第58話 始まりの話

「——そう。うふふ。面白いわねあなた達は」

「……笑い事では……」


 一方、美裟は。ぐるぐると考えながら城内を適当に歩いていると、同じく散歩をしていたという愛月に見付かり、彼女の執務室まで車椅子を押させられていた。


「年齢が追い付かないのに、人生経験の濃さから精神だけ冷静に成長しちゃったのね、あの子は」

「!」


 そして、何故かその相談を、当の文月の母親にしてしまうという失態を演じてしまった。愛月は嬉々として話を聞き出し、美裟もなんだかんだで説明してしまった。

 何故だか、そんな雰囲気が、愛月にはある。悩む心を全て言ってしまえるような包容力が。


「いえ。今回はあたしが悪いんだと思います」

「どうして? ベッドで何かあればそれ全て男のせいなのよ?」

「(それもどうかと思うけど……)」


 とは言っても、相談できるような間柄なのは愛月だけだ。彼女以外の知り合いは全て男性であるから。


「……彼には彼の考えと、タイミングがあるんじゃないかと。それを、あたしが、『あたし』を押し付けてしまったような気がして」

「…………へえ?」

「思えば、何度かありました。あたしは、彼に命を助けられたのに。自分勝手な言動、行動が」

「あのねえ、美裟ちゃん」

「えっ」


 愛月は深く溜め息を吐いた。

 息子も息子だが、この少女も拗らせていると。


「『形式』なの? それとも『快楽』なの

かしら?」

「へっ?」

「『何かしたい』なら、行動しなきゃ。どうして待つのよ。そこは、美裟ちゃんの悪い所だわ」

「!」

「(生い立ちは聞いたけど。この子達は、他人からの優しさや愛情を『当たり前』と思えないようになってしまったのね。人一倍臆病。だから、優しくされたり愛情を感じると異常に喜んで、それを尊い価値の高いものという扱いをする)」


