人間模様6 居酒屋の絵

herosea

居酒屋の絵

1月も半ばが過ぎ、正月気分も薄れた頃だった。ヒロシは年明け挨拶の最後の顧客回りを終え、その日の仕事は上がりとした。


暗くなったばかりの夕刻、顧客オフィス近くの商店街を歩く。お腹がとても空いてきた。気が付いてみるとこの日は昼食も取る時間がなかったのだ。時計を見ると17時前であった。


「少し早いが夕飯を食べてしまおう。」

そう決めて適当な店に入ることにした。歩き始めて直ぐに看板が目に止まる。


 『食事処 定食 やきとり うなぎ 天ぷら』


その看板がかかっている店をみると年季の入った古そうな構えだ。

「そうだな、ちょっと奮発して鰻もいいかな。」


ヒロシはその店の引き戸を引いた。ガラガラとスライド式の戸を開けると・・。

「あっ、ちょっとハズしたか。」


 店内はこじんまりとした作りだ、男性二人組の客、女性二人組の客、そして一人の男性がカウンターに詰めて座っていた。奥に小上がりのテーブル席があるが、色々と物がおいてあって座れない。カウンターが2席程開いており、そこに座るしかなかった。


 ”ハズした”と感じたのは座る場所のことではなくて、客が皆、酒を飲んでていたのだ。17時という早い時間だが全員コップ酒という雰囲気だ。定食屋と思って入ったのであるが、どうやら居酒屋に近いようだ。今日は飲むつもりもなかったので出ようかとも思ったが、カウンターの中にいた年配の女性が即座に、


「いらっしゃい~、こちら空いてますよ。」


と席の一つを指し、客も全員がこちらを向くもんだから戻るに戻れなくなってしまった。ヒロシは言われるがままに座った。


 カウンター内には、声をかけてくれた年配女性と料理を黙々と作っている初老の男性がいる。暫く黒板に書かれているメニューを見ている間、客の会話が聞こえてくる。カウンター内の二人をお父さん、お母さんと呼んでいるところを見ると、二人は夫婦でこの店をやっているらしい。そして、客の男性達も女性達も年齢が高いと見える。もう仕事をリタイアしている人達だろう。そもそもこの時間から飲んでいるということは、この店を寄り合いに毎度集まっているらしいと察することができる。

 

 メニューは、焼鳥類から始まり、丸干し、鯖塩焼き、きんぴら、冷やしトマト・・、どうやらほんとうに地元密着の居酒屋であると悟った。しかし、今日は休肝日として飲むつもりはない。ヒロシはさらにメニューの最後の方を見た。そこにご飯モノがいくつか書かれていた。


 『お茶漬け、おにぎり、天丼、鰻重・・』


ヒロシは店に入る前に決めた通り奮発することにした。値段もそう高くない。

「すいません、鰻重を下さい。」

するとお母さんが何故か不思議そうな顔をして応えた。

「はぁ? 鰻重・・ですか?」

その返しようをヒロシは不思議に感じて、

「あの、鰻重は今日はやっていないのですが?」

と返した。

「いやいや、やっていますよ。鰻はウチの自慢ですから。」

不思議に思ったが、さらにヒロシの好物を追加した。

「えーと、それから肝焼きはありますかね?」

さらにお母さんが不思議そうな表情で応えた。

「はぁ? ありますが、肝焼きですか?」

「はい、鰻重と肝焼きを下さい。」

「鰻重と肝焼きですね、お父さん、お願いね。」

「あいよ。」


お父さんの方は黙々と料理の仕事をしている。だけどもお母さんの方は、ヒロシの何かに気を取られているようにも感じる。


ここでヒロシは他の客達の視線を感じた。それでようやくお母さんの表情の意味を理解をした。ヒロシがお酒を頼まずにいきなりご飯モノを頼んだからだった。さらに酒の肴であろう肝焼きまで頼んだから、「お酒はどうするの?」 と思っているらしい。他の客達からも、「お前はこの店に入って飲まないのか?」という圧を感じる。


