第二章 対決は過剰装飾《おかし》な伯爵と
1 迎えの青薔薇
赤と黒の二色が美しいドレスに身をつつんだ私は、足元に気を付けながら馬車をおりた。
見上げると、
正面玄関のうえや、庭をかこむアイアン製の門に
「ここが、ナイトレイ伯爵邸……」
下調べした所によると、ナイトレイ伯爵は、ウェールズ地方に広大な領地を持つ貴族だ。
一年のほとんどを城で過ごしているが、『
(ここでは、どんなイベントが待っているんだろう……)
命を
考えると、高いヒールをはいた足が震えた。
進まなくてはならないのに、プレッシャーが
どうして足というのは、たまに言うことを聞かなくなるのだろう。
別に『上に下がれ』だとか『下に上れ』なんて、無茶を命じているわけではないのに。
「お嬢、大丈夫?」
いつまでも踏みださない私の顔を、リーズが心配そうに覗きこんだ。
双子は留守番だ。
といっても休んでいるわけではない。
出払っているうちに屋敷を
四人がそれぞれの勤めを果たしているのに、彼らをまとめる私がしっかりしなければ面目が立たない。
逃げることは許されないのだ。
たとえ心の奥で、逃げ出したいくらいに
「平気。気を引きしめていきましょう」
口角をあげた私は、門灯のしたで招待客を迎えていたおじいさんに近寄った。
「こんばんは。私は、リデル男爵家のアリスと申します」
「お待ちしておりました、リデル様。どうぞ、こちらを」
おじいさんは、
「主から、招待客のみなさまへプレゼントでございます。お付きの方も、魔法の一夜をお楽しみくださいませ」
手の平を屋敷のおくへ向けられて、私はごくりと
この先は戦場だ。
だからこそ、決して弱味は見せられない。
――リデル男爵家の当主として、ふさわしい威厳を。
「はい。お父さま」
頭の中に
† † †
「……拍子抜けだわ」
私は、ほとんど空になったシャンパングラスを手に、招待客の間を歩いていた。
メイン会場である
せっせと動き回るウエイターたちは、こぞってウサギ耳やネコ耳のカチューシャを付けている。コスプレイベントに来たみたいだ。
耳には、人々の間で交わされるジョークが。
目には、
けれど、どこに目を向けても、
顔なじみの貴族に
二十三歳になったばかりだという若い伯爵は、
「伯爵はとんだ変わりもののようね。ほかの誰かを探そうかな……」
モブ一号攻略の気が
近くのテーブルには指でつまめる料理が並んでいるが、ずっと気を張っていたせいで食欲がない。
リーズは「眠り姫事件について聞きこみをしてくるわ」と言って
そばに控えるジャックはというと、ピリピリした様子で懐中時計を何度も確認している。
「会場に入ってから、もう二時間もたつぞ。いつまでも主催者が姿を見せないなんておかしい」
「それもそうね」
貴族の夜会というのは、主催する家の質が試される。
会場が整っていなければ財力は不十分。使用人が
楽しい一夜のうちに、
もしも不備があれば家に
そのため、主催者は、にこやかに客を迎え、飲みものの補充を指示し、積極的に会場を回って雰囲気を良くして、帰りまできめ細やかに気をはらうのが一般的だ。
ナイトレイ伯爵も、せめてこの会場にいなければならないはずなのだが。
「そういえば、私は伯爵のお顔を知らないわ」
貴族の娘が社交界デビューするのは、だいたい十三~六歳だ。
今年デビューした『アリス』は、当然ながら華やかな上流階級に染まっていない。
「いっしょに騒げる友達くらいは作るべきかな……」
前世でぼっち気味だった私に、そんなことができるだろうか。
浅く息を吐いたそのとき、広間の中央にいたピエロメイクの芸人が、口から炎を吹き上げた。
周囲の客の「おおっ」とどよめく声にまじって、短い悲鳴があがった。
高く結いあげられた夫人の髪のてっぺんを、焦がしてしまったのだ。
芸人は平謝りだが、夫人はすっかり怒って、会場から出て行ってしまった。
一連のトラブルにざわつく会場を、私は注意深く見回す。
「伯爵らしき人物は出てこないわね」
「オレが探りを入れてくる。あっちのバカが頼りにならないからな」
紳士とべったりなリーズを
「何かあったら叫べ。オレも戻るし、リーズもすぐに飛んでくる」
「ええ。ジャック」
私は、テーブルにグラスを置くと、両手で彼の頬に触れた。
「深入りしてはダメよ。無事に戻ってきて」
「心配するな。行ってくる」
ジャックは、あっさり背を向けて、会場を出て行った。
一人になった私は、
こうしていれば、後ろを取られることなく、会場中を見渡せるからだ。
初めて立ち入る場所。
集まった身元のしれない人々。
どこに危険が潜んでいるか分からない。
なぜなら私は『アリス』。
死にゲーオブザイヤーを冠した、乙女ゲームの主人公なのだから。
「ねえ、あの血のように赤い髪……。ひょっとして、池に落ちて死にかけたっていうご令嬢?」
「!」
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