トゥワルとハパラの地球移住プラン
蒼キるり
君と共にいるためならば何光年先にだって僕は迷わず行ける
ここは地球という名の星らしい。俺とパートナーのトゥワルの移住先に選んだこの星は俺たちがいた星と随分よく似ている。
宇宙船を降りてすぐに広がる光景は故郷を思い起こさせるものがあって、けれど全く同じというわけでもない。自然と緊張感が薄らぐのがわかった。
何光年も離れた星からの大移住だったので、久しく見ていなかった空を見上げるだけで感動する。知識としては地球の空も故郷と同じように青くて雲が浮かぶものだと学んでいるけれど、肉眼で見ると感動もひとしおだ。
「いいところだ」
そんな言葉が口から溢れていた。自分の心から湧いた言葉が肯定的なものであることに安堵し、それから俺の隣に立っているパートナーにそっと声を掛けた。トゥワルは感じ入ったように目を伏せている。
「トゥワル、どうかな。お前が気に入るといいんだけど、体調は悪くない? 空気は悪くないと思うんだけど、俺とお前じゃ感じ方が違うし」
「僕は大丈夫だよ、ハパラ。ここはとてもいいね」
ゆるりと目を開いたトゥワルは真っ直ぐに俺を見て微笑んでくれた。言葉に嘘は少しも無いように感じる。
トゥワルの瞳は深い青を抱いているから、確かに体調も悪くはなさそうだ。これが黒なんかが混じるようになると気をつけなければいけない。トゥワルは俺より随分と繊細なのでパートナーである俺が気を配るべきだ。
移住の申し出やこっちの住居なんかの契約は宇宙船内で済ませているから、すぐにでも新たな住処を見ることができる。
だけど折角初めての星に来たのだからと二人で話し合って少し辺りを散策してから向かうことにした。親切な移住人案内係さんから説明を聞いて、俺たちは近くにある店らしき場所に入った。
壁は無くて開けている。大きな傘のようなものがいくつかあって、その下で飲食を楽しむらしい。不思議な作りだ。
「こんにちは、はじめまして。星間移住人の方?」
俺とトゥワルが飲み物でも買おうかと話していたところで、そう声をかけられた。
豊かな長い髪のその人が俺たちが胸元に付けている移住人マークを見ているのがわかった。
自由に使用していいそれは使っていると親切に物を教えてくれたり声をかけられたりすると説明されていたけど、本当にその通りらしい。
興味深そうに辺りを見回しているトゥワルが何処かへ行ってしまわないように横目でしっかり確認しながら、俺はできるだけ愛想よく見えるように笑って頷いた。相手の人も笑って話してくれる。
「遠い宇宙から遥々地球へようこそ。ここで飲み物を買うのは初めて? 他の星から来た人の好みにも合うようなメニューが色々あるけど」
耳につけた機械は上手く翻訳してくれているけど、こっちはどうかなと少しだけ不安になりつつ喉の辺りにつけられた機械を意識しながら、ありがとうございますと感謝の言葉を話してみた。反応を見るにどうやら上手く話せているらしい。
「できれば、地球のものが飲みたいです。俺たちまだこっちのものを試してないんで」
「じゃあ、チャレンジしてみないとね」
軽やかに笑ったその人は丁寧に注文の仕方を教えてくれた。食べ物はちょっと考えた挙句また後で試すことにして、俺とトゥワル二人分の飲み物だけを既に換金済みのお金が入っている薄っぺらいカードをかざして購入した。
大丈夫だと念を押されてもこの中にお金が入っているとは信じ難い。トゥワルは意外にも順応が早いのか不安な様子もなく楽しそうに眺めていた。
もし良ければこのまま少し話さないか、自分で良ければこの辺りのことも話せるし、とあまり重荷に感じない軽い調子で問われて俺たちは同じ席に着くことになった。
ようやく自己紹介をすると相手はアカリという名前で、アカリさんは俺たちの名前を二、三度復唱してすぐに発音のコツを掴んだらしかった。器用な人だ。それに親切で優しい人でもある。食べ物ならおすすめはこれ、と教えてさえくれた。今度試してみよう。
頼んだ飲み物は赤みがかった宝石のような深い色合いをしていて、金属の棒のようなものでくるくるとかき混ぜるとただの液体よりもとろりとしていることがわかる。
一口飲むと口いっぱいに複雑な美味しさが広がって、頭に染み渡るような穏やかな甘さは一度も味わったことがないはずなのに、どこか安心するような味だった。
