこと……。なにもかも、あなたのせいだわ!」
頭をかかえる私に対して、ダークは「いいじゃないか」と上機嫌だ。
「烙印を与えて、魂を預かる契約をしたわけだから、婚約したも同じだよ。本当はそんなものなしに、君とかかわりたかったな。多分、ベルナルドも同じ気持ちで、きみには『烙印』を押さなかったんだと思うが――」
「烙印を与えれば、相手とのつながりができるのに……?」
不思議に思う私を、ダークは愛おしそうに見つめてくる。
「どうせなら、相手の意志で、好きになって欲しいじゃないか」
「私の意思」
私は、なぜベアが『烙印』を与えなかったのか、その
ベアは、私からの愛が欲しかったのだ。
烙印で手っ取り早く言わせる睦言より、自発的な感情を望んだ。
愛を知る悪魔だったのだから、彼は。
「……馬鹿なひと」
そう不満を口にできるぐらいには、私はベアを家族として愛していたのに。
ダークは、紅茶を一口飲んで、「さて」と話題を変えた。
「俺たちの婚約の話だ。女王陛下たるヴィッキーの承認があれば、どんな貴族も反対できないと思うんだけど、お披露目はいつにする?」
「しません。婚約は成り行き上、仕方なくしただけです!」
「強情だなあ。このムードに流されておいでよ。幸せにするから」
「けっこうよ。私には、まだまだやることがあるの」
これがダークの個別ルートらしいことは諦めがついた。
問題は、乙女ゲームのボリュームからいって、これが裏ルートの序盤に過ぎないということだ。
つまり、ダークと恋が進めば進むほど、『アリス』の命は脅かされる。
私は、ポシェットから拳銃を取りだして、ダークの脳天につきつけた。
「私はリデル
きっぱり告げると、ダークはサファイアの瞳を愉悦に細めた。
「そんなことして、後悔しないかな。君、意外と俺のことが好きなのに」
「好きだなんて、言った覚えはないわ」
「烙印を押すときに、キスをしたから分かるよ?」
指摘されて、私は再び真っ赤になった。
「人の心を読むなんて、卑怯ものーっ!」
つかんだ書簡でバシバシ叩くと、ダークは声を上げて笑った。
夏は目前。つぎの事件が起きるまでの短い平和は、ままならない初恋に振り回されて終わりそうだ。
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