第2話 馬車の中

ゴトンゴトンと馬車に揺られながらただ何を話すでもなく、目の前で眠りこけている新たな雇い主を見つめる。


領主だと名乗る彼はクエリーシェル・ヴァンデッダ、齢32。大きな身体でまさに熊のような出で立ち。顔立ちは悪くないのに、伸ばしっぱなしの漆黒の髪と無精髭で恐い印象を与えがちになってしまっている。


だが、見た目とは裏腹に優しいというか、変わり者というか、領主にしては柔軟な考えをしているようで、私みたいな素性も知れない者を自らの家に引き込むというのは、ある意味大胆で豪胆と言えよう。


まぁ、ただのお人好しか。


(言ってみるもんだなぁ)


普段身の上話なんてしないが、なんとなくこの人になら言ってもいい気がしたのは正解だったようだ。


実際にこの人がいい人ならの話だが。これで実はロリコンです、とか言われたら目も当てられない。


だが、悪運の強いリーシェはなんとなく大丈夫だと勝手な自信を抱いていた。実際、これまでに色々なことがあったが、多少のいざこざはあれど、大きな怪我や病気もなければ死んでいないのは大きい。


普通は女で、まださして年端もいかず、自分でいうのもなんだがそこまで醜い相貌でもなければ、大抵慰みものとして扱われることも多いだろうが、そういう手合いにも会わずに済んでいる。


(お屋敷は一体どれくらいの規模だろう)


領主が住んでいるというのなら、ある程度の大きさはあるだろうが、この男1人で住んでいて且つ今まで1人で掃除が手を回るということはそこまで広くもないだろう。


これで掘っ建て小屋とかだったらさすがに笑えないが、周りからの畏敬の念を抱かれているところを見ると、それなりにしっかりとした領主ではあるようだ。


でも、それはそれで不思議である、領主である慕われ見た目もそこそこであればなぜ嫁を迎えないのか。


(あぁ、もしかして、もしかしなくても、そういうこと……か)


リーシェは勝手な妄想をしつつ、領主から視線を外すと外へと向ける。馬車は荒れ果てた砂地から段々と木が生い茂る森林へと入って行く。


今回の一件は秘密裏の事項らしく、この馬車も誰が乗っているかわからぬように家紋がない上、わざと窓にはカーテンがかけてある。


そのため、あまり顔を出すなと言われているので外を窺い知ることはできないが、匂いや纏わりつく湿度や温度、雰囲気でなんとなくわかる。


ガコッ


「あ」


車輪が外れたらしく、一気に馬車が傾く。ふっと身体が宙に浮き、気づいたときには彼の胸に飛び込んでいた。


「へぶっ」

「……大丈夫か?」


寝ていたはずの彼は、ちゃんと私を受け止めてくれたらしい。とりあえず礼を言うと、そこで待っていろ、と言ってそのまま馬車を降りて行ってしまう。


嫌な顔せず、庶民の下の下のような私を気遣ってくれる。うん、きっと彼はいい人だ。


(そっちの気がなければ、もっと良かっただろうに)


考えてみたら確かに、彼の部下だと名乗るニールという若者は、彼へ心酔というか陶酔というか、ちょっと、いやだいぶ、彼を慕っていたのを思い出す。


私が領主の家に行くとなったときは、そりゃあもう全力で止められた。「どこの馬の骨かもわからない小娘」と言われたし、「こんな幸薄そうなのを引き込んだら」とも言われたし。そうか、所謂いわゆる彼らはそういう関係だから頑なに私を拒んでいたのか。


別に、人の恋路に邪魔するようなことはするつもりは毛頭ない。ただ私は雨風凌げる家があって、寝床があって、とにかく穏やかに生きていければそれでいい。


夢は大きく大往生だ。安らかに死ぬために生きる、なんとシンプルな願いだろう。


(シンプルな願いだからこそ、難しいと言えば難しいのだが)


昨今の情勢はあまりよろしくない。隣国との戦争はいつ始まってもおかしくないほど、互いに軋轢が生じている。


一般庶民はあまり情報をもたらされていないとはいえ、私がこれほど知っていると言うことは、即ちそういうことである。


実際、領主の彼もとても疲れているようで、普通このような早馬の馬車で寝ることなど早々ないが、死んだように眠っていたことと、咄嗟に起きたことを考えると、眠りが浅いのに疲れているということなのだろう。


先程抱きとめられたときに見たが、目元にはクマがあったし、臭い消しである程度隠していたが体臭もそれなりにしていたので、風呂に入る暇さえないようだ。


秘密工作をしている辺り、国王からそれなりに重用されているようだし、家にほとんどいないと言っていた辺り、各地で燻っている火種を消して回っていると言ったところか。


「ちょっと動くぞー」


外から声がかけられ、再び身体が浮く感覚のあと、直したらしい車輪が嵌め込まれた音が聞こえる。


考えてみたら私、仮にも雇われの身だというのに手伝わなくて良かったのだろうか、と思いつつも、彼が待っていろと言っていたのだからいいか、と勝手に1人納得する。


使用人としてあるまじき思考だろうが、やらずに済む苦労ならやらないに越したことはない。


「大丈夫か?」

「はい」


ぬっと馬車に戻ってくる彼。元からそこまで広くないが、彼がいるとより窮屈に感じるのは仕方ないだろう。


一応そういうことを思っていても、あけすけに言うほどリーシェは愚かではないので、心の中でだけ留めておく。

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