第二章 はじめての魔法授業 5

 倒れたゲルトを見おろしている男が顔を上げた。

 屈強な肉体を持つ大男だった。身長は百九十センチ以上、肩幅が異常に広く、首の太さが顔の幅と同じくらいある。

 そして片手にはさやに入った剣を携えている。ぐで両刃の西洋風の剣のようだ。

「貴様が、もりおかゆうか。昨日、ゲルトが世話になったそうだな」

「世話にって……お前は」

「俺は『世界ワールド』のカード、騎士ナイトのキルガ」

「ってことはゲルトの仲間か。一体何があったんだ?」

 大男は右足を上げると、ゲルトの胸を踏みつけた。ミシッと音がして、ゲルトの口から鮮血がき出た。

「やめろ!! お前、ゲルトの仲間なんだろ!? 何でそんなことをしてんだ!?」

「人間ごときに後れを取ったやつは『世界ワールド』の面汚し。栄光あるアスピーテ様の顔に泥を塗るような真似まねをした罪、許しがたい。よって制裁を加えている。余計な口出しをするな」

 キルガは剣を抜いた。

 冷たく光るやいばが、それが本物の剣であることを証明していた。

「よせ!!」

 俺はとつに飛び出していた。

「ユート!?」

 先輩の焦った声が後ろで響いた。

 俺は『豪炎フアイガ』の魔法を出そうと、右手を前に出す。しかし──、

 魔法を発動するよりも、剣を振り下ろすという単純な動きの方が圧倒的に速い。

 ──しまった!!

 近付きすぎた。

 魔法で攻撃するのならば、むしろ距離を取るべきだった。

 こんなことを実戦で覚えていたら、命が幾つあっても足りない。先輩に鍛えてもらっていたら、こんなことにならなかったのに。

 そんな後悔を胸に、迫り来る白刃をすべもなく見つめ──、

 目の前で火花が散った。

「!?」

 いつの間にか、俺の前に小さな体があった。

 自分の体よりも長い日本刀を構え、キルガの剣を受け止めている。

「お怪我けがは! お怪我は、ないですか!?」

「れいな!?」

 ──いわれいな。

 昨日、リゼル先輩や雅と共に、俺のカードになりたいと言った、中等部の小岩井れいなだった。

「はっ!」

 れいなは長い銀髪をなびかせ、キルガの剣を押し返した。

 返す刀でキルガを斬り付ける。

「ぬっ!」

 キルガは大きく後方へ飛び、れいなを警戒するように剣を構える。

「小岩井れいな……まだ中等部ながら、剣の腕は相当なものと聞いている」

「ユートさんには、指一本ふれさせませんっ、ですです!」

 俺は、俺を守ろうとする小さな背中を見つめた。そして、近くに倒れている、無残な姿のゲルト。

 俺のせいで、みんな──、

「れいな、待ってくれ」

「ユートさん?」

 前に出ようとする俺を、れいなはきょとんとした瞳で見上げた。

「これは俺が自分でまいた種だ。それなのに、みんなに戦わせて、守ってもらうなんて間違ってる」

 リゼル先輩が驚きの声を上げる。

「な、何を言ってるのユート! あなたはまだ──」

「これくらいの危機を乗り越えられなくて、何が魔王候補だ! 奴はこの俺が倒してみせる!」

 先輩は、はっと息をむと、目を大きく見開いた。れいなは、さっきまでのカッコ良さはどこへやら。あわあわと汗をかいて、うろたえている。

「や、やめて、やめてくださいっ。ユートさんは大切な体なんです! れいななんか、れいななんか気を遣って頂かなくても、ぜんぜんっ!」

「待ちなさい、れいな」

 リゼル先輩が俺に近付いて来た。

「もう止めないわ。でもね、ユート」

 リゼル先輩は俺の手を取り──自らのおっぱいに導いた。

 手の平に、この世のものとは思えない柔らかさと弾力を感じる。

「リ、リゼル先輩っ!?」

 慌てて手を引っ込めようとするが、先輩は俺の手をがっしりつかんで放さない。さらに胸を突き出して、俺の指を胸に沈ませる。その柔らかさと弾力は、限りない優しさと慈愛、そして母性に満ちている。

