魔除の香りはローズマリー

 芽吹きの足音が聞こえる三月。花香りが街ゆく人々に優しさを振りまき、宵闇の月が冴え冴えと月影を街角へ落とす。

 重力を克服した国で、空中道路を車が行き交う。部屋の窓にかけられたレースのカーテンは閉めなくとも、レールにかけておけば、外から見えないという高技術を駆使した作りだ。

 高層階にある大きく豪華な部屋は間接照明でほのかに照らし出されていた。人払いがされており、椅子に座っている男とかがみ込んでヒソヒソと話す初老の男ふたりだけだった。

「……was gone/……ということです」

「I see/そう」

 話を聞いた若い男は気にした様子もなく、短く相づちだけを打った。それに対して初老の男は焦っているようで、前で合わせている手を握る力が強くなる。

「どのように致しますか?」

 問いかけたのに、若い男の視線は手元ばかりを見ている。

「今は動かなくていい」

 涼しい顔をして、書斎机に頬杖をついている若者を、初老の男はさとすように言葉を紡ごうとしたが、途中でさえぎられた。

「お言葉ですが、そちらでは――」

「下がっていいよ」

 若い男は相変わらず頬杖をついたまま、携帯電話でアプリゲームを無表情で適当にプレイしていた。初老の男は反論しようとしたが、

「いや、ですが……」

 若い男の瞳は真っ直ぐ向けられた。聡明な瑠璃紺るりこん色の目は見ただけで震え上がってしまうほど、冷酷非情なもので、さっきとは声色が違い、有無を言わせない強さがあった。

「命令だ、下がれ」

「はい、失礼いたします」

 初老の男は説得をあきらめ、一礼して部屋から出ていった。ドアがパタリと閉まり、若い男はゲームをしながら、机のかたわらに置いておいた時計をうかがい、きっかり一分経ったところで、椅子から立ち上がった。

 窓へと近づいていき、視線と同じ高さにある空中道路を走る車のテールランプが線を引く赤を眺める。

「I will be arrested tomorrow/ボクは明日拘束される」

 さっき部下が話してきた内容はそういうことだった。慌てるでもなく、おびえるでもなく、若い男は近くにあった丸テーブルに乗る長方形のカードの山を見つめた。

「Move to heaven!/神の元へ!」

 ラピスラズリをはめ込んだ腕輪が腕から手首へ落ちると、不思議なことにカードの山はテーブルの上から消え去っていた。


    *


 天使の彫像が両側に飾られた正門に、黒塗りのリムジンが何台も横付けされていた。施錠は解かれ、凱旋がいせんパレードでもするように、洋風の甲冑かっちゅうを着た男たちが次々と中へ占拠するように押し掛けていた。

 人々が驚いているのを脇目に、甲冑を着た人々は廊下を我が物顔で奥へ奥へと進んでゆく。

 止めようとする者がいても、先頭にいる人間が紙を一枚見せると、信じられない顔をして、両脇へよけて心配げにただことの成り行きを、人々は見守るしかなかった。


 ――全体的に紫で統一された執務室。聡明な瑠璃紺色の瞳を持つ若い男は白いローブを着て、立派な椅子に座り、ただ待った。これだけの大騒ぎだ、もうすでに部下から報告は上がっている。

 ドアの外の廊下が行進するような統制の取れた足音で、遠くの地震が近づくように地鳴りとなって扉へと迫って来ると、突進するような勢いでそれは開いた。

 軍事国家と言わんばかりの完全武装をした人々が顔を表した。そばにいた黒いローブを着た男たちが、ここは執務室であり、出入りは制限されている旨を伝えようとする。

「何事ですか? ノックもせずに、猊下げいかの部屋へ入るとは……」

「いくらの部下であろうとも、神聖な場では――」

「私は構いませんよ」

 誰がどう聞いても好青年という、穏やかな印象のする若い男の声が待ったをかけた。

「はい……」

 黒いローブを着た初老の男たちはしかたなしにうなずいて、部屋の壁へとよけた。

 猊下と呼ばれた男は、肘掛にもたれて顔の前で両手を組み、足を妖艶ようえんに組み替えた。

「完全武装で教会へいらっしゃるとは、どのようなご用件ですか?」

 王家の騎士団が、この国のほとんどの人々が信仰する宗教団体の教祖への訪問だったが、いささか服装がおかしいうえに、猊下と陛下のやり取りなど今までほとんどなかったのだ。

