第二章 一四歳になった少年 2

 麓に至る道にいたのは美しい女性だった。

 ねんれいは僕より少し上であろうか、せいおだやかなまるで絵物語に出てくる聖女のようであった。

神ミリア様よりもこうごうしいな」

 と言うシュルツの言葉に思わず苦笑してしまうが、その意見は正しかった。

 僕たちの存在に気が付いた彼女は、修道女のようにぜんと尋ねてくる。

「そこにおられる方はもしやこの山に住まいし方ですか」

「そうです」

 と答えると彼女は微笑ほほえむ。

「神とそのけんぞくが住まう聖なる山に土足で足をみ入れて申し訳ありません。それにこのようなやからを引き入れてしまって」

「そのことは気にしないで。どこからどう見ても男たちのほうが悪党に見えるよ」

「このものたちはおそらくじやきようの集団の一味でしょう。私と勇者様のせつしよくこばんでいるのです」

「勇者?」

「この山に住まいし神々に育てられた少年のことです」

「というと僕なのかな?」

「失礼ですが、あなたはくろかみですか?」

「そうだけど」

「ならばきっとあなたがそうでしょう」

 黒髪であることも確認できないのはどうしてだろう、と疑問に思ったが、すぐに理由が判明した。

 法衣を着たぎんぱつの女性は、もうもくであった。

 彼女の目の周りにはマスクがはめられていた。

 僕が気が付いたことに気が付いたのだろう。彼女は説明する。

「私は地母神に身をささげた盲目のルナマリア」

「地母神」

 聞いたことがある。この大地にほうじようをもたらすいにしえの神の名前だ。とてもかいりつが厳しい神様として知られ、地母神に身を捧げる巫女はみな、自ら光をうばうのだ。幼きころに自分の目をつぶすのだ。さすれば聖なる巫女になれるというのが、地母神教を布教する司祭の言葉であった。

 ただ、それはぞくせつというか伝説の類いで、現代でもそのような真似をしている巫女がいるとは聞いたことがなかった。そのことをルナマリアに伝えると、ちよう気味に笑う。

 彼女は「盲目の仮面」を取ると、以後、素顔をさらしながら話してくれる。

「たしかに古い因習です。ですがその伝統は今も受けがれています。私の他にも盲目の巫女はたくさんいます」

「その盲目の巫女がなぜ、このテーブル・マウンテンに?」

「それは……」

 と言いよどんだのはなにか裏があるからか、それとも敵のこうげきが激しくなってきたからか、は分からなかった。そうほうのような気がしたが、ともかく、ルナマリアのおうえんをしたほうがいいような気がした。

 僕とシュルツは敵兵の間に立ちふさがると、戦闘の意志を示した。


「灰色おおかみに人間のガキ。ちんみような取り合わせだ」

「手向かうならばるだけだが」

「子供を斬るのか? 始末するのは巫女だけと聞いていたが」


 鎧を着た男たちは相談を始めるが、結局、多数決で僕を斬ることにしたようだ。らいぬしはルナマリアの死を望んでいるそうだが、ルナマリアが探そうとしている勇者にも興味があるようだ。もしもついでに勇者を殺せればちようじようらしい。

 まったく、人の命をなんとも思っていない連中だ。ため息を漏らしながら言葉を探す。

「シュルツ、こういう輩をなんて言うんだっけ?」

「悪党、だな」

 狼のシュルツは一言で斬りせる。

「そうだった。悪党だ。こういうやつにえんりよはいらないんだよね?」

「ああ、のどぶえを切りいてやれ」

 シュルツはさっそく、彼らの喉笛をねらうが、僕も同様に攻撃する。無論、ものは使わないが。僕が使うのは体術である。見ればこいつらはそんなに強くない。とてもどんじゆうなのだ。一挙手一投足がとてものろい。刃物など使わなくても容易に対処できそうだった。

 僕はローニンに習った古武術を使う。相手のふところに入り込み、相手の呼吸に合わせてきを繰り出す。子供のこぶしであったが、相手が前のめりになるしゆんかん、急所にぶち込めば大ダメージをあたえられる。