「大丈夫。トゥワルも好きそうな味だよ。あ、でもちょっと熱い。気をつけて」
俺が声をかけるとひたすらかき混ぜていたトゥワルがようやくコップを持ち上げた。ふうふう、と何度か息をかけてから慎重に口をつけたのに、あち、とすぐに離してしまった。
だから言ったのに、と俺はもうちょっとかき混ぜた方がいいよと言って棒で回してやった。トゥワルは熱いものも冷たいものも極端に苦手で俺は昔からよくこうしてトゥワルにちょうどいい温度になるように手助けしてやることが多かった。
といっても子どもの頃は微笑ましく見守ってもらえたこの行動も大人に近づくにつれいつしか疎まれるようになっていったのだけど。
そこまで考えて、外だというのに自然にこんなことをしてしまったということを思い出して、咄嗟に身を引いてしまった。
「すみません」
「え、なにが?」
俺の反射的な謝罪にアカリさんはひどく驚いたようだった。どう説明したものか説明していいものかもわからなかった。
考え込む俺に、ハパラ、とトゥワルが優しく声をかけてくれた。そしてそうっと手の甲を指先でなぞられる。向こうでは大人に見つからないようによくやっていたことだ。でもそれをもう隠しながら行う必要はないのだ。
「ここは大丈夫だから、俺たち地球に来たんだよ」
だいじょうぶ、とまるい響きに俺はようやく、ああもう怯えなくていいんだと思えた。
俺はもうこの世界で一番大切で大好きで一生共に生きたいと思える唯一のパートナーと愛し合うことをなんら怖がらなくていいんだ。隠れなくていいんだ。幸せになっていいんだ。
それはとても嬉しいことだから、俺は作ったものではなく自然に笑うことができた。
俺たちのやり取りを静かに見守ってくれていたアカリさんは何かを感じ取った風だったけど、ただにこりと笑って「仲がいいね」と言ってくれた。それは俺たちがずっと求めていた大人の理想像みたいなものに少し似ていた。人に理想を押し付けるのはもちろん良くないことだから口にはしないけれど。
「あ、そういえば、ちょっと気になったから聞かせてね。不躾だったらごめんなさい。嫌な質問だったら答えなくて大丈夫だから。どうして地球を選んでくれたの?」
「……そうですね、理由はたくさんあるな。地球の方と俺たちの姿形が似ていることも決め手だったし」
地球はまだ他の星の移住を受け入れ始めてそんなに月日が経っていないから尋ねられるのは当然のように思えた。
宇宙には多くの星がある。だけどその星内で一番栄えている知的生命体が似通った形をしている星、と限定してしまえばかなり絞られるのだ。全く違う環境に飛び込むのは怖いけれど、似ているけど似ていない、そんな星ならば馴染めるだろうと思った。
地球はその期待に応えてくれそうだし、アカリさんと話せたことで自身はさらについた。意思の疎通が行いやすいというのはとても有り難いことだ。
「多少は違いますけどね、こんな風に」
トゥワルが不意にそう言って伸ばした髪をかきあげるようにして耳を露わにした。地球の人とは違う巻き貝のような耳。
アカリさんはなるほどと平然と受け止めていたけれど、俺としては恋人の突拍子のない行動にぎょっとしてしまう。
「こら、トゥワル」
「平気だよ。心配性だな、ハパラは」
笑うトゥワルを諌めながら俺は手を伸ばして髪を撫でつけながらしっかり耳を隠させる。
俺たちがいた星では耳を見せるのは親しい者だけだった。今のトゥワルがしたようなことは迂闊に行えば色恋沙汰の勘違いをされるような行動だ。俺たちは愛し合う時には特別な声を聴かせるから、耳を見せつけるということはそれを聴かせて、という意味になってしまう。
もちろん地球ではそうではないことはわかっているけど、できればトゥワルの耳は俺の前だけで見せてほしいと思ってしまう。
でもトゥワルがこんなに奔放として大胆なのも珍しい。地球に来て開放的な気分なのかもしれない。複雑な気持ちだけど悪くはないことだ。
「本当に仲がいいね。ハパラさんとトゥワルさんは二人で地球に来たんだよね。見た目が似てる星の中で一番うちが近かったの?」
「ああ、いやもう少し近い星はありました。でも、そこは、ちょっと俺たちが行くには問題があったから」
なんとなくはぐらかしそうになって、いや別にこの人には誤魔化さなくてもいいのかと思い直した。
