5 おいでませリデル男爵家へ

 ダークを連れた私は、ジャックが呼んだ辻馬車ハンサムキャブに乗って、自宅へと向かった。

 まばらに落ちる雨粒が、馬車のほろをたたく。その音だけが、会話のない車両にひびく。


 やがて見えてきたのは、先端がハート形になった鉄柵に囲まれた、小高い丘だった。


 その頂上に建つ、褐色かっしょくレンガのこぢんまりとした屋敷がリデル邸だ。

 壁肌には緑のツタがい、庭の薔薇垣ばらがきでは大きな赤い花がいくつも開いている。


 私に続いて馬車を下りたダークは、辺りを見て目を輝かせた。


薔薇屋敷ローズハウスか! どれも真っ赤で美しいね」

「ナイトレイ伯爵邸では、青薔薇を配っていましたわね」

「変わっているだろう? 白い花に青い染料を吸わせて染めたのさ。青薔薇は、あまりの美しさに神が嫉妬しっとしたせいで、自然には作れないって聞いてね」

「禁じられたものに手を出すのがお好きなのね」


 あきれつつ、ジャックが開けた正面玄関から屋敷に入る。


 二股の大階段があるホールには、敷いた真紅の絨毯じゅうたんにそって等間隔に天使の彫像ちょうぞうを置いてある。

 天使は、それぞれに水瓶みずがめや弓をたずさえて、玄関からの客に笑いかける。


 シャンデリアを吊った天井に描かれているのは、青空を背に愛らしい天使たちが笑う天界図てんかいずだが、四方からとげのあるいばらが伸びている。


 色彩に圧倒されたらしいダークは、天井を見上げたまま絨毯のうえを進む。


「珍しい天井絵だね。表のツタ薔薇が伸びてきているみたいだ」

「そこは危なくてよ」

「ん?」


 ダークが振りかえった瞬間、彼の頬を矢がかすめた。

 タスッと音をたてて壁に刺さったのは、先ほど天使がかまえていた弓から放たれた物だった。


「てっ、天使に撃たれた?」


 突然のことに硬直こうちょくするダークに、私は淡々と説明していく。


「この屋敷には、侵入者に備えて仕掛けを施してありますの。知らずに絨毯の上を歩いたなら、あっという間に穴だらけになりますわ。そこからすこし中央に進むと――」

「こうかい?」


 ダークが言われた通りに進むと、床がわずかに下がり、アイアン製のシャンデリアが落ちてきた。

 彼は「うわっ!」と悲鳴をあげつつ、間一髪かんいっぱつでよけて転がる。


「このように、シャンデリアが落下してきますの。他にも、大玉が転がってくる廊下や、床が抜けて地下牢ちかろうに落とされる書斎しょさいもあります。ごらんになりますか?」


 ダークは、シャンデリアに押しつぶされて真っ二つになったステッキを放り投げた。


「命が惜しいから遠慮えんりょしておくよ。素晴らしいお屋敷だが、こんな仕掛けがあってはホームパーティーを開くのに骨が折れるだろうね」

「開いたことはありませんし、これからも開かないので問題ありませんわ。この屋敷の仕掛けは、私が生まれてすぐに建造されたものです。これは、教訓なのですわ」


 私は、頭に入っている安全な道筋みちすじを通ってダークに近づき、手を貸した。


「――『死がとなりにあるのをゆめゆめ忘れるな』。リデル男爵家は、代々たくさんの罪人をほうむってきました。ゆえに、人に恨まれることも多々あったのです」


 ガラガラと音を立てて自動的に昇っていくシャンデリア。壁に刺さった矢は、あとで引き抜いて天使に戻さねばならない。

 ダークは、一つ一つの装置を気にしながら立ち上がる。


「身を守るために、あえて危ない仕掛けを施したんだね」

「ええ。こういう家ですから、私は友達なんて作ったら裏切られて殺される。そう教わってきました」


 ゲームの中の『アリス』は悲しいほどに孤独だ。

 ジャックたちがいなければ、一人ぼっちの主人公である。


 胸の奥でさざめく寂しさに目を伏せると、ダークの静かな声が降ってきた。


「君は『ともだち』がいないの?」


 語尾がいささか厳しかった。

 なぜダークが怒るのだろうと、私は眉をひそめた。


「そう言っているでしょう」

「そうか……。だが、君も先代のように生きなければいけないなんて決まりはないはずだ。この家に生まれたというだけで、友達も作れない、パーティーも開けない。そんなの不幸じゃないか」

「不幸……?」


 私はダークの言葉をみしめるように繰りかえした。


 ただのあわれみだ。それなのに、見ないようにしてきた現実を鼻先に突きつけられた気がするのはなぜだろう。


「何をおっしゃっているのか分かりかねますわ。貴族の家に生まれたなら、親がしてきた通りの人生をぐのが当然でしょう」


 財産を相続するように、貴族の生業なりわいもまた、次の代へと受け継がれていくものだ。


「あなただって、伯爵を継いだはずだわ。私の生き様も同じよ」

「違うよ、アリス。君は、女王陛下のお考えのもとで、女性貴族にはじょされなかった。男爵家を名乗ってはいるが、次の代になる男子が現れるまで返上してあるんだろう。それなら黒幕家業くろまくかぎょうだって継ぐ必要はないんだ。ただの令嬢として、自分の幸せを追い求めたっていいんだよ」


「アリス。俺に、君を幸せにさせてほしい」


 そう言って、髪の先にキスを落とした。


 もどかしい触れ合いに、私の口から柔らな息がもれる。

 ダークに触れられると、かたく結んだ覚悟が溶けてしまいそうだ。


 血と闇に身をひたしながら、大切な家族ファミリーとともに、この国に寄りそって進んでいくと決めたのに。 


「――ともかく。警察に解決を求めるような平和主義のあなたと、私たちリデル男爵家ファミリーは、事件に対する気構えがちがいますの。降参こうさんなさったらどうかしら?」

「気構えなら負ける気はしないし、平和主義というわけでもないんだけどな」


 素っ気なく髪を引き抜くと、ダークはちらりと窓を見た。

 私もその先を見やると、ちょうど空に稲光いなびかりが走った。


「本降りになってしまったようだ。雨が弱まるまで、お茶をご馳走ちそうになってもいいかい?」

「分かりました。急いで支度をしてちょうだい、ジャック」

「かしこまりました。ナイトレイ伯爵、上着と帽子を――」


 ジャックが背中側にまわって上着に手をかけると、ダークは険しい顔になって振り払った。


「帽子も上着もこのままで結構けっこう。下がりたまえ」

「……失礼いたしました」


 丁寧な言葉づかいに反して、ジャックはダークを一にらみしてから屋敷の奥へ消えて行った。

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