 相手の喉笛、みぞおち、目、こめかみ、どんな達人もきたえられない場所に的確にげきを与えていくと、悪党どもはその場でもだえ苦しむ。

 それを聞いていたルナマリアはさんたんの声を上げる。

「勇者様の武術は神がかっています」

「神様に教えてもらったやつだからね」

「やはりあなたが伝説の子供、勇者様なのですね」

「それはちがうと思う。神様である父さんたちに育てられたけど、勇者の印はない」

「……印がないのですか」

 ルナマリアは軽く表情をくもらせる。

「善と悪に調和をもたらすもの。この世界の救世主。彼は神々に育てられた真の存在」

「それは?」

「我が教団に伝わる古い言葉です」

「神々に育てられたというところしか共通点がないね」

「ですね。しかし、それで十分です」

 ルナマリアはそう言うと、右手を光らせた。それをそうっと悪党の胸に添える。悪党は一〇メートルき飛び、木々を折る。

「君もすごい力だね」

「この力は神のおんちようにしか過ぎません」

「すごい恩寵だ」

 と言うが、僕はすでに五人の悪党を戦闘不能にしていた。このままならば簡単にせんめつできるだろう、と思っていたが、そうはいかなかった。

 奥から悪党どものぞうえんが現れたからである。その数一〇。皆、重武装をしていた。

「……やつかいだな。魔法の武器を持っているものもいる」

 光を放つショートソードを見る。皆、熟練のようへいといった感じだった。

「あいつらは邪教徒がやとった傭兵でしょう。ごわいはずです」

「みたいだね。たおせないことはないと思うけど。……ルナマリア、僕の後ろに下がってくれる?」

「お気持ちはうれしいですが、私は神と勇者様にその身を捧げた巫女でございます。命などしくありません」

「君が惜しくなくても僕が惜しいんだよ。今からこの辺りが真っ赤に染まる。僕の後ろにいれば《ぼうへき》の魔法で防いであげられる」

「真っ赤? ほのおほうを使うのですか?」

「不正解だよ。炎を使うのは僕じゃない。天から飛んでくるトカゲだ」

「トカゲ?」

 ルナマリアが首をかしげると、空が真っ暗になる。

 先ほどまで明るかった周囲がくらやみに包まれる。雲が出たわけではない。空をおおったのはつばさを持ったトカゲ。つまりドラゴンだった。

 真っ赤なはだを持ったドラゴンは、口から炎をらしながら翼をはためかせている。まるであらしせまっているかのような風が周囲を包む。

 ルナマリアもその風、それにりゆうほうこうきようの存在を察知したようだ。

「あれはドラゴンですね!」

「そうだよ。テーブル・マウンテンにはいないけど、その周囲にはいつぱいいるんだ。あの傭兵たちが引き連れてきてしまったようだね」

 見れば傭兵の衣服はそんなにくたびれていない。街から最短きよでここまでやってきたのだろう。ドラゴンの巣があるとも知らず、谷を通ってきてしまったのかもしれない。

 彼らはその近道のだいしようはらわなければならない。

 レッドドラゴンはホバリングをめると、急降下し、傭兵のひとりをわしづかみにする。

 そのまま大空をうと、高所から傭兵を解き放つ。大声を上げる傭兵であったが、ドラゴンはきゆうかつこうするとそのまま傭兵を飲み込んだ。悲鳴ごとらいくす。

 いかりに燃えた仲間の傭兵は、クロスボウや弓ではんげきを試みるが、きよだいなドラゴンのうろこつらぬくことはできなかった。それどころか頭上で炎の息をかれ、火だるまとなっている。

