第48話 再会
『アヅキを頼む。フミツキ』
——
「……ぅ」
目が覚めた。
柔らかな光が瞼を撫でる。柔らかな布の感触がある。布団だろうか。
視界が開ける。
「……ここは」
真っ白いベッドの上だった。茶色の天井を見上げてから、上体を起こす。
「起きた?」
「!」
ベッドの横に。
椅子に座っていた。
「………………母さん」
木製の高級そうな椅子に。窓から射す陽光できらきらと煌めいている。
清潔で楚々とした、純白のワンピース。
そして。
光を飲み込む漆黒の髪。
「こっちへおいで」
「……」
10年前の記憶の中と、重ね合わせる。顔がどこかぼやけていたが、実際に会うと、間違いない。
ベッドから起き上がり、近くまで寄る。
「ほら」
両腕を広げ、迎えられる。文月は抵抗できず、そのまま抱き寄せられた。
胸に顔が埋まり、膝を突いてしまう。
「——あいたかったわ。愛しい愛しい、わたしの文月」
「…………母さん」
ふわりと、心地よい香りと柔らかな感触に包まれる。
ずっとこうしていたい。それは本能を直接打つ感覚だった。
「……あなたはどう?」
「俺も……会いたかったよ」
「よかった」
10年振りの再会。
ふたりはしばらくそうしていた。
——
「ちょ……母さん」
「ん? あっ」
文月は愛月を振りほどき、そのままベッドに座った。
「どうしたの。もっとだきしめさせて?」
「いや。……流石に恥ずかしいって。俺もう18だよ?」
「えー」
手を広げて再度促すが、文月は応じなかった。愛月はしぶしぶ、その手を戻す。
「……俺、気絶してたのか」
「ええ。ここへ着くなりね。恐らく彼らが、移動魔術に『干渉』してきたのでしょうね」
「彼ら? 干渉?」
「『誰か』と話さなかった? 霧の中で」
「……うん。誰かは分からなかったけど、神を信じるかどうかとか、なんとか」
「そう。何と答えたの?」
「えっと……」
文月は振り返りながら、愛月へ伝える。あの時の問答を。
「……そう」
愛月が少し歪んでいるというくだりは、話さず。
「あれが何か、母さんは知ってるの?」
「ええ勿論。彼らは堕天使。人間と接触して影響を与えるような者は、基本的に堕天使よ」
「……堕天使!」
神に反逆するようになった天使。悪魔とも同一視されることがある。
姿は見えなかったが、『あの声』は堕天使だったのだ。
「お外を見てみて」
「?」
言われて窓の外を見る。この部屋は建物の隅であるらしい。景色の先には崖があった。その下に、雲が。
「……どこかの山の上?」
「いいえ? ここは島よ。……九歌島はね。お空に浮かんでいるの」
「えっ!」
そのさらに下には、海が。
『世界の敵』川上愛月が、居場所を知られない理由。
「海は広いけれど、お空はもっと広いんだから。わたしにとって安息の地は、この島なのよ」
「…………魔術?」
文月の質問に、愛月はにこりと答えた。
「ええそうよ。便利でしょう?」
「…………」
それはもう、吃驚したが。文月は違和感を覚えた。
先程からずっと、愛月は立ち上がらない。椅子に座ったままだ。動こうとしない。
「母さん。もしかして脚——」
「ええ」
「!」
島を、浮かせる?
船ではなく。
一体どれだけの『罰』があるのだ?
