第38話 萩原美裟の魔法

 戦場は、この島ではない。別の所でやっているのだ。

 ではどうやって負傷者を堕天島まで運んでいるのか。それは魔術だ。

 物の場所を移動させる魔術がある。それを使い、安全な島まで運ぶ。さらには戦地へと送り出すことも。


 その移動魔術は、天才魔女ソフィア・エバンスが操っている。

 だが彼女は現在、病に臥せっている。自身の魔術では治せない病に冒されているのだ。

 だが、戦争は待ってくれない。移動魔術は何としても必要である。

 そこで、娘のディアナに魔術の『権限』を譲ったのだ。ディアナは限定的に魔術を行使できる魔術師となった。


——


 そこまで聞いて、美裟は立ち上がった。そしてディアナの居場所を聞き、一目散に向かって行った。


「(戦争の経緯や状況なんか何も分からない。どんな、何と戦っているのかも知らない。文月達が戦場でできることは何も無い)」


 そこはエバンス家の屋敷ではなく、病院近くのホテルだった。文月達のホテルと程近く。


「ディアナ・エバンスさんは何号室ですか?」

「えっ。はっ? えっと、どなたでしょう」


 受付では驚かせてしまったが、一刻を争う。美裟はとにかく早く、彼女に会いたがった。


「……い、今は休まれてますよ。そりゃ、毎日あんな、いつ寝てるのかも——」

「大丈夫です。103ですね」

「あっ。ちょっ!」


——


 強めにノックしてから。鍵は掛けていなかった。当然、事情を知る島民が入る訳も無い。その責任は、16の少女に負わす重さではないのだ。彼女は休ませなければならない。


「入るわよ。……ディアナお嬢様」

「!」


 ディアナは眠ってはいなかった。木製の椅子の上に三角座りをして毛布を被っていた。突然の侵入者に驚いて顔を上げると、つう、と涙が溢れたのが分かった。


「なによ。あんた誰よ」

「萩原美裟。文月の恋人よ」

「……なにそれ。馬鹿にしてんの」


——


何しに来たの?


——


 当然、美裟は覚悟をしていた。それは言われて当たり前だと。

 世界を相手にする組織で、戦争中であり、負傷者多数。求められるのは文月と双子による『治療』。


 ではお前は?

 何? 恋人?


 ふざけているのか?


