第44話 愛する者の元へ

 それから、数日経った。

 町を挙げての葬式があった。曲がりなりにもソフィアは、島の長として親しまれていたのだ。

 今回の戦死者と共に、島の墓地に埋葬された。


「…………ぐすっ」


 ディアナは、一日中墓石にかじりつくようになった。泣きながら、母への不満を浴びせながら、疲れて眠り、守衛に運ばれるまで墓地に居座った。


「………………なんで、治してくれなかったの」

「!」


 美裟は。止められなかった。アルテやセレネが察していたことを。ディアナはまだ、16だから。そして当事者だから。最愛の母を失ったばかりだから。


 文月を責めた。


「…………ごめん」

「うっ……うぇ……」


 文月は。文月こそ。自分を強く責めた。頭を打ち付け、出血もした。

 だが治った。奇跡が使えなくなった訳ではない。


 なのに、ソフィアは目を覚まさなかった。


「ボディガード達は、全て自殺で間違い無いでしょう。ソフィア様には傷ひとつありませんでした。恐らくは『罰』による『寿命』かと思われます」

「すぐには悪くならないんじゃなかったの」

「あの時点ではそうでした。しかし追加で魔術を使えば、『罰』は加速します」

「……どうして治らなかったのよ」

「それは……文月様に訊いてみなければ」

「……今訊ける訳無いじゃない……」


 何が、起きたのか。あの部屋で。

 どんな話をしたのか。

 何故あんな結末になったのか。


 文月はまだ、口を開かない。ディアナと会えばごめんと呟くだけだ。


「ああぁぁぁぁああ~!」

「……!」


 セレネは、ひっきりなしに泣いている。横でアルテも、涙を堪えきれないでいる。


「……アルテの、せいです。あの時、無理やり制圧してお兄さまに触れて頂けていたら……っ!」


 そうかも、しれないが。アルテの発言で、彼らが身を引いたのだが。

 誰が彼女を責められよう。こうなることなど予想できただろう。


「(……最悪)」


 ひとり、美裟はどうすれば良いか考えていたが。

 あまりにも呆気なく人が死んだ光景を思い出して。何もできずにいた。

 戦場で人が死ぬこととは全く違うシチュエーション。集団自殺など。しかも、『あの』文月が現場に居て誰ひとり救えなかったのだ。

 美裟も冷静ではいられなかった。


——


 1週間が経ち。


「!」


 突然ディアナが、毅然とした態度でホテルを訪れた。


「ディアナ、ちゃん? 大丈夫……?」

「……ありがとう美裟さん。もう大丈夫だから」


 まだ目は腫れている。声も震えている。

 だが、ディアナはここへ来た。

 当然。


「もう私が、この島の正式なリーダーだから。いつまでも泣いていられないわ」

「!」


 文月に会うために。

 無理矢理、責任で奮い立たせて。


「お兄ちゃんは居る?」

「ええ……。部屋に居るけれど」

「ありがとう」


 美裟は、ディアナを尊敬した。


——


「お兄ちゃん」

「……ごめん」

「お兄ちゃんっ」

「…………ごめん」


 壊れかけた機械のように、それを呟くしかない文月。ショックは計り知れない。目の前で自殺する人間を見る体験など、想像を絶するだろう。しかも、『救えた筈』の命なのだ。

 さらにその娘に責められては。もう彼は立ち上がれない。


「謝るのは私の方よ。お兄ちゃん」

「……!」


 ベッドに座って項垂れる文月を、ディアナは優しく両腕で包み込んだ。

 やや、ぎこちない所作で。


「ありがとう。ママを助けようとしてくれて。ありがとう。ママの死を悼んでくれて。ありがとう。負わなくて良い責任を感じてくれて。ごめんね。酷いこと言っちゃって」

「ディアナ……ちゃん」


 思わず顔を上げて、ディアナを見る。ようやく視線が交わされた。

 それで、一旦『話ができる』態勢になったと判断したディアナは、にこりと笑って文月から離れ、テーブル備え付けの椅子に座った。


「『何があったか』。……知りたいの。話して貰える? お兄ちゃん」

「…………」


 ディアナが。

 当の娘がもう『立ち上がっている』。

 文月は強く、自身の心を叩いた。


「……ああ。話そう。皆を呼ぶよ」


 立ち上がり、向かいの席に座った。


——


「フミ兄っ!」

「お兄さまっ!」


 美裟と、双子と、アレックス。あの場に居たメンバーを集めた。アルテとセレネは着くなり、文月へとダイブした。


「……ごめん。心配掛けたな」

「良いよ! いーの! フミ兄っ!」


 ただ、抱き付いていたかった。この痛みを分かち合いたかった。そんな意図があった。

 優しく、ふたりの妹を撫でる。落ち着いたら、席へ座るように促す。


「美裟も、アレックスも座ってくれ」

