第35話 婚約者
「急に何かと思えば」
「すまない」
アマリスの手紙添削後、クエリーシェルに突然詰め寄られたから何事かと思えば、もう1つのカジェ国語講義についての話だという。
さして急務そうなこともなし、とりあえずアマリス皇女のカジェ国語講義が終わってからにしてくれ、と彼に釘を刺すと、渋々といった様子で引き下がるクエリーシェル。
(一体急になんなんだ)
別段思い当たることもなく、モヤモヤしつつもアマリス皇女に手紙の綴りの不備を指摘し、直すように指導する。
そのあと、アマリス皇女の添削を終え、2人で帰路についてから先程の話の内容について尋ねれば、私が最近カジェ国語講義でちょっかいを出されていることについてだった。
「何故それを?」
「アマリス皇女に聞いた」
「アマリス皇女が何故そのことを……」
「大人が話しているのを聞いたらしい」
「それは困ったものですね」
まるで伝言ゲームのように、人から人に伝わっていることに不快に思いつつも、特に面白おかしく誇張されているわけでもないようなのでそれについては言及しなかった。
実際に、ちょっかいをかけられているのは事実だ。先日成年を迎えたことを誕生会で知った者もいるらしく、ちょうどいいとのことらしい。
一応、現在の肩書きとしては他国の貴族という扱いだが、それ以外は秘匿にしているので、それはそれでいいように解釈され、他国から留学という体で、本当は婚姻相手を探しに来たという専らの噂になっているそうだ。
(どうりでグイグイ来るわけだ)
わざわざ船に乗って他国に行かずとも、自国に来た妙齢の娘がいれば好都合だというのは誰もが思うことのようで、講義をするたびに取っ替え引っ替え色々な男達がアピールしに来るのだ。
「で、大丈夫なのか?」
「今のところ特に問題はないですよ。さすがに他国に連れて行くとは言え、庶民ではなくそれなりの貴族な方達ですし、そこまで強引に誘われたりはないですから」
そう、さすがにカジェ国に連れて行くにあたっていきなり庶民との交流はハードルが高い。なので、まず目をつけたのは未婚の男性でも特に貴族で継承順位が低い人である。
貴族は、貴族家の出身者が誰もがなれるわけではない。ということはつまり、そこの後継として家を継承しなければ、貴族という肩書きは残りつつも維持するのは難しい。
貴族としての地位を確立させるために継承順位が低い人は、誰かのところに養子に入るか、はたまた自分で武勇を上げるしかない。
それにあぶれた者は、貴族という肩書きからは外れてしまう。名はあれど、ただの看板では意味はない。継ぐものがなければ、価値は下がってしまうのだ。
そういう者達への救済措置も含むための今回の提案だったのだが、案外血気盛んな若者が多いらしい。今まで2番手3番手で甘んじてたのが、自分にチャンスが回ってきたとなれば、気合いが入るのもわからなくはないが。
「リーシェ様、こちらの文法はここであっていますでしょうか?」と言いながら、さりげなく距離を詰めてこようとする者。
「リーシェ様、『(私と結婚を前提にお付き合いしてください)』で意味は通じてますか?」と何故か瞳を見つめられながら言う者。
「リーシェ様に今結婚相手や婚約者がいないなら、俺にしておくってのもありだぜ?」とあからさまにアプローチしてくる者。
挙げたらキリがないが、よくもまぁこんなにバリエーションに富んでいるな、というくらいにはそれなりにアプローチは受けている。さすがにここまで頻繁に言われていたら、周りが噂するのも無理はないだろう。
とはいえ、大人の話をここまで把握しているアマリスはどうにかしないといけないが。
(女の子は耳年増というが、年頃も相まって大人の話に興味津々なのだろう)
自分にも覚えがあるからなんとも言えないが、あまり褒められたことではないので、後日メリンダ王妃にでも釘を刺してもらうことにしよう。
「だが、なぁ……」
「私に信用がおけないのですか?」
「いや、そういうわけじゃ、ただ心配でだな……」
「大丈夫です。慣れていますし、そもそもこんな身の上なので、その辺の事情も知らぬ貴族と結婚なんて馬鹿げたことはしないですよ」
冗談のつもりで言ったのだが、なぜか急に私を見ながら黙り込むクエリーシェル。何か変なことを言っただろうか。先程の言葉を心の中で反芻するが、これと言って何が問題かよくわからなかった。
「とにかく、安心してください。誰かにうつつを抜かすとかそういうことはないので。きちんと職務は全うします」
「……リーシェは、結婚願望はないのか?」
クエリーシェルにしては随分と直球の質問をしてくるな、と面食らいながらも逡巡する。姉の結婚によって人生が狂ったと言っても過言ではない私は、正直結婚にいいイメージはない。
先日の結婚式で結婚概念に関してはある程度改めることはあったが、だからと言って結婚してその後の生活をどうするか、という展望を私は思い描くことはできなかった。
「結婚願望、ですか。正直あまりないですね。婚約したときも実感湧きませんでしたし、自分が結婚して子供産んで、とかそういうこともあまり考えたことがなくて」
「婚約してたのか?」
「えぇ、まぁ一応、これでも姫だったので。随分と昔の話ですけどね。こういうことになってしまったので、話は流れてしまってますが」
「そうか」
婚約者、と自分で言いながらも、正直自分が婚約してたなど今更ながら信じがたい。彼は彼で私を好いていてくれてたみたいだが、幼い私はそういう感情を持ち合わせていなかった。
ただ漠然と、「この人と結婚するんだ」としか思っていなかった。
「リーシェ、……いや、何でもない。急にすまなかったな。忙しいというのに」
何か言葉を飲み込んだのか、歯切れが悪いが、とりあえず帰ってからの支度を全てロゼットに任せたままにしてしまっているので、そちらに向かわねばならない。
なんとなくクエリーシェルの様子が気になるが、ロゼットも心配なのも事実なので、とりあえず彼の部屋を退室すると、後ろ髪ひかれながらも慌ててロゼットのところへ向かった。
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