 いかにも武者というようなゴツい体の男は大きな剣を腰に挿したまま、丸腰の教祖に向かって問いかけた。

「とぼけるおつもりですか?」


 猊下は思う。人の話はよく聞くようにと。顔色ひとつ変えず、好青年の声で言い返してやった。


「質問したのは私です。陛下は人権をも剥奪はくだつするようにおっしゃったのですか?」

「……くっ!」

 陛下の名をおとしいれるようなことになってしまい、教祖の前でひとり撃沈した。騎士団たちはお互いを視線で見合わせて、誰が次にこの猊下に声をかけるかどうかうかがっていた。いや譲り合っていた。

 聡明な瑠璃紺色の瞳は穏やかな執務室を、殺伐とした雰囲気に変えてしまったやからを見渡す。

「忘れてしまったみたいですから、もう一度言いましょう。どのようなご用件ですか?」

「そう言っていられるのも今のうちでございます」

 負け犬の遠吠え。それがまさしく似合う言い草だった。


 猊下はまた思う。人の話はよく聞くようにと。顔色ひとつ変えず、好青年の声で言い返してやった、さっきよりレベルを上げて。


「私の質問に答えていません。会話を成立させられないとは、どのような教育を受けたのですか? 用件の内容を先ほどからうかがっています」

「くっ!」

 そうしてまたひとり撃沈され、後ろへ下がってゆく。少し頭が切れそうな騎士が一歩前へ進み出た。

「前国王暗殺の罪で、謁見えっけんの間までご同行願います」

 半年前にこの国を襲った悲劇だ。突然のニュースで、何としても犯人を捕まえたいと躍起やっきな騎士団たちだったが、悪戯いたずらに時が過ぎてゆくだけで、未だに未解決のままだった。

