其の二 かんたんなお仕事

 この日も屋外は、相変わらず穏やかな陽気につつまれていた。

 とある峠の茶屋にエンの姿はあった。店先の峠道にまではみ出すように配置された長椅子に座り、この茶屋の名物である金柑まんじゅうをつまんでいる。


 初仕事の新人を伴ってのお仕事からは、とくに問題らしいこともなく今朝の未明に里へと帰還した。新人にお仕事を体験させることが目的といってもよい簡単な潜伏調査だったので、エン組三名は報告も簡単に済ませると、少ない報酬を受け取ることでお仕事を終えていた。



「アンタね、今朝お仕事から帰ってきたってことは、報酬が出たんでしょう? たまにはお茶でも飲んだらどうなのよ」


 エンは喉が渇くのか、先程から何度も席を立っては店の傍らの井戸で水を飲んでいるのを見咎められたのだ。


「俺はね、サヨちゃんの作った金柑まんじゅうが好きなんだよ。お茶と金柑まんじゅうを買う銭があったら、俺は金柑まんじゅうだけを二回食べにくるね」


 茶屋を相手にお茶を否定する暴言だが、自分の作るまんじゅうを褒められているのでサヨも悪い気はしない。サヨは話題を変えた。


「そういえばアンタ、新しい子を連れてお仕事に行ってきたんでしょ。優秀な子だった?」


 そんなサヨの質問に思うところがあるのか、エンは眉間にしわを寄せて無感情に答える。


「ふざけた人でも、時には作戦組長を任されることがあるのだと知りました。そして、そんな組長の下で組員が感じる心もとなさも知りましたので、アタシはしっかりとした忍を目指していきます」


「何それ?」


「その新人が任務の完了報告の時にね、労務局の人から初仕事の感想を聞かれて、そう答えたんだよ」


「あはははは 本人の目の前で言うところが強心臓ね。その子、出世するんじゃない?」


「あんなの、出世する前に味方に刺されるよ」


 エンと親しく話しているサヨは、爺さんと共にこの茶屋で働いている女の子だ。見た目は、エンより少し年上に見える。エンは里に居るときにはよくこの茶屋へと通っては、いつも決まってこの椅子に座った。


 ここは美濃国の某所。

 美濃には起伏の激しい地形が多く、今エンのいるこの茶屋も峠道に沿って建っていた。近い町は西と東に在るがその往来にもいくつかの峠を越える必要があるような山深さで、登っては下るその道のりは町を行き来する旅人にはつらいものとなる。サヨの茶屋はそんな峠に建っていて、往来する旅人たちの休憩場所となっているのだ。

 しかし、そんな旅人たちの憩いの場も、実はこの茶屋の半面の姿でしかない。残りの半面の姿…… それは、この茶屋が忍の里への玄関口となっているのである。

 茶屋の裏手の茂みから草木をくぐって森へと踏み込んでいくと、やがて人の住む里へと辿り着く。 その里こそが、エンたちが所属する忍の里である「濃武のぶの里」である。



 エンはもはや手慣れたもので、茶屋の裏からの狭い森道をサッサと歩いてゆく。しばらく進むと細道を抜け、目の前には夕刻の陽に照らされた濃武の里の景色が広がった。

 先ほどまでのけもの道が嘘のように、足下は踏み固められた幅約十歩の広い道となっている。それが里の主道路で、一直線ではないが里の両端をつないでいるのだ。

 里の運営施設や商業施設の多くが、そんな主道路に沿って建ち並んでいる。また、枝のように主道路から右へ左へと分かれていく道を行けば、住居の多い区域、鍛冶場などの産業区域、里の外れには畑までと、規模は小さいながらもちょっとした町のような環境がここには整っている。

 外の世界に住む人々は、忍の存在もその忍が住む里の存在も知識として知ってはいるだろう。しかし、深い山や森の中にこれほどの文化を持った里が築かれていることまでは、世の中のほとんどの人は知らぬ事である。



「ようエン、帰ってたのか」


 ちょうど労務局という忍のお仕事を管理する施設の傍を通ったときだった。エンが声の方を向くと、エンより少し背の高い男が立っていた。顎の無精ひげが年齢を実際より高く見せているのかもしれない。