「あの、すいません、食べるだけなんですけど良いですか?」

お母さんはちょっと間をおいて、

「はい、もちろん、大丈夫ですよ。ウチは定食屋ですから。お茶を出しますね。」


お母さんは酒を頼まないことを確認できてホッした様子だった。


お茶が出てきた。さらに暫くしてお父さんが、

「ハイよ、肝焼き。」

と出してきた。それを一気に食べて、暫し待つと、鰻重が出来上がって出てきた。久しぶりの鰻重だ。早速食らいつく。


そのタイミングのことだった。

ヒロシとは離れて座っていた男性の一人がお父さんに言った。

「今日ね、こんなのもらったんだがお父さん、いらないかな?」


取り出したのは長い筒だ。


「絵と言ってもカレンダーなんだけど、有名な人の絵なんだよ。本人が製作して関係者に配っているんだ。」


筒から丸められた中味を取り出して、それを広げ始めました。そこには上半分に花瓶に飾った花がかかれ、下半分はカレンダーとなっているものだ。


お父さん手に取って眺めた。

「へぇー、良い絵だね。早速、店に貼らせてもらおう。」

お父さんはそれを今日初めての客であるヒロシに渡した。皆で回してみてやってくれということなんだろう。

先の男性が言った。

「誰の絵かわかる?」


皆、創造がつかずに黙っている。ヒロシも考えたが・・もちろんわからない。良い絵だが、花瓶の絵なんて誰でも描くのでそうぞうがつかない。そう思って鰻重を食べながら絵をもう一度眺めた。良く見ると・・、右の下に何かかいてある。崩して書いてあるがなにやら漢字のようだ。


 『静香』


と書いてあるようだ。ヒロシは微かな記憶を辿った。

有名人ということは・・、あっ、彼女だ・・。たしか二科展にも入選したという記事を読んだことがある・・。皆が首をかしげているところにヒロシは得意げに言った。


「工藤静香ですよね!」 


ちょっとしたクイズに正解したという気持ちから思わず大きい声がでてしまった。黙っていた初客が突然発言したもんだから、皆、ちょっとぴっくりしている。お客さん全員、お父さん、お母さんもも一斉にヒロシを見た・・。


それまで、互いの連れ通しでバラバラに飲んでいのだが、ヒロシの発した声がきっかけとなって、店内の話題は絵のこととなった。ヒロシが隣の客に回す。更に皆で絵を回しながら盛り上がった。


「いい絵だねえ」

「へぇー、工藤静香の絵なんだ」

「私もみたい・・」

店全体で一緒に飲んでいる雰囲気に変わった。


ヒロシも饒舌になった。

「彼女はですね、二科展に入選するぐらい絵が上手いんですよね。」

「へぇー、工藤静香か。旨いねえ。」

「凄ーい。」

「写真撮らして・・。」

お母さんも感心した。

「そんな絵を貰って嬉しいわ。」


ヒロシは、知っている限りのことを話した。

「たしか、二科展には90年後に出して毎度入賞しているんですよ。」


皆で話しが盛り上がって少々したころだった。店の中でひとりだけニヤニヤとしながら暫し黙っていた人間がいた。先の絵を取り出した男性だ。彼がここが頃合いとばかりがぽつりと言った。


「実は・・、これ・・男性の絵なんだ。」


えっ!? ヒロシが返した。

「工藤静香じゃなくて? だって”静香”と書いてあるよ。」


ワンテンポおいて男が言った。

「あのー、この絵は、亀井静香が描いたんだよ。」


ヒロシは鰻重を最後を口に入れるところで手が止まった。

(えーえぇーー! 俺のウンチクはなんだった!?)


女性客の1人が天然の発言でヒロシに追い打ちをかける。

「工藤静香じゃなくて亀井静香なの?」


皆、それとなくヒロシの方を見た・・。

ヒロシは目の焦点が合わない。知らない街、知らない店で恥ずかしさが込み上げてくる。声を絞りだして言った。

「亀井先生、絵がお上手なんですねぇ・・。」


そこから、ヒロシ抜きで酒の入った男女の客達とお父さん、お母さんで亀井静香の話題が続いた。その後、お父さんがカレンダーを壁に貼ったところで、ヒロシはお勘定をした。


「結局、あいつ、酒飲まなかったな。」

という視線を背中にたくさん感じつつ引き戸を引いて店を出た。


ヒロシは、駅までの道、1人思った。

「まぁ、アットホームで良い店だったかな。時間作って、今度は飲みに行ってみよう。たぶん、皆、俺を覚えていてくれるだろうな。工藤静香のポスターでも買って持ち込んでみようか。」


ニヤニヤとしてその街を後にした。

(了)

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