「ユート、今日魔法を使ったわね?」

「あ……」

 そういえば今朝、教室で三条にあおられて『豪炎フアイガ』の魔法を使った。

「キルガ相手には、全力の魔法でなければ勝てないわ」

 先輩のおっぱいから、俺の指先を通って魔力がじゆうてんされてゆく。

「それと、優しさは禁物よ。相手の身を案じて手加減をしたら──死ぬわ」

「……はい」

 先輩は、ふっと微笑ほほえむと、俺の手を胸から離した。

「勝つのよ、ユート」

「はいっ!」

 俺が前に進むと、キルガを足止めしていたれいなが道を空ける。俺の姿を見つめ、キルガは顔をゆがめた。

「愚かな……女の陰に隠れていれば、今日は生き延びることが出来たものを」

「みんなとは、まだ正式に契約を交わしていない。俺のために戦わせることなんて、出来るかよ」

「妙なことにこだわるものよ……にしても、貴様が腹を立てる理由が分からん。ゲルトは敵だぞ? しかも、貴様を相当に侮辱したと聞く。そんな奴のために、なぜお前が怒りをぶつける?」

「確かにゲルトの偏見は許せない。だが、こいつなりに仲間のために戦おうとしてたんだろ? 負けたからって、こんな目に遭わせるのは、もっと許せねえ! そんなの仲間でも何でもないじゃねえか!!」

 キルガは怒りの形相で、剣を俺に向けた。

「ぬるいっ! ぬるすぎるわ!! あきれ返ってものも言えぬ! やはり人間ッ! 我ら魔族の末席を汚すことすら許されんッ!」

 剣の切っ先に魔法陣が浮かんだ。

「『獄魔炎フアイザード』ッ!!」

 それは『豪炎フアイガ』よりも複雑な魔術式で描かれている。

 すなわち、より高度で、より破壊力を持つ上位魔法。

 俺のまだ知らない魔法だ。

 アルカナに頼めば、修得出来るかも知れない。しかし、新たな魔法を覚えても、ちゃんと使えるかどうかも分からない。だから──、

「今の俺には『豪炎フアイガ』しかないんだ!!」

 俺も右腕を前に出し、指を広げる。同時に魔法陣が展開した。その魔法陣を見て、キルガは顔をしかめた。

「そのような初心者が使うような魔法……とことん失望したわ」

 さすがに実力者。俺の魔法陣を一目見ただけで、どんな術式か理解したらしい。

 キルガの魔法陣が輝きを増し、えた。

「死ね!! 盛岡雄斗ッ!!」

 そして俺もまた、うなり声を上げる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 今もらったばかりの魔力を惜しげも無く魔術式に流し込む。

 俺の魔法陣が輝きを増し、一気に巨大化した。

 それはキルガの『獄魔炎フアイザード』をはるかにしのぐ。

 キルガはきようがくに目を見開いた。

「な……これが『豪炎フアイガ』だとッ!? 信じられんッ! この巨大さ、ありえ──」

「『豪炎フアイガ』!!」

 俺の魔法陣から、炎が爆発したように吹き出した。

「ぐぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」

 キルガも剣で防ごうとしたが、それも一瞬。あっという間に炎に飲み込まれた。

 体育館の床と壁が炎で燃え上がる。そしてキルガの体は壁にたたき付けられ、顔面から床に倒れた。

 防御術式が編み込まれた制服のおかげで死にはしない。しかし、その制服ももう限界なのだろう、焼け焦げて煙を上げている。

「すごいです! すごいです! ユートさんっ!!」

 れいながぴょんぴょん飛び上がって喜んでいた。

 俺はお伺いを立てるように、リゼル先輩を振り向いた。そこには、満足げな笑みを浮かべるリゼル先輩がいた。

「満点よ♡ ユート」

 れいなはまだ興奮が収まらないのか、ぴょんぴょん跳び続けている。

「ほんとにほんとにすごいです! あんな『豪炎フアイガ』初めて見ました! あれって本当に『豪炎フアイガ』なんですか!?」

 俺が答えに困っていると、リゼル先輩が代わりに答える。

「あれが、普通の魔族と王の差よ」

「ほえええ~」

 れいなは口をひしがたにして、感嘆の声を上げた。

「とにかくパレスに戻りましょう。先生に伝えて、午後の授業はお休みに──」

 リゼル先輩の顔色が変わった。

「これは……」

「どうかしたんですか? せんぱ──」

 背筋に寒気が走り、総毛立った。

 なんだ? これは。

 人間である俺にも分かる。

 何か、とてつもない巨大な存在が近付いてくる。

 恐ろしく強大で、

 とんでもなく危険な、

「これは驚いたな」

 体育館の壁に突然穴が開いた。

 壊したのではない。まるで壁の素材が、突然柔らかいゴムになってしまったように変形して、入り口を作っていた。

 その男が入ってくるための、入り口を。

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