 『呪い』のせいで。

 『奇跡』のせいで。

 まともな幼少時代を過ごせなかったふたり。その一端に、自分の責任もあると愛月は考えた。

 文月を孤独にしてしまったのは、母親である自分の責任だと。


「文月は好き?」

「はい」

「同じ布団はドキドキする?」

「正直、未だに慣れません……」

「なら襲っちゃえば良いじゃないの」

「!」

「待ってたって、いつになるか分からないでしょう? もしかしたら、相手の気が変わってしまうかもしれない。手は早く打たないと。時間は有限なんだから」

「……はい」

「(あら。素直。文月なら『でも……』ってなってたわね)」


 このふたりを見ていると。本当に『愛し合っている』のだと分かる。ツーとカーでも通じ合えるように見えるほど、信頼し合っている。

 早くやっちまえ面倒くせえ、と。周りは思っていることに本人達だけが気付いていない。


「……はぁ。わたしなんて一日中襲いまくってたんだから。相手の都合なんてお構い無しで良いのよ。だってわたしがやりたいんだから」

「はい。……えっ?」


 美裟は素直に頷いてから、顔を上げた。


「13の小娘なんて、誰が相手にするのよ。だから必死だったのよ。お化粧も必死に覚えて、精一杯大人っぽい服も着て。姿勢から仕草、色っぽい声の練習に……」

「…………文月の、お父さんの話ですか」

「ええそうよ。聞きたい?」


 目の色が変わった。これは、愛月の恋愛話に興味があるのではない。

 手伝うと約束した——

 『文月の父親』という、最早美裟の目的にもなってしまっている事柄への興味だった。何か良い情報が得られるかもしれないと。


「はい」

「(拗らせカップルねえ)」


 それと分かっていながら、愛月は話し始めた。


「分かったわ」


 愛月自身が話したくなったからだ。


「いつか文月にも聞かせようと思っていたけれど、恥ずかしいからやっぱり美裟ちゃんにだけ聞かせるわ」

「分かりました」


 美裟は。


「(……この人にも恥ずかしい話題とかあるのね)」


 失礼なことを考えていた。


——


——


 川上愛月は東京都と神奈川県の丁度境目にある町で生まれた。近くには川があり、都心とすぐ隣でありながら遊ぶ場所には困らなかった。


「『せい』!」

「ええそうね。よく読めたわね」

「『せい』! ……なんとか、なんとか!」


 お腹の大きい母親と、道を行く。途中で見付けた文字を、嬉しそうに読んで叫ぶ。

 生まれて初めて覚えた字は、『聖』だった。


「あづちゃんも、この小学校に通うのよ」

「『せい』!!」


 仲の良い両親が居て、もうすぐひとり増えるらしくて。

 DVも無く。父の稼ぎも悪くは無く。残業も少ない方で、休日には家族サービスがあり。

 気の利く母で、嬉しそうに家族の世話を焼いて。

 満たされた幸せな家族だったと言えるだろう。


「『つき』!」

「そうよ。あづちゃんのお名前にも入っているの。お母さんの好きな文字」


 次に覚えたのが『月』だった。思えば、日本人ほど月を『特別視』する民族も少ないのかもしれない。


「赤ちゃんには、月か、それを連想させるようなお名前にしましょうって、お父さんと決めたのよ」

「赤ちゃん! まだ!?」

「ええ。もうすぐよ」


 愛情を沢山、受けていた。こんにちの愛月の表現は、この母から学んでいる。スキンシップが多い母親だった。


——


「——待ってください! 離して! 嫌! 愛月!」


「やめ……て、ください! お腹はっ。お腹に——」


——


 愛月は。

 美裟にすら、詳しくは話せなかった。思い出される『もの』が、思いの外多すぎた。

 30年前ではあるが。

 未だに思い返すと、その光景は瞼に焼き付いている。


 だが、それがどういうことなのか、当時は理解できていなかった。

 母が、赤ちゃんが『そう』なっている時。

 愛月は『太平洋沖』で楽しそうに、『密入国船』に揺られていたのだ。


——


「Hi. Welcome to UK.」

「??」


 まず、当たる壁が言語なのだが。

 幼い愛月はすぐに適応した。瞬く間に、すらすらと英語を話せるようになった。


「マリア様」

「マリア様……」


 自分のことを、同じ単語を口ずさみながら崇める大人達。


「これは、何の遊び?」

「遊びではありません。マリア様。皆、貴女に会えることを喜んでいるのです」


 そんな大人達が『先生』だった。

 周りが『そう』なのだ。愛月は子供の吸収力でみるみる内に、自分を『お姫様』だと思い込んでいく。


「(あづきって、英語でマリアって言うんだ!)」


 両親のことは、殆ど忘れていた。母が居らずに泣いて騒いだりはしなかった。成長するほどに大人しく、大人びていく様子を見て、信者はより歓喜した。当然、誘拐の事実などは上層部以外知らない。


「でもアジアンだよな」

「あのな。キリストと日本の関係はいつも言ってるだろ。東の国に——」


 最早日本の暮らしなど記憶の彼方に行ってしまった。


——


「マリア様が居られないだと!?」

「探せ! 誰だ目を離したのは!!」


「あはは。せいこーしたね」

「……でもだいじょーぶ? 後で怒られない?」


 愛月は、よく大人の目を盗んで町へ抜け出していた。普段の大人しい様子からは想像させないような、男の子顔負けのやんちゃに育った。


「ぜんぜん! だってわたしは『マリア』だからね!」

「……マリアちゃんすごーい」


 そんな愛月に憧れるように付いてきたのが、ソフィアという少女であった。いつもふたりで行動していた。盗みなどの悪戯もした。


——


 イギリスへ来てから、10年が経った。愛月はすっかり、英国少女になっていた。


「マリア様、お布施でございます」

「ありがと」

「!」


 大人達と目が合うと、にっこり笑えば良い。それだけで、色々と自分に『良く』してくれる。様々な利点を持ってきてくれる。


「ねえ、あれ欲しい」

「えっ。あの宝石ですか。いや、あれはですね……」

「ねー。お願い。ねっ?」

「し、しかし……」

「やだ。嫌い。言い付けるよ」

「…………かしこまりました。少し待っていてください」

「ありがとっ!」


 強欲で。傲慢で。我が儘に育っていた。


「(皆、何でもしてくれる。わたしの為に。わたしはマリア様だから。何でもできる)」


——


『——ちっ。無駄足だったか。こっちはただの、憐れな少女が飼い慣らされいるだけだ』


「!」


 耳が、ぴくりと反応した。その声は、喧騒の中で何故だかはっきり聞こえた。


『全く、「上」も臆病で無能だな。でまかせの情報に踊らされるなど。そのツケは現場の我々に回ってくるという訳だ。迷惑な話だな』


 無意識に追った。

 間違いなく。

 その聡明さ故に確信があった。


 『憐れな少女』とは、自分を差していると。


「(そんなの、許さない!)」

『——ああ。すぐに帰投する』

「待って!!」


 見付けた。

 腕を掴まえる。


『……なに』

「あなた、誰っ!?」


 これが全ての始まりだった。

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