「地球に決めた一番の決め手は、そうだな。今の地球が同性愛を排除しない星だと聞いたからかな。近かった他の星はそういう傾向があるところもあったし」
「ああ、なるほど。そうだね、昔は地球も、まあ酷かったらしいけど、今は差別的なことはほぼ皆無といっていいと思う。もちろん世界にはいろんな人がいるから断言はできないけど、でも愛や恋を分けて断罪するような差別がおかしいということは星や国が当たり前に認めてる」
淡々と当然のことのような口調に、やっぱりこの人には話して良かったと安堵する。
「人が誰かを好きになるなんて、誰に決められることもない自由なものだからね」
それが当たり前という風のアカリさんの言葉に胸を打たれたかのような顔をしてトゥワルがぱっとこちらを向いた。
「ハパラ、地球を選んでよかったね。ここで正解だった。僕たちを引き離そうとすることが差別だって。そうだよね、それで合ってた。あんなに僕たちに怒ってた、あの星の人たちになんにも間違ってないって叫んでやりたい」
晴れ晴れとした表情のトゥワルの目にはまるで星屑が散りばめられたかのように光が差し込んでいて、俺はつい見惚れてしまう。
トゥワルが話したことでもう少し話した方がいいかな、という気分になる。どちらかというと俺が話したかったのかもしれないし、ずっと感じていた理不尽を話すことで整頓して、ここでの生活を晴れやかに迎えたかったのかもしれない。
「ええと、まずなにから説明したらいいかな。俺たちの星と地球とでは、性別の区分がちょっと違うんですけど。地球は男性と女性の二つに分かれているんでしょう?」
「うーん、昔は大まかに分けてそんな感じだったけど、今はそうじゃないかな。その二つに決める人もいれば決めない人もいるし両方選ぶ人もいるよ」
「ああ、そっか、そうだった。地球は進んでるんでしたよね。うちはもうめちゃくちゃ田舎の星なんで、そういうの全然」
性別を持って生まれた体に拘らず、性別を好きに選んで決めて良く、決めなくても良く、日々変えることさえ良く、それが当然の権利だと認められている。
性別ひとつ取っても俺たちの星より驚くほど進んだこの星のことを知った時、俺は泣いてしまった。どうして俺とトゥワルははここに生まれなかったのだろうと。
「うちの星では四つの性別があるんです。大華と大種、小華と小種です。一番相性が良くて、その、生殖に有利だとされてるのが、大華と小種の組み合わせ、それから小華と大種の組み合わせですね。えっと、昔の地球でいうところの、異性愛、に当たるのかな」
「うん、多分あってる。世間にも認められてて、一番普通だと思われてるって意味なら」
「合ってます、ありがとう。次に許されてるのが大華と大種の組み合わせと小華と小種の組み合わせですね。生殖バランス的には落ちるんですけど、好き同士ならまあ仕方ないって感じで。最近では割と増えてますね。その次が大華と小華、大種と小種の組み合わせです。子どもができる可能性はゼロではないんですけど、格段に可能性が下がるので、ちょっと前まで恋人になると引き離されてたらしいですけど、最近では可能性が低くても愛があるなら、みたいな論調で認めてもらおうって活動が活発化してるので、頭が固い人以外はまあ許してやらないこともないって感じかな」
そこまで一気に話して最初の熱さより飲みやすい温度になった飲み物をごくりと喉に流し込んだ。トゥワルもようやくごくごくと飲めているようだった。
「一番だめなのは、大華同士とか小華同士とか、つまりまるきり同じ性別と結ばれること。生殖の可能性がゼロなんです。こっちでいう同性愛。うちの星ではどの国でもだめで、もう口に出すだけでありえないし笑われるし本気だとわかると病院行きも視野に入る感じ」
「ああ、どこも同じなのか。まるきり昔の地球と同じ」
「そうですね。ご想像の通り、俺とトゥワルは小種同士で、もう最悪っていうか、いやなんだろうな。もうどうしていいかわかんないんですよね、だって好き合ってるのに、それだけで許されないって、もうどうしたらいいんだって」
どうしてこんな苦しい場所に生まれてしまったのかな、と何度も思った。その激情は今も俺の中に根付いていたらしく、言葉が途切れ途切れになって上擦った。
どうして、どうして、と幾度なく問いかけた。トゥワルを好きだということが許されないことならば、息をすることが許されないのと何が違うの?