「あぁタカシか。うん今朝戻ったよ。ここで会うってことは、お前の方は新たなお仕事の依頼か?」


 近づいてきたタカシはエンの肩に手を置くと、エンの問いに答えることもなく言った。


「よし、報酬も入ったことだし、このまま飲みに行くか」


「おいおい、今回は新人の付き添いで、報酬なんて微々たるものだったんだよ。行くなら割り勘だぞ」


 二人は『横丁』と呼ばれる居酒屋が並ぶ通りへと向かった。

 このタカシはエンと同じ寮に住む忍で、歳はエンより二つほど上になる。

 忍には年齢による上下関係というものがあまり無い。忍は普段から、必要以上の細かな個人情報を他人に語るものではないし、里外からお仕事に参加する忍などは年齢不詳な者も多い。忍の技として、見た目と年齢が伴わない者もいるくらいだ。さすがに身近なタカシが年上であることをエンは知っているが、それでもエンとタカシの会話に上下は無い。最近ではただの飲み仲間のようになっている。


「そうなんだよ。お仕事の紹介があるってんで、労務局に行ってきたんだよ」


 酒をあおりながらタカシがそう言ったことが、労務局の近くでエンが尋ねたことへの返事だと気付くまで、少し間があった。


「いや、返事が遅いわ……。 で、お仕事になるのかい?」


「いや、断った」


「へぇ、厄介な仕事だったのか?」


 労務局から紹介されたお仕事を受けるかどうかは、忍本人が決める。断ったということは、何か理由があったはずなのだ。


「ぜんぜん。建造される砦の偵察らしいけど、辞めておいた」


「何でさ」


「オレ、いま家庭教師やってるんだよ。それを休んでまで行くほどの価値のある仕事であればと聞きに行ってみたんだけどね。それほどおいしい話でもなかったってだけさ」


「なに? お前が人に学問を教えてるのか」


「おいおいオレを何だと思ってるんだよ。お前と違ってオレはエリートなんだぜ」


「嘘つけ。エリートが何でこんな所で俺と酒飲んでるんだよ」


 これまでずっと可もなく不可もない平凡な成績をもって生きてきたエンは、酒の入った隣人がエリートを自称しても、まったく取りあわなかった。


「まぁ、オレが断ったんでまだ担当は決まってないからさ、次にお前あたりに紹介が行くんじゃねぇか?」


 そんなたわいのない会話と共に、日が暮れていった。



 ── 一週間後 ──


 エンは建造中の砦が見える林にいた。


 たしかに任務をこなすだけであれば、簡単なお仕事ではあった。美濃南西部の領主が領内に砦を築こうとしているのだ。

 戦の多いご時世ともなれば、費用をかけてでもこうして危機に備えるのは立派な心掛けである。しかし、それは防備とはいえ軍事である。とうぜん近隣の領主たちは刺激を受けて、様子を探りにくるというわけだ。


 すでに砦の近くには、多くの忍が潜んでいるようだった。エンは砦の建設を観察しやすい木を選んだ。一人忍らしき者が既に居るようだが、構わず登った。


「おい! ここはオレの木だ。登ってくんなよ」


「まぁまぁ、そう言わずに。枝は左右に生えてるんだから、こっちは俺が使ってもいいだろ」


 エンは見知らぬ忍の隣の枝に居座った。ここからだと建設工事中の砦の様子がよく見える。

 どうやら砦は山の麓と頂上の二カ所に建設し、連携して守れるものにするらしく、エンたちはそれら砦の正確な場所を含めた周辺の地図を作成することが、今回のお仕事の目的となる。


 エンはチラリと隣の忍が描いている絵を覗いた。画才が有るとしか思えない砦とその周囲の景色が描かれていた。


 枝に座り足をプラプラさせながらぼんやりと砦を眺めるエンは、これからお仕事をどのように進めるかを考えていた。今回は単独のお仕事ゆえ、エンに指図する上役はいないのだ。