 猊下は足をまた組み替え、騎士団を射るように鋭く見つめる。

「そうですか。なぜ私を犯人だとおっしゃるのですか?」

「猊下もご存知の通り、密室での事件でございます。ですから、その……」

 冷や汗をかいているのが手に取るようにわかる戸惑い方だった。証拠となる品どころか、痕跡こんせきがどこにもないことは、この国の誰もが周知していることだ。

 猊下は長い髪を指先ですいていたが、一向に相手が話してこないので時間の無駄だと思い、先を促した。

「どうかされたのですか?」

「人の仕業しわざではなく……」


 今や冷や汗は滝のように流れているように思えた。


「人間ではないとなると、他に何かございますか?」

「幽霊……もしくは天使……ではないでしょうか?」

 車が空を飛ぶ先進国家。ここが宗教団体の建物でなかったら、笑い飛ばされてしまうかもしれなかった。

「…………」

 教祖に何も言われず、まじまじと見つめ返された騎士は、なぜこんな非現実的なことを言ってしまったのだろうと、後悔をしながらひとりまた後ろへ下がった。

「猊下はそのような存在をも操れるという話でございますから……」


 人とは面白いものだと、猊下は思う。自分は黒だと思っているのに、まわりが白だと言うと白に見えるのだから。


「どのように証明されるのですか?」

 うなずくか認めるかをするはずだった教祖に、まさか聞き返されるとは思っていなくて、騎士団員たちは毒気を抜かれた顔をした。

「え……?」

 猊下はあきれたようにため息をついて、もう一発言葉のパンチをお見舞いしてやった。

「犯人を見つけられないことを、陛下は目に見えない存在にゆだねられる……。ということでしょうか?」

 これ以上王家をなじられるのは屈辱だと言わんばかりに、騎士から反論が上がった。

「陛下は聖職者ではない。しかし、猊下は教祖でございませんか? 信じていらっしゃらないとおっしゃるのですか?」

「私は自身の目で確認していないものについては、信じてはおりません。神がいるとも思っていません――」


 さっきから余裕で椅子にひとり座っている若い男は、変わり者の教祖だった。ある意味異端者な男に、教団の部下たちが今度は目を大きく開き、素っ頓狂な声を上げた。

「猊下っ!?」

 前代未聞。空前絶後。そんな珍事を前にして、執務室に押しかけていた騎士団たちは、お互い顔を見合わせてざわついた。

「ど、どういうことだ?」

「神を信じていない教祖?」

 白いローブを着た男は悪戯が成功したみたいなはにかむ笑みをしていた。


 猊下はさっきからイラッときていた。土足へ踏み込んでくるみたいな、礼儀にかけた騎士団たちに、だからしてやったのだ。

 涼しい顔をしてお怒りだった猊下に近寄って、初老の男が頭が痛いと言うように額を押さえる。

「はぁ〜、猊下、他の方の前ではあれほどおっしゃってはいけないと申しましたのに……」

 現実主義の猊下は組んでいた手を解いて、大勢で押しかけても相手にもならないというように、止まっていた仕事を再び始めようとした。

「それでは、お引き取り――」

 このまま帰っては、王家の名誉が落ちてしまう。完全武装をして、丸腰の教祖へ押しかけたなどと国民に知れ渡ったら、騎士としての誇り失ってしまう。ひとりが何とか食らいついた。

「しかし、ご自身の能力については、そのように言い逃れできないのではございませんか?」

「そうかもしれませんね。目の前で起き、体験しているものですからね」


 何かを待つように、ラピスラズリをはめ込んだ金の腕輪を、猊下は手で軽く触れた。


「それでは、そちらで犯行が可能になるのではございませんか?」

「おや、陛下は見えないものを事実に置き換えて、証拠になさるのでしょうか?」

「もちろんそちらの理由だけではございません」

「何か証拠となるものでもございましたか?」

 猊下は返事を返しながら、待ちに待った機会がめぐってきたのではと思った。騎士のひとりが白い袋を手に乗せて差し出す。

「ローズマリーを入れた布袋がそばに落ちているのが新たに見つかりました。魔除としてお使いになっていらっしゃる方が大勢いると聞いています」

 昨日の晩、部下が報告した話を猊下は思い出す。ローズマリーの魔除まよけをなくした信者がひとりひとりいたと。以前から何か少しでも変わったことがあれば、報告しろとの命令は出していた。


 それをどう使うつもりなのか。猊下は相手の言葉を待った――。


「どなたのものかを調べさせて頂いてもよいのですが……」

「どのような方法でお調べになるおつもりですか?」


 猊下は素知らぬふりで密かに狙う。相手の望みが何なのかと。


「前国王の暗殺の罪ですから、手段は問わないと、陛下から仰せつかっています」

「そうですか」


 つまりは信者全員――いや国民のほとんどを人質に取ったということだ。

 すなわち、自分――教祖の身柄と交換して拘束。

 従って、陛下の最終目的はこの宗教団体――ミズリー教の廃止――


 である可能性が非常に高い。ただうなずいただけの、猊下の頭はここまで、国王の思惑を察知していたのだった。

おさでいらっしゃる猊下からまずは、調べさせていただきます。ご同行願えますか?」

 猊下は全て読みきったのに、涼しい顔をして春風のような穏やかな笑みを見せた。

「えぇ、構いませんよ」

 そばに控えていた部下たちはびっくりして、黒いローブの裾を大きく揺らした。

「猊下っ!?」

「私が留守の間、よろしくお願いしますよ」

 若い男は椅子からさっと立ち上がって机を回り込み、敵地へと連れて行かれるように、騎士たちに取り囲まれた。

 重厚感のある靴音が響く背後で、残された部下たちは表情を歪め、力なくうなだれる。

「前国王の暗殺が罪状です。それでは、お戻りになられないではございませんか……」

「骨ぐらいは戻してやる」

 最後に部屋の外へ出た騎士が捨てゼリフを吐くと、ドアはパタリと閉まり、鉄のスレる足音が遠ざかっていった――

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