第三章 恋する眠り姫抗争

1 酷な眠りはとつぜんに

 ケープ付きのコートを羽織った私は、見覚えのない廊下を進んでいた。

 後ろから、執事服みつぞろいをきっちりと身につけたジャックが気だるげについてくる。


 私たちを先導せんどうするのは、衿の詰まったデイドレス姿の夫人だ。

 カツカツという足音は力なく、丸めた背には哀愁あいしゅうただよっている。


「マダム・サイラント。お嬢さまは、ナイトレイ伯爵家の夜会から帰ると、すぐに自室に戻られたのでしたわね?」


 声をかけると、夫人はとある一室の前でぴたりと足を止めた。


「ええ。熱っぽいと訴えたので、薬を渡して休むようにいいつけました。そのあとすぐに悲鳴が聞こえて、駆けつけたら……このように」


 夫人が開けた扉の向こうには、レースの天蓋てんがいを引いた立派なベッドがあった。

 そのうえで、一人の少女が昏々こんこんと眠っている。


 彼女は、『眠り姫事件』の新たなる被害者。

 紡績会社ぼうせきがいしゃを経営するサイラント家の一人娘マデリーン。


 夜会で私の陰口を叩いた、貝殻かいがらイヤリングの令嬢だ。


 じつを言うと、私は彼女がこの事件の犠牲ぎせいになると知っていた。

 攻略キャラクターの個別ルートに入って、すぐに起きるのがこの『眠り姫事件』だからだ。


(だけど、実際に目の当たりにするとスカッとはしないものね……)


 こういった展開は、悪役令嬢が出てくる乙女ゲームにはよくある。


 主人公をいじめたり、おとしめたりした首謀者の令嬢が、めぐりめぐって身をほろぼす。


 ざまぁみろ!という気分になることから『ざまぁ展開』と呼ばれ、これを楽しみにプレイしている層もいるくらい人気があるのだが……。


 他人の不幸は蜜の味とは言うけれど、こんな状況で高揚こうようできるとしたら、その人の神経が異常だ。

 私は複雑ふくざつな気持ちでベッドに歩み寄った。


「よく眠っていらっしゃいますね」


 夜会で招待客に渡された青薔薇は、陶器とうきの一輪挿しに生けて、サイドチェストに飾られている。

 側には外した貝殻イヤリングと、ブラウンガラスの小さな薬瓶やくびんがある。


「変な物音はしませんでしたか?」

「特に気になる音は聞こえませんでしたが……。悲鳴のまえに、窓が開く音を聞いたものがいました。けれど、使用人が駆けつけたときには、窓は閉じていましたし、誰も部屋にはおりませんでした」


 ガラス窓は、上下にてするタイプで、内側からでなければ開けられない仕組みになっている。

 私は、チラリと窓の下をのぞいた。


「ここは二階だけれど、落下防止の半柵セーフがついているから、ロープをかければ登れないこともないわ……。あら、これは何かしら?」


 私は窓枠に真新しいきずを見つけた。

 細くこそぎとられていて、白い中木なかぎが見える。


 マデリーンの指先を確認すると、爪の間に木くずが挟まっていた。


「お嬢さまがひっかいたようですね……」


 私は、目の前の事実を脳内のうないで組みたてていく。


「夜会から帰りついて、ネグリジェに着がえたマデリーンは、薬を飲んで早々にベッドへもぐったはずよ。そこでイヤリングを外し忘れたことに気づき、ひとまず置いておこうとサイドチェストに手を伸ばして、窓をこじ開けようとする侵入者を見たのだわ……」


 話しているうちに、だんだんと私は事件の顛末てんまつを思い出した。

 

 眠り姫事件は、一見すると密室で起こったように見える。

 しかし実際には、マデリーン自身が、窓の外にあらわれた秘密の恋人を引き入れていたのだ。


 その恋人は、イーストエンドをねぐらに窃盗せっとうを繰り返している悪い男だった。


 男は、部屋に引き入れてもらったあと、嫌がる彼女に薬を大量に飲ませて、金目のものをあさろうとした。

 だが、悲鳴に気づいた家族がすぐに駆けつけたせいで、何も取れずに窓から飛び降りるはめになったのだ。


 窓は上下に開くので、上に寄せられていた窓は、自然に下りる。

 これで密室は完成だ。


(男は、同じ手口で幾人もの令嬢から盗みを働いていたけれど、彼女たちの保護者は屋敷に警察ヤードが入るのを嫌がって、泥棒どろぼうが入った事実を認めなかったのだったわね)


 これは、物盗ものとりの犯行だと結びつかなかったの事件なのである。

 冷静に分析ぶんせきする私に、夫人はとり乱してすがってきた。


「レディ・リデル、教えてください! どうやったらこの子は目を覚ますのですか。警察は眠っているだけだと軽く見て、ろくに対応してくれないのです!」


「落ち着いてください、マダム。犯人を見つけ出せば全て解決しますわ」

「では、もしも、犯人が、見つからなかったら?」


 夫人の乾いた唇が震えた。


「それは……」


 ゲーム通りに進めば、リデル男爵家が一丸いちがんとなって犯人の男を見つけ出し、処罰する。

 だが、それを言ったところで信じてはもらえないだろう。

 私は、夫人を安心させるために話題を変えてみた。


「マダム、犯人を捕まえられるかどうかとは別に、お嬢さまを目覚めさせることを考えましょう。お医者さまに診せてみませんか?」


 ゲームでは、ここで医者を呼ぶかどうかの選択肢があらわれる。

 診察を受けさせると、風邪薬のせいで昏睡こんすいしていると判明して、マデリーンを目覚めさせることができるのだ。


 私はこれで解決できると思ったが、夫人は力なく首を振った。


「とっくに診せました。飲んだ薬の影響ではないそうですわ」

「えっ?」


 私は目を丸くして声を上げていた。


「薬で眠っているのではないのですか? 私は、てっきりそうだとばかり……」


 おかしなことに、この『眠り姫事件』は、私が知っている筋書きとは微妙に異なっているようだ。

 ストーリーは私が前世でプレイした『悪役アリスの恋人』そのものなのに、スクリーンの裏側から物語を見ているような違和感がある。


(これ、ダークの個別ルートじゃないわよね?)


 それなら、私はプレイしていない。

 事件の真相など、知る余地よちもない。


 固まっていると、ベッドサイドを調べていたジャックが、何かをハンカチ越しにつかんだ。

 事件を解くヒントがあったのだろうか。

 詳しくは分からないけれど、今は彼を信じるよりない。


「マダム・サイラント。安心してください。犯人は見つけます。お嬢さまのために、無事を祈ってください」


 冷たい手に両手をえると、夫人は涙を一筋こぼした。

 私は、ゲームの登場人物にも親心はあるのだと思った。

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