第一章 はじめての魔王学園 3

 大人びた表情は、きっと俺より年上。長いまつに曇りのない青い瞳。輝くように美しい肌。ピンク色に光る唇が開き、真っ白な歯がちらりとのぞく。

「大丈夫だった?」

 涼やかでりんとした声。死ぬかも知れない、という場面にもかかわらず、落ち着き払った態度。そして何よりその美しさ。まるで女神か天使が降臨したかのようだ。

 いや、ここは魔王学園なのだから、魔女か小悪魔か──あるいはサキュバスか。

 実際、見つめられるだけで、背筋がぞくっと震えた。

 炎が消え、ゲルトが怒りを込めた叫び声を上げる。

「てめぇ……ひめかみリゼル。なにジャマしやがんだよ! コラァ!!」

 ──姫神リゼル、それがこの人の名前なのか。

 俺に向かってかすかに微笑ほほえむと、再びゲルトの方を向く。

「あなたこそ。カードの分際で、主人に無断で他の魔王候補に手を出すなんて。後でお仕置きされるわよ?」

「ぐ……」

 一瞬ひるむが、バカにされたことに対する怒りが勝ったのだろう。ゲルトは顔を真っ赤にして、つばを飛ばしながら怒鳴る。

「ざっけんな! てめぇこそ、アスピーテ様の召喚を無視しやがって! せっかく『世界ワールド』のクイーンにしてやろうってのによ!!」

「興味がないのよ」

「アスピーテ様は『世界ワールド』のアルカナを持ってんだぞ!? 魔王のアルカナの中でも、次期魔王に最も近いと言われてんのを知らねーのか!?」

「本人が好きじゃないの」

 ゲルトは呆れたように口を開いた。

「ば……バカじゃねーのか!? ライン家の跡取りじゃねーか! イケメンで、何でも出来る。やったもんは必ず世界一位になる男だぞ!? 女なら誰だってなびくだろーが! アスピーテ様に抱かれたい女なんざ、掃いて捨てるほどいんのによ!」

 後ろ姿だが、姫神リゼルが険しい顔をした気がした。

「あなたとこれ以上話をする気はないわ。私が用があるのは、もりおか雄斗……ユートだけよ」

 ちらりと俺を振り返り、片目をつぶった。

 それはどんな男でも恋に落としそうなウインクだった。

「俺もてめーに用はねえ! その人間と勝負をさせろや!!」

 ゲルトの周りに、再び炎が渦巻いた。

「見りゃ分かる! そいつからは何の魔力も、魔術式も感じねえ! マジでただの人間だ! 魔王のアルカナが舞い込んだのも、間違いに決まってる! だが、殺せば魔王候補を倒したことに変わりはねえ。そいつを踏み台にして、のし上がってやるぜ!」

 下品な笑いを浮かべ、ゲルトが手の平を俺に向ける。その手の先に、魔法陣が浮かび上がった。

「……仕方ないわね」

 頼りになる姫神リゼルの背中がどいた──って、え!?

 踊るようにくるりと回ると、俺の後ろに回る。両肩に手を添え、体を寄せてきた。

「『恋人ラバーズ』のアルカナは持っているわね?」

「え? あ、ああ」

 俺の耳元に息がかかり、ぞくっと首筋が震える。

 ふわりと、とても良い香りがした。

 そして、背中に当たる柔らかい感触。

 そんな感覚にドギマギしながらも、俺はシャツの下から『恋人ラバーズ』のアルカナを出した。

 カードケースに入れ、チェーンで首から提げている。母さんが用意してくれたものだ。

「心配しないで。必要な魔法は、そのアルカナが教えてくれる……きっとね」

「って言われても!?」

「大丈夫。深呼吸をして、落ち着いて」

 こんな状況で落ち着くのは至難の業だが、やるしかない。俺はとりあえず、大きく深呼吸をした。

「よく出来ました。次は望むの。身を守る盾が欲しい、って」

 言われたとおりにすると──、

『防御魔法「魔障壁バリカーデ」を覚えました』

 ──という声が、頭の中で響いた。

「どう? アルカナの声が聞こえたかしら?」

 ──アルカナの、声?

 今のは確かに、『恋人ラバーズ』のアルカナがやって来て以来、朝、俺を起こす声。やはり、『恋人ラバーズ』の声だったのか。

 次の瞬間、俺の頭の中に複雑な文字列と図形が浮かんだ。

 何だこれは!?

 見たこともない文字と図形──いや、

 これは、姫神リゼルがゲルトの炎を防いだ魔法陣だ。

 そして、わけが分からなかった魔法陣のその意味が、

 ──分かる。

 不思議と今では、その仕組みと意味が分かった。

 一つ一つの文字の意味が、幾何学模様の図形の意味が。

 初めて見たときは意味のないデザインかと思ったが、とんでもない。全てに意味があり、その形は必然であった。

「ふふ、聞こえたみたいね」

 うれしそうに耳元でささやかれる。その声も耳にくすぐったいが、それ以上に背中に当たるふにゃっとした弾力がヤバい。

「聞こえました、けど……その……背中に当たって……」

 ふっと息を漏らすと、姫神リゼルは俺の耳元で色っぽく囁いた。

「当ててるの♥」

 下半身から頭までぞくぞくしたしびれが走り抜ける。そして背中に感じる、今まで経験したことのない柔らかさ。そこから、温かく、不思議な感覚が体に広がってゆく。体中の神経や血管を伝って、体の隅々にまで行き渡る。

 何だ、これは?

