第5話

水族館を堪能したら向かいにある喫茶店で小腹を満たし、歩いて10分の浜辺で海を眺める。これもお決まりのコースだった。喫茶店で僕達はたまごサンドを注文した。潮と木の香りにジャズが流れる雰囲気のいい喫茶店。ここはまだ茉莉と付き合い始める前、初めて2人で食事をした場所だ。程よく卵の形が残った絶品の卵サンドを食べ終え一息ついた頃、注文した覚えのないチーズケーキが2つ運ばれてきた。


「あの、これ頼んでないですよ…?」

何度も通ってお互い顔見知りのマスターに聞く。茉莉も不思議そうな顔をしていた。


「今日は茉莉さんのお誕生日でしょう。これは当店からのサービスです。あいにくショートケーキは作っていないのでチーズケーキですが、よろしければ。」

常に紳士的な態度のマスターがにっこり笑ってそう答えてくれた。

そういえばここのポイントカードに生年月日を書く欄があり、茉莉はそこに自分の誕生日を書いていたはずだ。まさか覚えていてくれているなんて思ってもいなかった。

ありがとうございます、お礼を言って2人で追加でホットコーヒーをもらう。本日2杯目のコーヒーだが缶コーヒーとは比べ物にならないくらい美味しく、程よい甘さのチーズケーキにピッタリだった。


マスターにお礼を言って喫茶店を出ると特に相談もなく2人で合わせて浜辺の方に向かった。手をつなぎながらてくてくと歩く。茉莉といると時間がとてもゆっくりに感じられるのに実際に時計を見たらもうこんな時間なのか、なんて不思議な時の流れ方をする。この日だって午前中から待ち合わせしてゆったり過ごしていたはずなのにもう太陽が西に傾きかけている。


浜辺につくと誰もいなくとても静かに波の音が響いていた。


「ねぇ悠、泳ごう。」

え、と驚いた顔している僕をみて茉莉が笑う。水着なんて持ってきていないしこんな時期外れの海に入ったら風邪をひいてしまう。

いいから、と僕の手を引いて歩く。

足が濡れる手前で茉莉がパンプスを脱ぎ捨て、はやく、と僕を急かす。

言われるがまま靴と靴下を脱ぎ、ジーンズを捲りあげた。


「きゃーー!つめたいっ!」

裸足の足を海に入れきゃいきゃいとはしゃいでいる。こんなに楽しそうな茉莉をみたのは初めてな気がして、なんだか嬉しくなり勢いに任せて僕も海へ足を入れた。


「わたしの夢はね海で死ぬ事なんだ。」

冷たい海に足を入れたまま茉莉が真剣な顔で僕の方を見た。茉莉の死なんてこの時に想像なんてしたこともなかったは僕は突然のことに何も答えられずにいた。


「来世は広い海でクラゲみたいにゆらゆら泳いで暮らしたいの。日本で死んだら火葬されちゃうでしょ。そしたら空にいかないと行けない。だから、もしわたしが火葬されることになったらわたしの体を取り返して海に捨ててね。」

ブレスレットをあげた時に見せた笑顔でおねがいね、と続ける茉莉の後ろで夕陽が赤く輝いていた。


そこまで語り終えた時、自分の頬が濡れてることに気づいた。一体いつから泣いていたの分からないけど拓巳と百合香は何も言わず静かに聞いていてくれたみたいだ。ごめん、と一言呟いて涙を拭う。


「きっと、読んだ方がいいと思うんだ。」

拓巳が僕にティッシュ箱を渡しながら言った。


「茉莉さんの遺書を読んで…この仏壇もきっと片付けた方がいい。今のままなら悠くんはいつまでも前に進めないよ。」

拓巳が言いたかったことを百合香が優しい声で言い直してくれる。

僕はいまだに茉莉の死の真相を知るのが怖い。もしも死のきっかけが僕が何の気なしに言った一言だったら、遺書の中に僕への恨み言が書かれていたら…

「もし遺書の内容をお前一人で受け止めきれないなら、俺達がまた話を聞いてやる。朝まででも聞いてやるし、なんなら2日くらいは寝ないで聞いてやってもいいぜ。」

「じゃあ山ほど料理を作らないとだね、その時は拓巳も手伝ってよね。」

拓巳と百合香が冗談交じりに僕の背中を押してくれる。このカップルは本当にどれだけ僕に優しくしたら気がすむんだろう。


この日はこれでお開きということで2人は一緒に住んでいるアパートに帰って行った。部屋で1人茉莉の仏壇の前に座ってみた。酔いはとっくに冷めている。少しだけ震える手で遺書を手に取り、封を切る。中身は1枚だけしか入っていなかった。カーテンの隙間から朝になる前のグレーの光が差し込む中、遺書を読み始めた。


『悠へ

この手紙を読んでいる時、私が死んでどれくらい経ちましたか。悠は優しいからそばにいたのに私の気持ちに気づけずに申し訳ないとか、もしかして自分のせいなのかもとか、色々悩んでくれているのでしょうね。私の母親には会いましたか?もし母が何か嫌なことを言っていたらごめんなさい。でも嫌わないでくれていたらうれしいです。あの人と私は同じ。親子と言うよりは愛を知らずに育った同士で、もしかしたら私のことを1番理解してくれている人なのかもしれないのです。

私はいま屋上でこの手紙を書いています。こんな綺麗な雲ひとつない青空の日は神様が私をバカにしているような気がする。お前はこの世界でどれだ素晴らしい人生を歩んでいるんだって。子供の頃から生まれてきた意味なんてものは無いけど、生きていくための意味は自分で見つけないといけないって気づいてた。そして今日ふと、その意味を私に見つけることは出来ないってふと思った。だから飛び降りることにしました。こんな理由で死ぬなんてきっと悠は怒るだろうね。ごめんね。

私の遺体はきっとぐちゃぐちゃだったろうね。悠にはできれば見られていないといいな。

悠と過ごした日々はとても楽しくて、幸せで、心が温かくなることが沢山あったけど、『愛』が分からない私には少し荷が重かったみたい。でも、最後に言葉を残したいって思ったから私は悠のこと愛しているのかな。よくわからないけど。きっとそうだよね。でもこの『愛』はこの先何十年と生きていくための『意味』にはできないみたい。でも私はいま幸せだよ。

やっと愛に溢れる憎たらしいこの世界から抜け出すことできたから。

茉莉』

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