6 黄金の偽王宮

 私は、潜り抜けられそうなほど大きな姿見の前で、わなわなと震えていた。


「どうして着替えなければならないの……。よりによって、こんな衣装に!」


 私が身につけているのは、アラビアンな踊り子風の衣装だ。


 白いビスチェは丈が短すぎて、隠しきれないお腹がスース―する。

 羽織ったマーガレットは薄布で出来ていて、目を凝らさなくても肌が透けている。ゆったりともたげた袖は飾りでしかない。


 腰に巻いた布は斜めにスリットが入っている。

 いくらフリル仕立ての下ばきを履いているとはいえ、勇気のいる格好だった。


「もうすこし肌が隠れる衣装はありませんか?」

「申し訳ありませんが、ここにロングスカートはございませんの」


 着付けてくれた女性は、カラカラと明るく笑いながら、私の腕に、首に、手首に、ドロップ型にカットした宝石が鈴なりについたアクセサリーを巻いていく。


「よくお似合いですわ。これは我らが主、ナイトレイ伯爵が選ばれた衣装です。気に入ってくださるでしょう」

「ダークの……」


 彼の名を聞いた瞬間、私の恥ずかしさは苛立ちに変わった。


「なにもかも、あの人のせいだわ!」



† † †



 隠し部屋から、真っ逆さまに落ちた私は、屋敷の下にあった地下水路に飛びこんだ。

 ダークに支えられながら真っ暗な水流にのって、晴れた空が見えたと思ったときには、ナイトレイ邸からずいぶん離れた川のほとりだった。


「うかうかしていると警察ヤードに見つかるわ。なんとかしてリデル邸に行きましょう」


 岸に上がり、水を吸って重たくなったスカートを絞りながら言うと、ダークは帽子についた水滴を丹念に払いながら答える。


「心配ないさ。ワンダーランドへの道は開いている」


 彼が手で示した堤防の上には、馬車が一頭待っていて、手綱を持った御者がキャップを上げて会釈した。

 それは、ナイトレイ伯爵家で家令をしているおじいさんだった。


 馬車に乗った私は、ずぶ濡れのまま引き回されて、着いた先がここだった。



† † †



「ダーク、着替えはすみまして!?」


 私は、金色に塗られた扉を開いて、ダークが待っているという部屋に入った。


 天井から白い布が無数に垂れさがり、床で妖精の寝床ねどこのように広がっている。

 左右に立つガラス製の円柱は、熱帯魚の泳ぐ水槽すいそうになっていて、あちこちに置かれたランプの明かりを反射している。


 床や壁に映った水影すいえいの揺らめきに重なるように、甘やかなダークの声がひびいた。


「やあ、アリス。入っておいで」


 部屋の奥で一足早くくつろいでいた彼は、アラビアンナイトに出てくる王様のような衣装だった。


 光沢のある絹の長衣に金のベルトを巻き、腕にはブレスレットを巻いて、頭には薄布をかけて黒い輪で押さえている。

 私がプレイヤーだったら、推し変してもおかしくない格好良さだった。


 乙女心をざっくりと刺された私は、顔をふせて悶絶する。


(どうせ新規スチルなんでしょ! この衣装がグッズ化されたら、人気爆発して発売前に早期終了するんでしょ!! 見なくても知ってるんだから!)


 もしも前世で事故にあっていなければ、公式サイトで迷いなく予約する自分の姿が想像できる。

 悔しくなった私は、乱暴に扉を閉じた。


「これは、あなたのご趣味?」

「まさにワンダーランドだろう? 砂漠の王宮をイメージして作らせたんだ」


 ダークは、実業家としても名高く、古い建物をリニューアルしては商業的に活用している。


 ここは、外観だけなら英国のどこでも見られる石造りの古いビルだ。

 中に入らなければ、アラビアの王宮風の内装だとは分からない。


 シャンデリアから落ちる光が、調度品や水槽に乱反射して、影を四散させているので、帽子がなくてもダークの影に現れる角は目立たない。


(だからといって、どうして私までコスプレしなければならないの……)


 納得いかない表情でそばに座ると、ダークは不思議そうに覗きこんでくる。


「どうして怒っているんだい?」

「あなたの趣味に呆れているだけよ。お茶をするために、わざわざ着替えなければいけないなんて、変な店だわ」


「調度品に凝ったくらいじゃインパクトに欠けるだろう? 雰囲気にひたるためには装いからが俺のモットーだからね。お客様には、アラビアン風の衣装を貸し出してるのさ」


「それは顧客にでしょう。私たちまで変装する必要はないはずよ!」

「木を隠すには森のなか。こうでもしなければ俺の高貴なオーラは潜めやしない!」

「あなた、正気?」


 思わず呆れ顔になる私に、ダークは盆から取り上げたドリンクを渡してくる。


「アリス。俺はいま追跡される身だ。楽しめなくては参ってしまうよ」

「追われているのは、あなただけだわ」

「そうだね。でも、君は俺といっしょに来てくれた……。うれしいよ」


 宗教画の天使のようにあどけなく笑われて、私はぐぐっと言葉につまった。


(悪魔なのに、天使みたいに笑うから厄介やっかいなのよ!)


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