第46話 美裟とディアナ

「さて。随分とイレギュラーがありましたが、本題です」


 ホテルにて。

 もう島へ来て2週間が経った。兵士達も完全に快復し、そろそろ島を離れるそうだ。そもそも、堕天島は組織が所有する島ではあるが、組織が直接運営に携わっているわけではない。アレックス曰く、『社会的弱者』を受け入れている、世界から隠された『人工の楽園』だそうだ。実質的な指揮権は創設者のソフィアにあった。愛月とは違う組織形態と言っても良い。


 ここでのやるべきことは終わった。アレックスは、『次』について、文月らを集めて説明を始めた。


「明日。ディアナお嬢様の魔術で『送って』いただきます。愛月様の待つ『九歌島』へ」

「!」

「九歌……?」

「ようやくか」


 また、島である。その名前も気になったが、一先ずはようやく、母に会えるのだ。


「それも、魔術で隠された島なの?」

「ええ。愛月様は現在この世界に3つ、島を所有しています。そのひとつがここですが」

「……島3つて」


 なにやらスケールがおかしい。美裟は呆れてしまった。


「私の引率も、そこまでですね。皆様、お疲れ様でした」

「おつかれさまあー!」


 にこりと、アレックスが笑う。セレネも合わせて挨拶した。


「……堕天島は、大丈夫なのかな」


 文月は少し心配だった。これからディアナひとりで島を切り盛りなど。また色々と背負い込んで潰れてしまわないかと。

 この場にディアナは居ない。今が一番、忙しいのだ。


「当然、愛月も御存知です。支援は惜しまないでしょう。相談役に専門家を派遣すると仰いました」

「え?」

「はい?」


 文月は、訊き返した。

 今、何と言った?


「母さんと連絡取れるの?」

「ええ、3つの島には傍受されない専用の回線があります」

「…………!」


 それを、何故言ってくれなかったのか。


「アレックス」

「はい?」


 脱力する文月の隣から、アルテが彼に言う。


「それは酷いよ。お兄さまはずっと、お母さまに会いたかったんだから」

「……いやはや。私の確認不足ですね。申し訳ありません」


 言われて、少しだけ眉を動かした。アルテはそれを見て溜め息を吐く。


「アレックスもまだまだね」

「……ええ。文月様、ではすぐに愛月様とお繋ぎいたします」

「……いや、いい」

「しかし」


 実感が、湧いてきた。

 母に会って。

 何と言おう?


「ここまできたら、直接会うよ。明日だし。会って話したいことが多すぎる。……俺ってマザコンなのかな」


 第一声は。母は何と言う? どんな気持ちで、自分達を待っていたのか?

