第57話 下見

「ふあー!風が気持ちいいですね!」

「大丈夫か?病み上がりで体力も落ちているのだから、あまり無理をするでないぞ」

「大丈夫ですよ。ケリー様も、昨夜思いっきり蹴ってしまいましたけど、大丈夫でしたか?」

「……気にするな、私が悪い」


さっと真顔に戻る辺り、あまり大丈夫そうではないな、と思いながらも、自分が悪いとは思わないのでそれ以上は言及しなかった。


(経験値が低いから、ゆっくりいこうと言ったばかりだったのに)


ちょっと浮かれている感はお互いにあったのだが、思いの外クエリーシェルのほうが上回っていたようだ。


あのあと、「すまない、頭を冷やしてくる」とそそくさと退室してしまって、気まずくなったら嫌だなぁとは思ってはいたが、日を跨いで彼も反省したのか、特にあれから過度な接触は控えるようになった。


(本当、極端なのよね)


ロゼットには今朝、クエリーシェルとのことを伝えると、とても喜び「今夜はお祝い膳にでもしましょうか!」と張り切っていた。


公にしないことも伝え済みだから、恐らく誰かに言うことはないだろうが、なんというか応援してもらったぶん、むず痒い気持ちだ。


「そういえば、ケリー様。今日はどちらに?」

「谷の方にな」

「谷、ですか?」

「あぁ、先日は山に行ったから渓谷に行こうと思ってな。ついでに下見も兼ねて」


(下見)


息抜きよりもそう言ったことに反応してしまうのは、最早のがれられないさがだ。やはり自分は恋愛よりもこういったことの方が興味を唆られるらしい。……知っていたけど。


下見というくらいだから、恐らくその渓谷に何かをする予定なのだろう。何をする予定かどうか、聞いても差し支えがないなら聞きたい。


チラッとクエリーシェルを見ると、私の心情を察したのか「着いてから説明するから、馬に振り落とされぬようにしっかりついてきなさい。ここは、兵でさえ振り落とされるくらいの高低差があるところだからな」と牽制される。


言うやいなや、そのまま手綱を握って先に走っていくクエリーシェル。そんな風に言われると、勝手に闘争心がむくむく湧いてしまうのも私の悪い癖だろうが、負けじと彼のあとについていく。


久々に身体を動かしたからか、全てが心地よい。秋の空気で少しひんやりとして、寂しい空気もまた、季節が感じられて良かった。


「うわぁぁぁぁぁ!すごいですね!!」

「だろう?この景色も見せたくてな」


どんどんと深い森を突き進んだあと、拓けたところに出るとそこには険しい渓谷が眼前に現れる。


そして季節柄だろう、緑や黄色、赤に茶色といった紅葉した木々が目を楽しませてくれた。


「以前、軍の偵察で来たことがあってな。ここはこのように進軍するには厳しい地だから、あまり滅多に来ることはないのだが。そのぶん自然の迫力があるだろう?」


人が手入れしてない未開の地。確かにそこには幻想種がいそうなほど、自然豊かで美しい大地だった。


「一応、谷を下ったところに山小屋がある。そこまで下るぞ」

「はい」

「ここからは急だが、大丈夫か?少し迂回すればもう少し平坦な道があるから、病み上がりだし、そちらから行こうか」

「いえ、せっかくですから、肩慣らしついでにこちらから下ります」

「そうか?振り落とされたり馬と一緒に転げるなよ?」


(今までにないほどの渓谷。むしろ崖と言っても差し支えないほどの高さだ)


恐くない、と言えば嘘になる。さすがの私も、この高さにこの切りたった崖のようなところを下ることは初めてだった。


(でもダメ、恐がってたってしょうがない。これから待っている各国の交渉することを考えると、こんなことで怖気付いてなどいられない)


覚悟を決めて、手綱を握り締める。そして、馬の横腹をガッと蹴ると、その駆け出した勢いのまま、ザザっ、ザザっと一気に谷を駆け下りていく。


こういうとき、一瞬でも恐怖を感じると馬もその感情を察し、それにつられて怖気付く。だから私は前を向き、ただひたすらに真っ直ぐ前だけを見つめ、谷を目指すことにした。


「ふぅ、着きましたか」


いくつか馬が脚を取られて転びかけたが、どうにか体勢を整え、巧くバランスを取りつつ下ったが、ちょっとした達成感に心が満ちていく。


振り返ると、自分がここを下ったなんて信じられないほどの険しい山がそこにはあった。


「あぁ、……リーシェはさすがだな。この渓谷に来るのは軍でも限られた人しか来れないのだが」


限られた人しか来れない、というのはつまり、先程の渓谷を降りれる人物が限られているからだろう。


あれは、一種の度胸試しと言ってもおかしくはない。いくら馬に乗り慣れていたとしても、あの崖を前に怖気づく人は多いはずだ。


「ちなみに帰りは?」

「先程言った少し緩やかなところがあるから、そこから帰る」

「承知しました」


推測するに、そこが帰路の定位置として決められているのだろう。慣れない山道では迷子になることもそうだが、野生の獣が危険である。

下手に縄張りなど入ってしまったら命が危うい。


「とりあえず落ち着こうか」

「そうですね。支度します」


山小屋まで行くと、あまり人が来ないせいか汚れが酷い。これはすぐには使えないな、とまずは片付けと掃除から始めることにした。


「私は掃除をしますので、ケリー様は火起こしお願いできますか?」

「あぁ、わかった」


私は腕まくりをすると、まずは窓から入ったであろう木の葉広いから始めることにした。

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