 表現が難しいが……恐ろしく濃度を高めた、体力と精神力の原液とでも言おうか。とんでもない爆発力を秘めたエネルギーが体の中へ流れ込んでくる。

 それが全身に行き渡るにつれ、力が湧き、気持ちが明るくなり、希望があふれる。頭の回転までどんどん速くなっていくような気がする。

 今まで見えなかったものが見え、聞こえなかった音が聞こえてくる。

 不可能だと思えることも、今なら出来る──そんな気がした。

「ユート。頭に浮かんだ魔法陣に、この魔力を流し込むイメージをして」

 魔力?

 姫神リゼルのおっぱいから流れ込んでくる、この不思議な感覚のことか?

 正面を見ると、ゲルトが先程の何倍もの炎を練り上げている。

「戦いの最中にイチャコラしやがってクソが! 今度はさっきのとは違うぜ! 骨も残さずに燃やし尽くしてやる!!」

 まずい! このままじゃ焼き殺される!!

 俺は必死で、姫神リゼルのおっぱいから伝わってくる温かさを、魔法陣に流し込むことをイメージする。

 だがその時、

「死ねやぁあああああああああああああああっ!!」

 ゲルトの手から爆発的な炎が襲いかかってきた。

 ──もうダメか!?

 やけくそ気味に左手を前に出し、俺はその呪文を叫ぶ。

「『魔障壁バリカーデ』!!」

 左手の先で魔法陣が展開した。

 驚く俺の目の前で、濁流のような炎が、魔法陣によって全てはじき返される。

「なにぃいい!?」

 ゲルトの顔がきようがくゆがんだ。

 時間と魔力を注ぎ込み、こんしんの力で練り上げた炎の魔法を弾き返されたのだ。

 素人のこの俺に。

 そりゃ驚くだろう。他ならぬ、この俺が一番びっくりしている。

 この隙に逃げよう──と思ったが、背後の姫神リゼルはしっかり俺の肩を押さえている。

「次は攻撃魔法よ」

 マジかよ。

 ったく、勘弁してくれないかな、この人。

 愚痴を必死に押さえ込み、再びアルカナに祈る。

 このままじゃ、俺も、背中の姫神リゼルも焼け死んでしまう。

 頼む。魔王のアルカナ。

 俺に、戦う手段をくれ。俺と、背後にいるこの人を救うために!

 すると──、

『攻撃魔法「豪炎フアイガ」を覚えました』

 アルカナの声が聞こえると、俺は右手を前に出した。

 手の平の少し先に、先程とは違う形の魔法陣が浮かび上がる。

 これは、さっきゲルトが造ったものと同じ。

 しかし、クオリティが違う。

 俺は今さらながら、胸にぶら下げた『恋人ラバーズ』のアルカナの力を思い知った。

 そして俺に魔力を提供してくれている、姫神リゼルの力を。

「『豪炎フアイガ』!!」

 そう叫ぶと、俺の魔法陣から炎が走る。

 ゲルトの数倍の火力とスピード。炎が濁流のようにゲルトに襲いかかった。

「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 防御魔法を張るゲルトだが、その魔法陣ごと押し流す。

 ゲルトの体は吹き飛び、昇降口にたたき込まれた。その衝撃でばこが倒れ、その下敷きになる。

 遠巻きに見つめる生徒たちが声を失った。

 俺はあまりの威力に、ゲルトの無事が心配になった。

「……大丈夫か、あれ」

 答えを求めるように、俺は振り返る。

 そこには、驚きの表情の姫神リゼルがいた。

 思わず俺は息をむ。

 至近距離で見る、その美しさに。

「……信じられない。まさか本当に成功させるなんて」

 え?

 それじゃ……まさかこの人、俺を殺す気だった!?

「一応、私が助けるつもりだったのだけど……予定が変わっちゃったわね」

 俺の表情を読んだのか、そう付け加えて微笑ほほえむ。

「初めての魔法で、こんな威力をたたき出すなんて……正直、ここまでとは思わなかったわ。さすがは魔王のアルカナの所持者……いいえ、それだけじゃない」

 姫神リゼルは熱っぽい瞳で俺を見つめた。

 気恥ずかしくて、思わず目を泳がせる。

 超絶美人に真っ正面から見つめられるのが、こんなに恥ずかしいとは知らなかった!

「え、えっと。姫神、リゼルさん? あなたは一体……」

「私は二年A組の姫神リゼル。リゼルでいいわ。よろしくね、私の魔王様」

 二年生……やっぱり、先輩だったんだ──って、魔王様!?

「リゼル先輩……きたいことは……色々あるけど、とりあえずは、ありが……」

 あれ? 礼を言おうと思うのだけど、目まいがして……。

 リゼル先輩が慈しむように微笑んだ。

「無理をしなくていいわ。ゆっくりおやすみなさい」

 なんか目もかすんできた。美人を近くで直視したせいだろうか?

 そんなわけあるか──とセルフツッコミをしたところで、俺の意識は途切れた。

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