クエリーシェル編
正直、ここ1年ほどの記憶は全くと言って差し支えないほど、私は持ち合わせていなかった。
戦地で父が亡くなって、寄宿舎から実家に呼び寄せられたことは覚えている。そこでヴァンデッダ家を継ぎ、領主としての仕事をこなすことを仰せつかったことも覚えている。
だが、その後のはっきりしている記憶は、目の前が真っ赤でただただ眼下には謎の肉塊や肉片が広がっているという光景だった。
それに至るまでの記憶は全くなく、領主として仕事をこなせていたか、義母とはどう過ごしていたかなどは何も思い出せなかった。
(あぁ、悲鳴が聞こえる。これは、誰の声だろうか)
義母のものだったか、使用人のものだったか、最早区別などつけることもできず、耳の奥で木霊するその声をまるで意味のない音のように受け流す。
「リシェル」
姉は私を見ると血が付くのを
疑問は疑問として残ったが、それ以上思考することはできなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
なぜ姉が謝るのだろうか、理解ができない。
そしてその後も思考することがままならないまま、ただ日を重ねているうちに、姉が全ての隠蔽及び始末をしたあと、再び私は寄宿舎に入れられたのだった。
(私は、何をすればいいんだろう)
両親が死んで、領主としての権威を受け継いだはいいが、正直自分は何をすればいいのかわからなかった。何をするにも無味無感動で、ただ日が過ぎるのを待っているだけだった。
領主の仕事は大公家で今のところ引き継ぐから、もう一度寄宿学校へ戻ってリフレッシュしてきなさい、と姉に寄宿舎に戻されたはいいが、皆一様に私を遠巻きにするだけで、居心地はあまりよくなかった。
そして、今までどのようにこの寄宿舎で過ごしていたかさえ思い出すことができないまま、ただ無為な時間を過ごしていた。
(親殺しは重罪だからな)
いくら姉が隠蔽したところで、噂はそれなりに広まっていることは承知していた。そして、それに関して絡まれたところで返り討ちにさえすればどうでも良かった。
「クエリーシェル。もうやめろ」
ドサッと引っ掴んでいた男を落とす。
散々絡まれたが、相手にしなかったことで逆上してきた相手だった。既に顔はボロボロで、相手の顔の判別も難しい。どこかの貴族の息子だっただろうか、興味がないからわからない。
「人間とはめんどくさいな」
「あぁ、だが人間として生きていくには付き合い続けなければならない。クエリーシェル、今日から貴様は私付きになれ」
「別に、かまわないが」
尊大な態度を取るこの男クイードは、幼馴染にしてこの国の皇子だ。今まで姉のマルグリッダにしか興味がなかったはずのこの男が自分に構うことなど珍しかった。
「まぁ、まずはその見た目をどうにかしないとな。陰気臭い。あと、それだけ力が有り余っているなら技を磨け、戦場で役立つ」
「……戦場」
「父親も立派な国軍隊長だったのだろう?ただの力技でなく、きちんと磨けば国軍総司令官にもなれるぞ」
「興味ない」
「興味を持て」
興味を持てだなんて、なんて物言いだろう。皇子だからこそ許される言動ではあるが、どうせ姉に何か吹き込まれたからに決まっている。
とはいえ、今特にやりたいこともなく、戦うことは好きなのでそれもアリかな、という気持ちになんとなく傾いている自分もいる。
何より、一番心配させてしまっているであろう姉の望みならば、その願いを叶えることも
「わかった」
「よし。では自分を変える努力をしろ、いいな、クエリーシェル」
「あぁ、承知した」
(自分を変える)
それから、食に興味がなくそれほど食べなかった食事量を大幅に増やし、今までよりも鍛えるようになった。
そのおかげで、今まで線が細かった体躯は見る影もなく大きくガタイもしっかりとしてきた。髪も髭もだんだんと伸びてきて、姉にさえ「誰?」と言われるほどのイメチェンを果たした。
見た目が多少変わったからだろうか、心に
ちなみにクイードとは身分差はもちろんあるが、気安く、またあっちはあっちで元々の尊大な態度のせいで友人がいなかったこともあって、常に一緒にいるうちに自然と何でも言い合うような仲になっていた。
「そういえば、2人目ができた」
「それは良かったじゃないか」
「まぁな。後継かどうかは定かではないが、無事に産まれてくることを祈っている。で、お前はどうなんだ?」
「どうとは?」
「結婚だ」
結婚、と言われても正直ピンとは来ていない。姉のとこに既に甥が産まれているし、今後何人か産んでくれたら後継として養子にという話も出てきてもよい。
別に無理に後継を立てずとも、この家は自分のみで潰してしまってもいいかな、とすら思っていた。
「考えていない」
「はぁ?」
「そもそも、女が寄り付きもしない」
実際にこの見た目になってからというもの、女性という女性からは見事に避けられていた。以前のときはそれなりに声をかけられることはあったというのに、見た目というのは大事なのだと実感せざるを得なかった。
「そこは否定しないが。ヴァンデッダ家を取り潰すつもりか?」
「まぁそれもいいかな、とも思っている」
実際に今自分も28、そろそろ30の大台にのろうか、というところである。結婚適齢期としてはとうに過ぎてしまってはいるが、資産は蓄えているほうなのでさして問題はないだろう。
問題があるとしたら、自分の結婚に対する意識と人間嫌いの気質だろう。
「いいか、よく考えろ。お前の実母は命がけでお前を産んだのだぞ?その意味がわかるか?」
「?」
「家を残すために母親は犠牲になったのだ。その命を易々と踏み
言われて今までその考えはなかったことに気づく。実母は自分を産んで死んだ。母の印象は父からの母の話を聞くのみで、それはおとぎ話を聞いているかのごとく、自分には直結しない話だと思っていた。
(確かに、父も私のぶんまでしっかりと大きく生きて欲しいと願っていたと聞く。姉も同様のことを言っていたか)
だがしかし、そう言われたところで急にではこれから頑張ろう、と言う気にもなれないのが現実だ。
自分の中に何かはっきりとはわからない黒い塊が重い枷のように巣食っていて、それがどうにも自分を苦しめ思考を鈍らせていることはわかっている。
わかってはいるものの、それをどうこうする気にもならなければ、どうすれば良いのかさえもわからないのが現状である。
「まぁすぐに結論は出さんでも良い。だが、女なんてごまんといるし、千差万別だ。現時点で皆合わないと遠巻きにしてるかもしれんが、実際問題今後どうなるかなど誰もわからん。だから、あまり頭を堅くさせすぎずに過ごせ」
「たまに正論を言うな、クイードは」
「私はいつでも正論だ」
未来か。
ただ生きていただけの人生にさほど興味はなかったが、今後そんな人物に会ったら一体自分はどうなるのか、と頭の端で考えながら、クエリーシェルは王城をあとにするのだった。
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