 ふと隣の枝の忍を見た。

 緑の衣服を着ている。それが木の上での作業を見越して用意したのであれば、周到な者である。絵も上手く、さぞかし見栄えの良い地図を描き上げるのだろう。


『俺はなかなか良いヤツの隣に座ったみたいだな』


 エンは方針を決めた。そして隣の忍に話しかける。


「なあ」


 ・・・・・

 男は返事をしない。エンはもう一度男を呼ぶ。


「なあって。緑の」


 隣の枝の男はキッとエンを睨んで言った。


「馴れ馴れしいんだよ、気安く話しかけんな。……あと、緑のって着物の色で呼ぶな」


「名を知らねぇんだから仕方ないだろ。俺のことも土色でいいよ」


 面倒な奴と知り合ってしまった。緑の忍は明らかにそのような表情でエンを見ている。そして──


「で?」


「……ん?」


「いや、テメェが話しかけてきたんだろ! 何の用だと聞いてるんだ」


「あぁ、そうだった。 なぁ、砦の調査、一緒にやらないか?」


「ツレかテメェは! 何でオレが、同業他社のテメェと協力するんだよ」


 緑の男は半ば呆れて言った。

 が、エンは本気で言ってるようで


「だって俺もお前も同じ砦の調査だろ? なら手分けした方が効率的で、しかも良いものができるよ。お前、すごく絵が上手じゃないか、俺の地図も描いてくれよ」


「図々しい奴だな。で、オレが絵を描いたらテメェは何をしてくれるんだ?」


「砦の詳しい情報は俺が調べて教える。だからお前は地図の端にそれらの情報も書き込んでくれれば、なかなかに上等な報告資料が完成すると思うんだよ。一人じゃ作れないくらいのね」


「オレが見るよりテメェが見た方が詳しい情報が判ると言ってるのか? 舐めんなよ、オレにも観察力はある」


「まぁまぁそうカリカリせずに。馬鹿にしたつもりはないが、俺にはこれがある」


 そう言うと、エンは懐から取り出した筒のようなものを見せた。緑の忍が怪訝な目で見ている。

 

「これは遠筒とおづつ。その名の通り、遠くが見える筒だ」


 それは単筒の望遠鏡なのだが、この時代には珍しい代物だった。エンにも仕組みはよく解らないが、父親から譲られて愛用しているものだ。


 緑の忍の説得は難しくなかった。近隣の各領地から雇われた忍が方々から集まって来るのは分かっていることだし、それら忍たちが功を争っているわけでもない。なので裏切りや妨害を警戒する必要がなく、協力して仕事にあたった方が効率が良いことも緑の忍には理解ができたからだ。

 それからは、エンは上か下の砦に張り付いて情報収集を行い、緑の忍は周辺を含めた地図を描くため、砦から離れることが多くなった。



 そして翌日、二人は上の砦を監視できる木にて合流し、まだ工事中の砦を眺めながら木の実を食っていた。


「オメェは偵察の任務が多いのか?」


 枝に座る緑の忍は、先ほどから噛み砕けずに苦戦している胡桃を見つめつつ、エンに問う。


「俺はあまり強くないんでね、戦闘には向いていない。だから、戦場や刺客の類のお仕事は避けている。するとね、こういった比較的安全な偵察や調査のお仕事ってのが、どうしても活動の場となるわけよ。それならば、この種のお仕事では重宝されて食いっぱぐれることがないように、なるべく何か価値を付け加えたものを成果として提出できるようにと心掛けているのさ」


 下の砦がおおかた形になっているのに対し、上の砦はまだ建造半ばだ。作業員がウロウロと動いている姿を眺めながらエンはそう答えた。


「ふぅん、だからといって他里の忍びに手伝わせようって発想はイカれてるが、心掛けは殊勝だな。見習うよ」


 緑の忍は慣れてくると気のいい奴で、共同で作業にあたっていると次第に一体感も湧いてきていた。




 ── そうして一日二日と過ぎ、エンたちは再び下の砦を望む木へと戻っていた。


「オメェ、人足の中に紛れ込んだのか!?」


「ま…… まぁな」


 上の砦は基礎工事の時、南西側の斜面が崩れた。そのため人足たちは慌てて地面を補強し、現在の柱を建てたのだという。この情報を話したところ、緑の忍に驚かれたのだ。


 その他にもエンの語る話は数は多くないものの、なかなかに砦のツボを突くような情報ばかりであり、緑の忍を感心させた。そして緑の忍は、それらを地図の余白に書き込んでいく。地図が完成に近づく。


 その時だ。ザザザァァーと付近の木から騒がしい音が聞こえた。


「何だ? 誰かが木から落ちたか?」

 そう言って緑の忍が音のした方を向いたときだった。


 カッ!