 10年振りに会うのだ。

 今から、何故か緊張してしまった。


「『母親に会いたい』ことを、誰が否定するのよ。あんたの事情を知ってるなら尚更。あんた、しかも母親を『好きかどうか』も分かんないんでしょ」

「…………ああ。そうなんだ。もう、記憶の彼方にしか居ない。顔も声も、あんまり覚えてないんだ」


 どんな気持ちだろうと、美裟は考える。自分にはずっと、両親が居た。それが当たり前だった。様々なことを学んだ。教わった。言葉でも行動でも。

 それが、文月には無かったのだ。一応、親代わりに祖父や、家族と言って貰える者が協力している病院に居たとしても。彼に両親は居なかった。

 同じ日本でも、このようなことが起こり得る。文月はもっと。

 誰かに甘えてもよいのだ。その相手が、居るべき時に居なかったのだから。


「顔と声なら、わたし達が居るよっ」

「!」


 ぴょんと、セレネが手を挙げた。


「……そうだな。ありがとう」

「流石にアルテ達をお母さまと重ねるのはできないよセレネ。どこまで言ってもアルテ達は『妹』なんだから。というより髪も目も色が違うよ」

「……はーい」

「それとも、お兄さまのお世話、全部できる?」

「やるっ! やりたい!」

「う。……なんで乗り気なの。それはまた別の話だから」


 アルテとセレネの会話は置いておいて。


 『愛情』は、いつからか受けなくなったかもしれないが。

 『気遣い』や『思い遣り』には、彼は恵まれているとも思う。両親が居なかったからと言って、全てが否定されることではない。


「(そうよ。あたしが居るんだから。あたしがしっかりしなきゃ)」


 もし、愛月が『ろくでもない』人間だったとしても。

 それをカバーできる体制が、今の文月を取り巻く環境にはある。


「身構えること無いわよ。ひと言文句でも言ってやりなさい」

「……でも、母さんにもやるべきことがあったんだろう」

「だから。それはそれとして、あんたらは『親子』でしょうが。難しく考えなくて良いってのよ」

「……そっか」


 それで解散となった。文月は、『ネフィリム』と『グリゴリ』の話を、ここではしなかった。


——


「明日、もう発つの?」

「!」


 夜。文月の居るホテルへ、ディアナがやってきた。仕事終わりだろうか。


「ああ。母さんに会いに行く」

「……私も連れてって欲しいな」

「えっ」

「(えっ?)」


 ぼそりと、呟かれたその言葉に美裟がぴくりと反応した。

 上目遣いで、声色が少し『甘かった』からだ。


「っ!」


 アルテが、察した。


「(そうか。美裟さんにとって、アルテを警戒しない最大の理由。ディアナお姉さまは——お兄さまと『血縁が無い』こと!)」


 汗が出た。部屋に暖房が効いているということもあるが——その緊張感に。


「?」


 セレネは何も気付いていない。


「寧ろ俺も来て欲しいけどな」

「えっ」

「(えっ!)」


 文月は。

 恐らく気付いていない。

 それは無関心や鈍感という理由ではなく。

 彼のこれまでの人生だった。


「俺はさ、いつか家族全員で、集まって、食事でもしながら話がしたいんだ。全員」

「……え、私も?」

「当然だよ。俺と、母さんと、アルテ、セレネと。ディアナちゃんと、本当はソフィアさんも居て欲しかったけど。あと、父親ふたりと——」

「!」


 目が合った。当然、彼から見れば合う。今、この場の会話は文月が中心なのだから。


 彼は美裟を見て。


「——まあ、全員だ」

「…………」


 恥ずかしそうに視線を逸らした。


「……ありがとう。お兄ちゃん。じゃあ、その時は呼んでね。私は、ここに居るから」

「ああ。勿論。君の父親も、俺が捜し出すよ。本当に、地獄に居るとはまだ確定してないし」

「うん。お願い。あと、愛月様にもよろしくね。私も最近会えてないから」

「ていうか、母さんと一緒にソフィアさんのお墓参りに来るよ。そう伝える」

「……うん。ママもきっと喜ぶね」


 ディアナはこの島から離れられない。だが、休みが全く無い訳ではない。所在が割れているなら、もう充分だ。『家族の居場所が分かっている』ことは、当たり前ではなく、幸福なのだ。

 文月はそれが嬉しかった。


——


「美裟さん」

「!」


 それと、もうひとつ。

 ディアナがここへ寄った目的がある。


「ちょっと良いですか」

「…………ええ」


 毅然とした目で、美裟を見た。断る理由も無い。ディアナに付いて、部屋を出た。


——


「私は美裟さんと、仲良くなりたいです」

「!」


 真っ直ぐ、目を見て。直球でそう言った。


「……ええあたしもよ」


 どういうつもりなのか。冷静に見極めなければならない。


「……えっとですね。その」

「?」


 ディアナははにかんで、頬を掻いた。


「ちょっと、美裟さんの視線が痛いというか、怖いというか……。私、何か失礼がありましたか?」

「…………」


 あっ、と。

 美裟は気付いた。


「…………そうね。ごめんなさい。こういうのって、あたしも初めてだったから」

「えっ?」


 ディアナは。

 あれで『普通』なのだと。特に、文月に対して何かある訳でもない。ただ、普通の、『歳の近い妹』だと。

 セレネを見れば分かるのに。美裟は何故か警戒してしまっていた。

 反省をした。


「……文月のことよ」

「えっ。あっ! もしかして、ベタベタし過ぎでしたか。……それは、ごめんなさい」

「いえ、良いのよ。あたしが過敏だっただけ。どうかしてたわ。……あいつのこれまでの人生を思うと、ちょっとね」

「…………聴きたいです」

「へっ」


 言われてディアナもようやく合点がいった。


「お兄ちゃんの、日本での話。美裟さんの話も」

「……」

「だって家族でしょう? 私、もっと美裟さんと仲良くなりたいんです」

「…………!」


 ディアナは。

 『良い子』だ。

 母の抜けた穴を。新たな家族で埋めようとしているだけの。健気で素直で、頑張り屋なのだ。


「そうね。じゃあここでは何だし、どこかご飯でも食べながら」

「はいっ」


 毅然としているが。陽気に振る舞っているが。

 この子は母を亡くした直後だ。窮地を救ってくれた兄に頼って、何が悪いというのか。

 美裟は猛烈に反省した。

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