「つらいね、すごくつらかったでしょ」
アカリさんのそのある種淡々とした言葉に、途方もない光を感じた。
つらい、つらかった、そうだ。俺は、ずっと、ずっとそうだった。
「つらかった」
やっと溢れた言葉に込み上げてくるものがたくさんあった。
ああ、こんな単純な言葉でさえ生み出せないほどに苦しかったんだな。だって一言でも辛さを吐き出してしまえば、もうその場に立ってはいられなかった。
こうして安全圏に来られてようやく人は自分の傷の深さを知ることができる。
「つらかった。つらかったね、ハパラ」
隣にいるトゥワルが、宇宙の片隅の辺鄙な星から遠くの地球までずっと隣にいてくれたトゥワルが真っ直ぐに俺を見てそう言った。
トゥワルが俺の手をぎゅうと握った。もう誰にも遠慮しなくていい、隠さなくていい、断固とした握り方だった。
宇宙に出るのは百パーセントの安全が保障されるわけじゃない。見知らぬ星の環境が体に合わないことだってある。星間移住なんて不安と危険の塊だ。
それでもトゥワルは俺と来てくれた。俺と一緒に地球に来て、俺と一緒につらさを分かち合ってくれている。
これ以上の幸福ってあるだろうか。
「ほんとに、よく、よく地球まで来れたね。来れてよかった。二人がここがいいって選べるような地球でよかった、ほんとに」
アカリさんの率直な祝福はここが豊かであることの証明のように聞こえた。
他は全部手放してもいいからお互いだけは失いたくなくて、必死にここまで来てよかった。
俺たちのことを当たり前のように受け入れてくれる人が世界にはいるんだと改めて知れたから。
トゥワルの手を握り返すとそこからざわめくように感情の波が伝わる気がした。俺でもそう感じるのだから俺より繊細なトゥワルはもっと俺の気持ちを感じてくれているだろう。
嬉しそうに微笑んだトゥワルは戯れのように俺の手をぎゅっぎゅと握ってからアカリさんの方に顔を向けた。
「僕たち、ここに来てよかったです。僕が地球にしようと思ったら決め手のひとつは海で、細かいこと決めてくれたのはハパラなんだけど、やっぱり直感に従ってよかった」
「海? 海って、あの広い青くて塩辛い海?」
「はい、その海。あ、そうだ。地球では七割以上が海だって本当ですか?」
トゥワルの突拍子もない問いかけにアカリさんはちょっと驚きつつも頷いてくれた。
俺はトゥワルのこの調子には慣れっこだけど初めて会った人には驚かれるのも当然だと思う。表現家の言うことはよくわからないとあっちではよく言われていた。本人はどこ吹く風だったけど。俺はどんなトゥワルも愛おしく思うだけだ。
「僕たちが生まれた星は海が三割くらいしかなくて、ほとんどが特定の職業の人の出入りしかできない特別な場所だから滅多に見られないんです。でも地球ではそんなことないっていうし、七割ってもう、土地と海がひっくり返ったようなものじゃないですか。だからすごく見てみたかったんです。それに描いてみたかった」
「かく? 海をかくの?」
「トゥワルは絵を描くんです。向こうではそれを仕事にしてて、風景を描くのが好きなんです。特に海が好きみたいで」
面白そうに尋ねるアカリさんに俺が説明を入れる。へえ、と興味深そうに頷いて続きを促してくれるアカリさんに甘えてつい俺は口が緩んだ。
「トゥワルの描いた海はトゥワルの目を映し出したくらい綺麗で、いつまでも見ていられる。だから地球の海も同じくらい、いやそれ以上に綺麗だと嬉しいんですけど。ああでも、トゥワルならどんな景色でも本当に綺麗に心を揺さぶる絵を描くから大丈夫なんですけど、でもやっぱり海が綺麗だとトゥワルが喜ぶし」
トゥワルの絵、というテーマで突然饒舌になった俺を見てアカリさんは驚きつつも笑ってくれた。当のトゥワルは頬杖をつきながらちょっと呆れたような微笑を携えて俺の方を見る。
「ハパラは僕の絵のことになるとよく喋る」