 このまま見ていれば傭兵たちはもちろん、邪教徒もぜんめつであろうが、僕はぼうかん者にはなれなかった。

 理由はふたつ、ひとつはもしもドラゴンがやつらを倒しても次は僕らにそのきばをむいてくるに決まっていたからである。

 ルナマリアという巫女とは出会ったばかりであるが、彼女には不思議と親近感を感じていた。守りたいという保護欲も。僕にとって彼女はすでに山の仲間たちと変わらない。

 もうひとつの理由は、悪党とはいえ、見殺しにするのは気が引けたのだ。

 こいつらはルナマリアを殺そうとしているらしいが、それでも彼女を殺したわけではない。もしかしたらだれかに命令されているだけかもしれない。

 それにこいつらにだって、父親や母親はいるだろう。現世にいるかは分からないが、死ねば双方が悲しむと思われた。

 レウス父さん、ローニン父さん、ミリア母さん、ヴァンダル父さん、それぞれの笑顔がかぶ。その表情を思い出すと、見殺しというせんたくは浮かばない。

 なので僕はこしたんけんき放つ。

 ミスリル製の短剣だから、ドラゴンの鱗とて通すであろうが、どんなに深く差し込んでも内臓に届くようには見えない。それくらいレッドドラゴンは大きい。皮下ぼうがとんでもない。

つうにやったら傷を付けるくらいだけど、僕には必殺技がある」

 必殺技とは、けんしんであるローニンに習った技術。じゆつの神ヴァンダルに習った魔法である。

 ローニンのけんはペーパーナイフとてきように変える総合剣術、ヴァンダルは小枝すらわざものに変える魔術を極めていた。

 つまり、ミスリルという魔法を通しやすい金属に魔法を付与すれば、そのりよくは計り知れなくなるということだ。

 僕はじやきようたちをじゆうりんするドラゴンをにらみ付ける。

 のない竜の目と視線が交差するが、恐怖は覚えなかった。いや、逆に竜のほうがただならぬ気配を察したようだ。

 この少年を生かしておくと危ない!!

 そう思った竜は食べかけの邪教徒を放り投げると、翼をはためかせ、こちらに向かってくる。

「……手間が省ける」

 こちらとしては標的がこちらに移ってくれたほうが有り難い。

 邪教徒からはなれてくれたほうが大技をけやすいのだ。

 そう思った僕はじゆもんえいしようをする。


「無念の氷結よ、くうの風をてつかせよ!

 せいじやくを支配し、すべてを氷結させよ!」


 そう詠唱を終えると、ミスリルの短剣が氷に包まれる。冷気のりよくに包まれる。

 あとはそれをけんせんにして解き放つだけだった。

 僕は何度も練習してきた剣閃をドラゴンに放つ。

 練習で何百回もしたことであったが、実戦でもまっすぐに飛ぶ。

 ローニンがその筋をめ、ヴァンダルがその才を賞賛した魔法剣のいちげきがドラゴンをおそう。


 それを後方から確認していたルナマリアはきようがくする。無論、彼女のひとみに光はないが、その分、知覚は誰よりも優れていた。

 少年の魔力の冷気は肌をすほどに冷たく、少年の魔力の波動はルナマリアの全身を包み込むかのようであった。彼の冷気の魔法剣の威力はとてつもないものになる。ルナマリアは確信したが、その確信はちがっていなかった。

 冷気の剣で切り裂かれたレッドドラゴン。やつは炎の息でたいこうしようとしたが、少年の放った冷気は炎ごとこおりけにし、ドラゴンの肉を裂いた。

 氷像のように氷漬けにされながら肉を真っ二つに裂かれるドラゴン。氷の中には赤いせんけつが飛び散った竜がおり、とても美しい。

 まるで美術品のようであるが、なによりもおそろしいのは、この巨大なドラゴンを倒したのが、まだ一四歳の少年ということであった。

 このような少年がいるとは聞いていない。

 口々に悲鳴を漏らしながらげ出す邪教徒たち。

 彼らが完全にてつ退たいしたのを確認すると、ルナマリアは改めて少年の前に立ち、右手を差し出す。あくしゆをしたかったのだ。

 それに名前も聞きたかった。

 そのことを少年に伝えると、少年はずかしげに微笑ほほえみながら言った。

「──僕の名前はウィル。ただのウィル。平民だけど、父さんと母さんは神様なんだ」

 照れ笑いを浮かべる少年ウィル。

 とてもドラゴンを倒したえいゆうには見えなかったが、ルナマリアは彼がこの世界を救う勇者であると確信していた。

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