「……あんたの彼氏を殴ったのは悪かったわよ。なによ……」

「そんなことどうだって良いわ」

「じゃあ何の用よ。こっちは疲れてるのよ」


 『それ』を。

 美裟は証明しなければならない。自分が来た意味を。自己の有用性を。『来てくれて良かった』と思われる結果を。

 行動で。


「移動魔術。今できる?」

「は? 嫌よ」

「良いから。あたしひとりを飛ばして」

「はぁ?」


 戦地と、野戦病院の往復。患者を乗せて。戦士を乗せて。

 自分が治した兵士を、自分で送り出し、また怪我をさせるのだ。

 自身の血液を代償に。

 ディアナの心労は、計り知れない。


「責任はあたし自身が負うから。良いから飛ばして」

「……知らないわよ。どうなっても」


 この時のディアナは冷静ではなかった。いつもならば、許可しないだろう。『日本人』で『女』で『未成年』だ。これほど戦場が似合わないものも無い。

 だが。


「じゃあ、このサークルの上に立って」

「ええ。ありがとう」

「……どうせ死ぬわよ」

「構わないわ」

「…………!」


 美裟の気迫に圧された形で、ディアナはその魔術を使った。


——


——


「移動魔術だ!」

「なんだ、増援か?」

「例の『坊っちゃん』が来たのか?」


 目を開けると、武装をした男達に囲まれていた。ここは基地だろう。石造りの建物の中だった。


「…………女ひとり? なんだこりゃ」

「……」


 深呼吸をする。血と火薬と汗の臭いがする。

 美裟は表情を崩さず、毅然として答えた。


「初めまして。私は増援で間違いありません」

「はあ? なに言ってんだ」

「私は兵士です。できることは慰安ではなく格闘。状況の説明をお願いします。私は役に立ちます」

「…………??」

「隊長」

「あ?」


 厚手のコート。その下はシャツとジーンズだ。丸腰の少女ひとり。

 理解が追い付かない『隊長』に、部下のひとりが口を開いた。


「『日本人』の『少女』ですよ。絶対、『何か』ありますって。愛月様が送ったんでしょう?」

「…………」


 まだ、顔も知らない『川上愛月』の存在が。彼らのボスの存在が。

 どこまでもミスマッチで異質な『萩原美裟』を。


 その存在を認めた。


「……なるほどな。愛月と同じ、『日本人』の『少女』か」


 これを認める程。認めてしまう可能性がある程。

 『宗教』とは諸刃の剣であり、危うい側面があるのだ。


——


 それから、数時間後。


「……ふ————っ」


 深く息を吐く。

 美裟は粉塵舞う建物の屋上に立っていた。ここはどこか、砂漠の町だろうか。見渡す限り、建物も地面も砂の色をしている。


「あたしの『戦場』は、ここ」


——


「なんだありゃ?」

「知らねえよ。撃ち殺せ」


——


 屋上にひとりで居るなど。格好の的である。細かくなるので割愛するが、スナイパーライフルは大体、約1キロ先の標的まで、約1秒で撃ち抜く。

 音より速く、目標を貫くのだ。


「————!」


「……は?」


 その弾丸は、美裟には当たらなかった。今は無風で、狙撃手はこの距離で外すような訓練はしていない。


「見付けたわ。チームBの居る建物の北へ3ブロック先。あれは、ショッピングモールかしら」

『了解。助かる』


 何かの間違いだ。もう1発。


「——!」


 弾丸は頬のすぐ横を掠めて行った。美裟は。


「…………あたしなら避けられる」


 強い。


——


「ふっ!」

「ぐおおっ!」


「おおっ! またやったぞ!」


 既に敵の位置を暴き、銃弾を掻い潜り、数人を仕留めている。徒手空拳で、現代の白兵戦をこなしている。

 どんな傭兵でも軍人でも、『ありえない』光景。


 こんなことが、果たして可能なのか。実銃すら、今日初めて見た日本人が。


「あたしに掠っても、大した怪我にならない」


 人間には——否、特に日本人には。他の民族には為し得ない『特殊能力』がある。元来、生まれつき、全ての日本人にそれは備わっている。

 美裟はそれが顕著であり、『神社の娘』として、相応の『資格』を持っていた。

 さらには彼女の先祖に、『人ならざる者』の血が少しばかり通っていた可能性もあるだろう。


「もし当たっても、倒れない」


 それは——『思い込み』。言うなれば、『自己暗示』。自分自身に、催眠を掛ける能力。近年、これは話題になっており、研究が盛んに行われている。


 『私は強い』という——強い暗示。


「倒れても——」


 そんな、誰もが否定するような絵空事を可能にする『後押し』をしてくれる、神社がある。

 祈れば授かる。そんな気になる、日本の神の力。


——


 美裟は中学1年生で文月に呪いを解いて貰ってから、柔道部に入った。

 そして2年生で、空手部に。


「なんで辞めたんだよ柔道」

「だって皆が可哀想になったのよ」

「なんで」

「『あと2年間、2位争いをさせる』なんて。先輩達にも失礼だと思うわ。かと言って手を抜くなんてできないし」


 3年生では陸上部を。


「またかよ」

「ええ。でも陸上は面白いわ。簡単にタイムは伸びないし、何より自分との戦いだもの」


 高校3年間は、陸上を続けながら町の護身術教室へ通っていた。


「でもたまに技掛けたくなるのよね」

「俺を練習台にするのはやめろっ!」


——


 武の才能は、生まれ持ったもので、日本人かどうかは関係無い。

 切っ掛けは、自分と同じように、想い人が周りからいじめられていた過去があったからだ。


 『想いが人を強くする』のは、何も限界を突破するような法則無視ではない。

 机上論をそのまま再現するような、『人体の限界』を発揮するだけである。


「——文月が全部治してくれる」


 想定していたのだ。人の生き死にの現場に行くことを。死の香りが漂う場所が自分の居場所になると。

 『想像力』と『自己暗示』で日本人の上を行く者は、実は少ない。


「…………ありえねえ……」


 最後に立っていたのは、美裟達のチームだった。劣勢だったのだ。撤退を考えて『魔術』の場所まで来たほど。


「……東洋の神秘」


 頬、右肩、脇腹、大腿に銃創数ヶ所。

 頭蓋骨、鎖骨、肋骨3本に右手首、左足、指は合わせて6ヶ所の骨折。

 その他——内出血や切り傷、火傷などは数え切れない。内臓へのダメージは不明だが重傷と思われる。


 小さな町の、小規模な戦いではあったが。


「……これで一旦、文月やあの子達、それに『お嬢様』の負担も減るんでしょう?」


 敵が兵を引いたと無線で聞いた瞬間に、美裟に掛かっていた『魔法』は解けた。

 その場に、どさりと崩れ落ちた。

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