「え、そうかな」
「もっと僕のことについて話せばいいのに」
トゥワルの率直な言葉に思わずたじろぐ。わかる、それはわかるけど、気恥ずかしい。とぼそぼそと釈明すると、仕方ないなぁと言いたげに握られたままの手の甲を指先でなぞられた。
だってあっちではトゥワルのことをやたらと褒めるなんて、それこそどういう関係だと疑われかねないことだったから固く自分に禁じていたのだ。その代わり作品を褒めることはむしろ推奨されていたから勘繰られなかった。なんて好きに言っていい今の環境ではある意味言い訳だけど。
私はちょっとわかるよ、とアカリさんがしどろもどろになった俺に助け舟を出すように言ってくれた。
「私もね、相方の好きなとこは、相方にはなんだか気恥ずかしくっていっぱい喋れないの。ハパラさんの気持ちわかるよ。心に好きはいっぱいあっても口に出すのじゃ違うよね。でもたまに話す日を決めてると自然と言えるようになったりするよ。それも楽しい」
「相方っていうのは、えっと、パートナー?」
「うん、そう。ハパラさんとトゥワルさんみたいな。あんまり普段は意識しないんだけど、私も相方も性自認は女性寄りで身体も女体だから、昔なら同性愛ってことで差別されてたんだろうなぁ。こんな風に当たり前に認められるようになってるから意識しなかったけど、自分にとって無関係なことって本当はこの世にひとつもないんだろうな」
アカリさんが手に持ったコップをくるりと回しながら遠くを見るような目をして言った。
故郷の星にいた頃、何処へも逃げ場がない気がしていた。俺たちがここまで来れたのは本当にたくさんの幸運を手放さなかったからだ。だけどそれらが全部奇跡ではなくてこの世界すべてと繋がって導き出されたことなら、俺とトゥワルが一緒にいられることはそれだけで世界からの祝福ではないだろうか。
「ハパラが僕のこと、トゥワルって呼ぶときの口の形とか、すごくすき」
アカリさんの話を聞いてなにを思ったのかトゥワルがそんなことを口にした。
「トゥとル、両方とも似た形に唇を小さくするから、あーいま僕の口を重ねたら、ハパラすごくかわいい顔するんだろうなぁって思う。ハパラが僕の名前を呼ぶたびにすきになる」
熱烈すぎる、と感極まって震えそうになる俺を見てトゥワルが悪戯っぽく笑うから、なんだかやられっぱなしでは癪な気もしてくる。
「……俺も、トゥワルが、ハパラ、って呼ぶの好きだけど、ちょっと不安にもなる。お前、すっごくゆっくり、はっきり、発音するから、開いた口からトゥワルの綺麗な魂が零れ落ちそうで」
「落ちないよ、ハパラが呼んでくれるうちは僕はここにいるよ」
そのためにつけられた名前がある、なんで囁かれると言葉の裏を読みたがる俺は、自分の名前はハパラに呼ばれるためにあるよ、なんて言われた気分になってしまう。
「ほんとに、不思議だな。こんな話をしても、当たり前みたいに受け止めてもらえるって」
夢みてるみたい、と俺が言うとアカリさんが世界の秘密を打ち明けるかのような厳かな口調で言った。
「私ね、恋って自分と同じ部分に惹かれる場合と違う部分に惹かれる場合があると思うんだけど、わかる?」
それはとてもよくわかる、と俺は力を込めて頷いた。
俺たちの故郷の国では名前は文字数が一番大切で、生まれてすぐにこの子どもの名前は何文字が一番幸せになれるかと御告げを聞いて、それから親が名前を考えるのだ。俺は三文字でトゥワルは三文字半。その半分の文字が違うことに近いのに遠い複雑な執着を感じる。違うところを好きになるってきっとそれに近いのだろう。
「そういう意味で考えるとさ、同じ性別の人を好きになるのって、違う性別の人を好きになると同じくらい、ただそこにその事実があるだけのことじゃない?」
どっちも同じように当たり前、同じようにただ恋をしているという事実があるだけ、と言われているんだと思った。