 エンと緑の忍の間の木の幹に矢が突き刺さった。

 二人の顔から血の気が引く。砦の方を見ると、新たに完成した砦の足場に侍らしき者が数人いる。


「あそこからか。さっき木から落ちた者もアイツらに射られたんだな」


 毎日多数の忍に張り込まれていれば、さすがに砦方も気が付いていたようで、高い位置の足場の完成をもってこの目障りな傍観者たちを打ち払いに出たようだ。


「ここらで引き上げるか……」


 そう言うとエンは、緑の忍が描いた地図の一枚を手に取り、懐へしまった。


「おい土色、そっちはまだ情報を書き込んでない方だぞ」


「自分で見てきたものだから、それくらいなら後で自分で書ける。それよりも奴らが木の下に来る前に退がった方がいい」


 エンは危ない場所は御免だとばかりに緑の忍を急かして木を降りると、森の奥へと移動した。


「ありがとな。今回は緑のと出会えたおかげで、良い報告書ができたよ」


「いや、オレも案外楽しかった。この種の案件を受けていれば、いずれまた会うこともあろう。その時には名を教え合おうか」


「ふふ……そうだな。その時もお互い同じ色の衣服とは限らないものな」


 二人はそう言って背を向けると、各々の里への帰路についた。



 ────────


 春の夕暮れ。満月が里を照らす明るい夜、エンはまたタカシと共に居酒屋で酒をあおっていた。


「偵察する方もそうだけど、監視される側ももう、『こういうのは見られてるものだ』という先入観があって、特に対応に力を入れないんだよな。だからつい、偵察側は身を隠すのが雑になるっていうか……」


 タカシが断り、エンが受けた先のお仕事。この時の出来事を肴にして飲んでいる。


「あぁ、そういうのってあるよな。するとそこに、まともな奴がいて、射られたと……」


 どうやらあれは、゛偵察あるある゛だったらしい。

 考えてみれば当たり前の話だ。周囲の木々に蝉のように忍が留まって偵察しているのだから、偵察される方も目を凝らして木々を見れば、忍の一人や二人は見つけることができる。撃退されない方がおかしい。もう少しまじめに忍べという話だ。


 一方、タカシの近況に話が移る。


「じつはオレも今日、またお仕事の紹介を聞いてきたぞ」


「へぇ。で、どうしたんだ?」


「断ったよ。家庭教師を休んでまで行く内容じゃなかった。定員に達しなかっただろうから、またお前の方に紹介が行くんじゃないかな」


「おいおい、先にいちいちお前が断るというくだりがあるせいで、俺のお仕事はお前の食べ残し感が強いんだよ」


 エンは労務局がエンより先にタカシへ案件を紹介するのが気に入らないらしい。


「エリートへの嫉妬は見苦しいぜ。その分、オレから事前に内容を聞けてるんだからさ、むしろ有り難く思うべきだよ、エンくん」


「ふん。で、何のお仕事だったんだ?」


「甲田、丙谷領にて、戦の前の事前調査さ」


「あぁ…… あそこか……」


 甲田家と乙村家と丙谷家というそれぞれ美濃国の北東部を領有する小領主がいる。この三家の領地はそれぞれ隣接しており、昔から仲が悪い。

 領境を挟んだ村同士でのいさかいは度々起こるし、定期的に領主が軍勢を率いて出陣しては、迎え打つ相手領主の軍勢と対峙するという事態も発生している。

 まさに忍の需要が高そうな紛争地域といえるが、この話を聞いたエンの反応は軽い。


 実はその三領の軍事行動というのが、いつも見せかけなのだ。軍事行動を起こしているふりをしているだけで、武器を手にまともに戦ったことなどない。軍と軍が対峙しても大声で罵り合うだけの、ただのガス抜きなのだ。

 仲が悪いのは本当だが、彼らに命をかけて戦う気概などない。外交もなあなあで済ませ、先祖がお上から賜った領地をそのまま治め続けていたいというのが、彼ら領主たちの本音だった。

 これらは、美濃の忍なら皆知っていることだった。もちろんタカシもエンも知っている。だから、この三領での仕事となれば、簡単な内容であると想像がついた。



 翌日、労務局からお仕事の紹介を受けたエンは、この案件への参加を決めた。


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