5 幸福なる食卓

「甘すぎる。これじゃ、クロテッドクリームもジャムも付けられない」


 リデル男爵家の屋敷。その温室で、不満げにスコーンにかぶりつくのは、長テーブルの中央席についたジャックだ。


 当主席に『アリス』の姿はない。

 休むのが遅かったようで、まだ眠っている。


 空席の両側に座ったトゥイードルズは、蜂蜜をたっぷりかけたシフォンケーキにご満悦。

 ジャックの向かいにかけたリーズは、昼時になるというのに眠いらしく、湯気を立てるコーヒーカップを握ったまま欠伸した。


「ふあぁ。夜勤明けはつらいわー。年かしら?」

「「おつかれ、リーズ!」」


 声を揃える双子に、リーズは誇らしげに片手をあげた。


「ありがとう、二人とも。二人とお嬢の眠りを守れたなら幸せよ」


 リデル・ファミリーには、持ち回りで夜勤がある。

 屋根のうえの見張り台に立ち、決まった時間に屋敷を巡回して、侵入者に備えるのだ。


「一晩、何事もなくてよかったわー。お嬢のところに、夕方の『暴漢』が来るんじゃないかと心配してたの」

「暴漢な……」


 ジャックは、昨日の出来事を思い返した。

 昨日、アリスの部屋に暴漢が出た。

 拳銃で追い払ったアリスは、暴漢の落とし物を拾うとすぐに行き先を決めた。


 ナイトレイ伯爵を得意先にしている、オーダー制紳士服の仕立て屋だった。

 そこで、アリスは伯爵について、それはそれは熱心に聞いていた。

 

 彼女の真剣な表情を思い出すと、ジャックの胸がざわつく。


「……お嬢は、どうしてナイトレイ伯爵のことを知りたがるんだ?」

「簡単じゃないの。『眠り姫事件』を解決するために必要だからよ」


 リーズが、フォークを叩きつけて、リズムよく食器を鳴らす。

 行儀が悪い。それ以上に、ジャックは彼の物言いが気に障った。


「事件の解決に必要なのは、『犯人』につながる情報だろ。伯爵は関係ない」

「関係あるんじゃないかな、アリスの人生に」

「関与したいんじゃないかな、アリスの心が」

「……どういうことだよ」


 不機嫌になったジャックに、ダムとディーは大人びた口調で言う。


「ダーク・アーランド・ナイトレイは、高身長の美青年だよ」

「ダーク・アーランド・ナイトレイは、資産家で爵位もちだよ」

「だからなんだよ。お嬢は、あんな男に恋するような人間じゃない」


 リデル・ファミリーの当主は、孤高でなければならない。

 信じれば裏切られる。その先にあるのは死だ。


 それは、アリス自身が一番弁えていることだ。

 だからジャックは、彼女が世間一般の少女と同じく淡い恋に身を投じているなど考えたくなかった。


「オレたちが一番大切にしているように、お嬢もオレたちを一番大切に思っている。そういう関係だろ、オレたちは……」


「ジャック、ライバルほど魅力的に見えるものさ」

「ジャック、だれにだって恋わずらいはあるさ」

「恋なんかじゃない。オレは、そんな浅いところで、お嬢を想っているわけじゃない」


 ジャックは、険しい表情で手を握りしめた。


 肌の下に潜んでいる『烙印スティグマ』がうずく。

 じりじりと火が燻るのは、両手の甲ではなく心の方だった。


 ジャックは、アリスのためなら命だって捨てられる。

 彼女をよみがえらせるために、地獄に落ちる覚悟をして『悪魔の子スティグマータ』になった。『烙印』を焼き付けられたときも、彼女だけの騎士になったような優越感さえあった。


 アリスのために、自分の全てを費やそう。

 けれど、守りたい想いはいつしか醜い欲に変わった。


 アリスから一番に必要とされたい。

 眠れぬ夜に呼ぶのが自分であって欲しい。

 笑いかけるなら他の誰でもなく自分に。


(主人相手にうぜぇ期待をしてんな、オレは)


 愛を欲しがるなんて身の程知らずだ。

 そう思うのに、ジャックはアリスへの気持ちを止められなかった。


 だから、ジャックの『アリス』は恋をしてはならない。

 もしも彼女が恋をした相手が自分でなかったら、いつか彼女のまっさらな肌を、素直な瞳を、清純な心を、憎しみの炎で焼き尽くしてしまうだろうから。


「三人とも、まだお嬢が恋をしていると決まったわけではないわよ。それにしても、お嬢ったらお寝坊さんね」


 リーズの言葉にはっとして柱時計を見ると、もうすぐ昼の十二時になろうという所だ。


「「起こしてこようか?」」

「双子は、いっしょに二度寝しちまうだろ。オレが行く」


 ジャックが立ち上がると同時に、温室の扉が開いた。


「子供たち、おいしいパニーノができたぞ!」


 現れたのは、コック帽を小粋にかぶったベアだった。

 彼は、イタリア語のパニーノ――サンドイッチの大皿を器用に三つも運んできて、テーブルへ並べる。


「具は、オリーブ実とオニオンのクリームチーズ、ローストビーフのアスパラ巻き、ゆで卵とピクルスのペッパーだ。デザートには、ベリーとホイップチョコレートのミルフィーユサンドを召し上がれ!」

「「わーいっ!」」


 盛り上がるテーブルを離れるジャックに、ベアは不思議そうに声をかけた。


「ジャック、食べないのかい?」

「お嬢を起こしてくるだけだ。すぐ戻る」

「起こす必要はないさ。アリスは今朝方に入れ違いで出て行った。散歩だそうだ」


 ベアの言葉に、ジャックは盛大に顔をしかめた。


「すれ違いって、何時間前の話だよ」


 ジャックの記憶では、朝食の支度をしに起きたときには、すでにベアが台所を占領していた。

 時刻は六時過ぎだったはずだ。


「たしか、朝の五時前だと思ったなあ。おいしいベリーが手に入ったから、気合を入れてタルトを作ると話したら、アフタヌーンティーを楽しみにしていると言っていたぞ!」


 そう聞いた途端、ジャックは舌打ちした。

 双子とリーズも、顔色を変えて立ち上がる。

 一人だけ訳が分からないと言いたげなベアが、両手をオーバーに広げた。


「おやおや、みんなでどこへ行くんだい?」


 壁に立てかけたサーベルを掴んだジャックは、苛立たしげに答える。


「五時間も散歩するわけないだろ! アリスを探しに行くっ!!」


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