俺たちはいま、とても優しい言葉をかけられているんだなと思った。
「アカリさんは相方さんの同じ部分と違う部分、どっちを好きになったんですか?」
「私? 両方よ」
同じ部分もあるし違う部分もある、どっちも好きになっちゃったのよね。とくしゃっと笑ったアカリさんの顔が人生の楽しさを表しているみたいだった。俺もこんな風に笑えるようになりたい。
そう思った時、見知らぬ誰かが真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくるのを横目で捉えた。
「アカリ」
その人は迷わずアカリさんの名前を呼んだ。噂をすれば、とアカリさんが嬉しそうに笑う。
「こんなところにいた。探したよ、アカリ。ん、こちらの方達は? 知り合い? あれ、星間移住の方?」
「そうだよ、あんまり一気に質問しないの」
アカリさんが窘めるように言った後に、私の例の相方と教えてくれる。アカリさんが紹介してくれたその人はアカリさんよりも何段階か快活そうで俺たちに屈託なく笑いかけてくる。
自由奔放そうなのに優しさを忘れないような眼差しと短く跳ねた髪の毛を見ているとアカリさんが言ったことがよくわかる気がする。
ひとりひとりで充分すぎるほど輝くように生きている二人が当たり前みたいに寄り添って俺たちの目の前にいることが奇跡みたいに素敵だった。
「いらっしゃい。ちょっと狭苦しい星だけど、住み心地は悪くないよ」
独特な感性の歓迎を受けてお察しの通り移住してきました、と簡単に説明するとものすごく興味深そうに感嘆符付きの相槌を話の合間に何度も打たれた。
「いいねえ、素敵。二人の地球移住、素敵だと思う。星間移住いいなあ、旅行とは全然違うんだろうね。そういう、なんて言うんだろう、素敵な人生プラン? いいね、未来は切り開くものって感じがする。それで、地球に着いた二人には他に素敵なプランはあるの?」
生き延びた先でトゥワルとしあわせに生きることだけが望みだった俺にその質問は不意を突かれるようなもので、なんて答えたらいいものかわからなくなってしまう。
だけどトゥワルは俺よりずっとその答えを知っていたようで、転がるような笑い声と共に口を開いた。俺が答えを見つけられないとき、いつだってトゥワルはいとも簡単にそれを導き出す。
「僕とハパラは故郷の星にファミリーネームを置いてきたので、こっちで二人の名前をつけたいなぁってプランはあります。僕の中に」
「すっごく素敵」
自分で自分に名前を付けるのも自由で最高に楽しいから、と経験でもあるのか笑いながら教えてくれた。
なかなか見つからないアカリさんを迎えに来たらしい相方さんと共にアカリさんは帰ることにしたらしい。アカリさんは相方さんと二人で最後にこの近くの良いお店や素敵な公園のことを話してくれた。
「いろいろ話してくれてありがとう。また機会があったら是非」
そしてそう言いながら踊るようにひらひらと手を振って別れた。その機会がまた訪れてくれれば良いと俺は心の中で願った。
飲み物をようやく飲み干したトゥワルは、ねえと俺の手を引いた。甘えるような仕草に俺の胸から腹にかけた辺りがざわざわと震えにも似たざわめきが起こる。
「さっきの僕のプラン、ハパラはどう思う?」
「しあわせすぎて、お前にしか聴かせたくない声が出そう」
「それは大変だ」
早く新しい家に行った方がいいかもね、とトゥワルが言うからそれが良いと俺も頷いた。
そして手を繋いだまま地球の大地を、俺たちが生きていく場所を踏みしめながら歩く。
手のひらを重ねることを誰にも咎められない自由さを噛み締めながら、この愛が伝わりますようにと愛しいパートナーの手を握った。
トゥワルとハパラの地球移住プラン 蒼キるり @ruri-aoki
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