「母さん!」
「なあに?」
慌てて、愛月に触れる。先程も触れていた。恐らくはもう治る筈だ。
「母さんも魔女だったんだ!」
「そうよ? アルテとセレネを産んでからだけれど」
落ち着いている。『罰』など気にもしていないように。
母娘だ——と、思った。何故この人達は、自分を犠牲にしたがるのか。
「母さん……! 今治すから——」
「無駄よ。文月」
「!?」
目に見える外傷でなければ。治ったかどうか文月には分からない。治っている『筈だ』と思うしかない。ソフィアの時も、どこが悪かったのか見えていた訳ではない。
愛月は、優しく、文月の頭を撫でた。
「わたしに対する『罰』はね。魔術じゃなくて、その前。あなたを授かった時に受けたの。いや、あなたが産まれた時ね」
「!? なんの、話??」
顔を見る。母の表情は、どこまでも深く、底の見えない泉のような『愛』に満ちていた。
「あなたの『奇跡』は、わたしに通じない。あなたの能力じゃ、わたしは治らないの」
「…………っ!?」
文月は固まった。
そんなの。
ありえない。
愛月の、ワンピースに隠された細い脚は。ぴくりとも動かなかった。
「そんな……っ!」
「優しい優しい、わたしの文月。それだけで充分。その心配だけで、母さんはお腹一杯だから。だから、そんな顔しないで?」
「…………!」
きっと、この島だけではない。
あらゆる所で、至る時に。彼女は魔術を使ってきただろう。
恐らく脚だけでは無い筈だ。失った『代償』は。
「泣く? 泣くの? 泣くなら、わたしの腕の中で泣いて? ほら」
「……いや」
甘えられない。
この母には。
文月は、どれだけ残酷でも、現実を受け入れるしか無い。
すっと、立ち上がった。
「言っておくけど。後悔なんて全くしていないわよ? だからあなたは、責任を感じる必要、ないからね? あなたを抱けるなら、わたしの身体がどれだけ『無くなったって』構わないんだから」
「……産んでくれてありがとう。母さん」
「!」
母に会ったら、伝えたかったこと。
今しかないと、思った。
愛月は少し目を大きくして。
「……どうしましょう。今、とっても幸せだわ」
涙を浮かべた。
『アヅキを頼む。フミツキ』
言われるまでもない。
自分は祝福されて生まれてきた。この世の中で、これ以上の幸福は無い。
この人だけは。護る。
——
「——そう。ソフィアが」
「うん。アレックスから大体は聞いてると思うけど」
ソフィアの話もした。このふたりは親友だそうだ。ならば、一番に話すべきだ。
ソフィアの最期を看取ったのは自分なのだから。
「あなたの『奇跡』も、過信してはいけないわね」
「うん。ソフィアさんや母さんみたいな『例外』は起こり得るって知った。これからは慎重にならないと」
「…………」
愛月は窓の外を眺めていた。ソフィアへ思いを馳せているのだろうか。
「あの子とは、『ステラ・マリス』時代に知り合ったのよ。ただの町娘だったのだけど。あなたの父親と出会って、組織を壊滅させるまで。随分遊んだものだわ」
「…………町娘」
「ええ。次に会ったのが、あなたを産んだ後。既に彼女にも娘が居たわ。夫を紹介されてね。わたしも若かったから、つい『つままれちゃった』けれど」
「……え…………」
「うふふ。こういうお話は、息子としては聞きたく無いわよね。ごめんなさい。だけど、誰と誰の間にも、『真実の愛』はあったのよ。わたしと、あなたの父親とも。わたしと、あなたの妹の父親とも。ソフィアと、彼とも。そして——」
遠い目になった。見覚えがある。ソフィアが、文月を見てそうなった目だ。
「ソフィアったら。せっかちねえ。『魂の神』に媚を売っても意味が無いのに」
嬉しそうだった。
親友の死で、彼女を悲しませることはなかった。寧ろ祝福をしているようだった。
「——母さんは、大丈夫だよな」
「えっ?」
急に、不安になった。ソフィアは、娘の成長を見て、『向こう』へ行く決意をしたのだ。
愛月にだって、ありえなくはない。
「母さんが、『死のう』と思ったら。俺には止められない」
「…………うふふ」
「母さん」
愛月は嬉しそうに、文月をまた、抱き寄せた。
「心配要らないわ。わたしはあの子ほど馬鹿じゃないもの。まだまだ『甘えたがり』なあなたを置いて逝く訳ないじゃない」
「……っ! 別に俺は、そういうつもりじゃ。ただ、家族を失うのが……」
「ええ。だから心配要らないわ」
抱き寄せ、離し。
目と目を合わせる。
「誰が『罰』なんかで死ぬものですか。というか今地獄へ逝っても『あの人』は居ないのに。わたしはね、文月。この世界の『ルール』を破壊するまで、消えてあげないって、『神に誓った』のよ」
「!!」
そうだ。文月は思い出した。この女性は、家族が一番だが。
それに加えて、『やるべきこと』があった。
『
自分は、その息子なのだと。
今、ようやく自覚した。
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