「……本当に大丈夫?」

「ああ」

「…………」


 文月は、人の死には慣れていない。慣れていないし、彼だけは慣れてはいけないと美裟は思っている。

 尋常では無いストレスだろう。


——


「——最初は俺の話だった。俺の父親の話。どんな性格で、話し方で、いかに格好良かったか、とか。母さんとカップルだと聞いて、大層落ち込んだとか」

「…………ママ」

「途中からは、ディアナちゃんの父親の自慢になった。俺の父親より断然良い男だと、何度も言っていた」

「ママ……」

「良い男過ぎて母さんにもお裾分けしたとか」

「……ママ…………」


 どうでも良い話だ。少なくともディアナは今、少し恥ずかしい。

 精神的に、やや幼い母親だと思った。


「……思えば、これまでのソフィアさんの、人生を、聞かされた気がする。その時々の感情とか、思いとか。母さんとの旅の思い出とか」

「…………」


 それだけ聞けば。特に問題は無い。親友の息子に語る内容としても、特に変な部分は。


「『私は彼に会いたいの。だから、私を治さないでね』」

「!」

「ソフィアさんはそう言った」

「えっ……」


 彼、とは。

 ディアナの父親のことだろう。人間であったが、悪魔となってしまった人物。

 アルテとセレネの父親でもある。


「『悪魔や魔女は、死んだらどうなると思う? 天界になんていけない。地獄しかないわ』」

「えっ!」

「『私は地獄へ落ちたいの。だから、魔術を死ぬまで、死ぬほど使ってやったわ』」


 ソフィアの台詞。一字一句覚えている。死の間際の、辞世の句である。


「『神なんて大嫌い。私は夫と娘だけ居れば良い』」

「ママっ!」


 ディアナが、涙を落とし始めた。


「『あの子はもう大丈夫。だから今度は、そろそろ寂しそうにしちゃってるでしょうあの人の所に行ってくるわ。愛月より先に、もう一度抱いて貰うんだから』」


 文月が、語るが。

 もはや脳内では同じ台詞を、ソフィアの声で再生されている。その優しげで、悪戯っぽいような、少女のような声色で。


「……それで、ソフィアさんは目を閉じた。俺は暴れて、拘束を解いた。ボディガードは、ソフィアさんが眠るのを見計らって自殺したんだ」

「…………それって」

「ソフィアさんの、『向こう』での護衛らしい。……自殺は『罪』だから、地獄へ落とされる可能性が高いって」

「ママは?」

「…………」


 そこからだ。

 一同が、真に聞きたいのは。


「俺が触れても、目を覚まさなかった。脈もどんどん弱くなって、亡くなった。ずっと、触れていたのに」

「…………!」


 文月は、自分の手を開いて見た。


「思うに。……推測だけど。『自ら死にたいと願う人』は、俺は治せないのかもしれない」

「!」

「だから結果的には、俺がソフィアさんにあの場でずっと触れていたとしても、止められなかったのかもしれないんだ」

「……お兄ちゃん」


 これまで、知らなかった事実である。死にたいと願う人間などそうそう居ない。少なくとも文月は、その最初の人がソフィアだった。


「……そっか」

「セレネ?」

「ソフィアママは、『パパ』に会いに行っただけなんだね」

「!」


 セレネが、納得したように頷いた。


「…………そう、だけど」


 死後の世界など。ここから観測できる訳が無い。どうなっているのか分からないのだ。あらゆる宗教が答えを示しているが、証明などできない。確証は無い。神や悪魔が居るとしても、まだそこは信じられない。


「……死は。この先アルテ達が生きている限り会えませんが。永遠の別れでは無いと。セレネは言いたいんだと思います」

「アルテ」


 セレネが感じて、アルテが考える。アルテはセレネの言葉を補足していく。


「ソフィア様は、こう言いたいんだと思います。……ディアナお姉さま」

「?」


 そして、ディアナに向き合う。


「子供には親が必要だった。だけどもう、子供じゃない。それに母が居なくても——家族アルテ達が居ます。ディアナお姉さまには、アルテも、セレネも、お兄さまも居ます。美裟さんも居ます」

「!」

「ならこれで、安心できる。だったら自分は、最愛の夫の元へ。……そしてまた、時が経ったら会いましょう。悪魔と魔女だけが住む永遠の楽園で」


 29年で人生を終えるのは。余りにも若すぎる。だが。

 それは『一般の』感性であり。彼女にとっては何の問題も無い。ただ『普通』に、出張に行っている夫に会いに行く程度の事であると。


「…………!」


 死して、愛する者の元へ。

 改めて、凄まじい価値観の違いがあると、美裟は震えた。

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