第58話 2人きり

「挨拶は無事に済んだのか?」

「えぇ、無事に」

「相変わらず泣き虫だな」

「別に泣き虫じゃないです!最近はたまたま涙腺が弱くなっているだけで……!」

「悪い悪い。責めているわけではないんだ」


既に部屋に戻っていたクエリーシェルに出迎えられる。目元が赤いのをすぐに気づいて、入室すりやいなや優しく抱き締められた。


「あ」

「ん?どうした?」


貰った香油の箱を持っていたのを忘れていて、潰されていないか心配になったが、さすがにそこまで強度が弱くはなかったようで無事だった。


「それは?」

「いただきものです。あ、ちょっと待っててくださいね」


クエリーシェルの腕から抜け出すと机に箱を置いて開封する。香油を取り出し少し馴染ませてから身体や髪に薄ら塗り込んでいく。


「どうぞ」

「どうぞ、とは?」


クエリーシェルの方に手を広げて構えるが、彼は私の意図を察せなかったようで首を傾げている。


「さっき何か不貞腐れていたようなので、甘やかしてあげます!今の私は母様の匂いがして母性がたっぷりだと思われるので、さぁどうぞ」

「母性……?ちょっとよくわからないが、とりあえず言葉に甘えて……」


そう言うと、クエリーシェルの大きな身体が再び私に覆い被さるように抱き締めてくる。上向くと体格差で首が痛くなるので、私は彼の顔を見るのは諦めてクエリーシェルの腹部に顔をうずめる。


「どうですか?」

「んー、いつもと違って甘いような……でも少しスパイシーというか大人の女性の匂いな気がする」


すんすん、と首元の匂いを嗅がれて、自らが促したというのに少しばかり恥ずかしさが募る。少し彼の匂いがして、勝手に胸が高鳴ってくる。


「これ、母のお気に入りの香油を王太后様に調合していただいたんです。私も好きな香りで……」

「なるほど、いい品をいただけて良かったな」

「えぇ、本当に。カジェ国では至れり尽くせりで、申し訳ないくらいに施していただきました」


するりと彼の腕を抜け出そうとするが、抜け出せず。あれ?とクエリーシェルの顔を見れば、こちらを楽しそうに眺めていた。


「またすぐにリーシェは私の手から抜け出そうとする」

「別にそんなつもりではないですけど、ずっとこの姿勢はつらいです」

「では、こうしよう」


ひょいっと身体を持ち上げられる。急な浮遊感に焦っていると、そのままベッドに運ばれていく。


「ケリー様?」

「これからまた船旅だからな。こうして2人きりで一緒にいられるのもいつのことになるやら。というわけだ、今日は甘やかさしてもらう」

「え、え?」


そう言ってまた私を隙間なく抱き締めると、そのまま2人でベッドに転がる。体格差というか体重とかを考慮してだろうが、私が彼の上に乗っている形になっていて、なんだかいけないことをしているような気分だ。


「重くないですか?」

「いや。軽すぎて乗っているかどうかわからないほどだ」

「そういえば、さっきはどうしたんですか?あの場で嫉妬して不貞腐れるなんて珍しい」


公共の場では分別をつけるタイプなのに珍しいと思って確認するが、「いや、いい。ちょっと、何だ、余裕がなかっただけだ」と濁される。


(何かあったのだろうか)


私が不在の間に何かあったのかもしれないが、下手に詮索して薮蛇やぶへびになってもいいことがないのであえて言わずに黙っておく。


「明日は早いのだろう?早めに寝なければな」

「そうですね」


クエリーシェルの顔にかかった髪をソッと払う。すると、彼の大きな手で腰を掴まれたと思えば、くるっと半回転し、今度は私の上に彼が跨る形になる。


「ケリー様?」


先程同様に、乱れて顔にかかった髪を優しい手つきで払われる。そしてそのまま彼の顔が近づいてくるのを、目を閉じて迎え入れる。


「……ん、……んぅ……っ……っちゅ」


ゆっくりと唇が離れると、そのまま首筋に顔を埋められる。


「ん。……ケリー様?」


何かチリっとした痛みを感じたがその一瞬だけで、クエリーシェルはすぐに顔を離すと、満足気に微笑んだ。


「何を笑っているんですか?」

「いや。別に?」

「ちょっと、何か隠してるでしょう?素直に白状してください!」

「すぐにどうせ気づくさ。あぁ、私はあとで構わないから、先に湯浴みをしてきたらどうだ?」


すまして余裕ぶっているクエリーシェルに物申したかったが、確かに明朝早いことも事実なので渋々ではあったが、風呂に入ることにする。


「ん?何だこれ」


その後、自分の首筋に虫食いのような赤い斑紋があることに気づくまで、そんなに時間はかからなかった。

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