ネフィリム・エスカトロジー

弓チョコ

第一部:ステラ・マリスの子供達

第1章:不思議な妹

第1話 家族なき少年

「あ——————」

「…………」

「あ——あ——ああ——」

「うるっさいわね!」


 ぼうっと、何をするでもなく。

 窓から景色を見る。

 雪がちらちらと降っている。積もりはしないだろうが、外の世界は冷気に包まれているだろう。

 適当に口を開けて息を吐いていると、隣の席の女がそう叫んだ。


「もう! 電車に乗る時くらいじっとできないの!?」

「……あー」

「おい!」

「……いや待て。今の『あー』は違うやつで、返事のやつだ」

「いいから黙りなさい!」


 多分、こいつの方がうるさい。

 昔から、口うるさく俺を叱りつける女だ。その胸がもう少し慎ましやかであれば、耳を傾けるかもしれないのに。

 綺麗な黒髪。几帳面に整えられた前髪。そこから覗く大きな瞳。整えられた顔立ち。女子高生と思えないふくよかな胸。心地好い声。

 『これ』に説教される側としては、ご褒美か何かかと思ってしまう。


「くそ野郎。大体なんであたしがこんな……ぶつぶつ」


 言葉さえ、綺麗であれば完璧なんだが。

 いや、きつい性格さえ無ければ完璧なんだが。


「……そろそろか」


 ポケットからスマホを取り出して時計を見る。予定の時刻まで、もう30分を切っていた。


「なに、わくわくしたような顔しちゃって」

「そんな顔してた?」

「してるわよ。アホみたいな顔」


 楽しみに決まっている。

 今向かっているのは、ターミナルだ。空港。

 日本へやってくる、ある人物を迎えに。


——


——


 ことの始まりは、一通の手紙だ。


「文月! なんかあんたに手紙来てるわよ!」

「……母さんから?」


 海外出張をしているらしい俺の母親から来た手紙。

 何故この女が俺の郵便受けを開けたのかは知らないが、取り敢えず手紙を開封する。


『親愛なる息子、文月へ』


 因みに、俺の名前は「ふづき」や「ふみづき」ではなく「ふみつき」だ。この母親が付けてくれたらしい。俺はもう10年以上も会ってなくて、母親のことはあんまり知らない。


『どうせ元気でしょう? もう16? 17? だったっけ。ならもう体力あり余ってると思います』


 18だ。

 驚くことに、これで母親らしい。

 こんなので怒るほど、この人との思い出は無かったりする。手紙は数年に1度くらいで来て、どれもこんな感じだから普段からこんな人なんだろう。


『あなたの妹をそちらへ送るので、しっかり世話をするように』


「……は?」

「え? なんて書いてあったの?」


 つい声が出た。

 俺に兄弟は居ない。

 ……筈だ。


『じゃあね。しっかり愛してあげてね』


「は?」

「ちょっと、教えなさいよ」


『あなたを世界一愛する、母より』


 手紙はそれで終わっていた。後は『妹』の来る日時と場所が書いてあるのみ。


「…………え?」

「ねえって! 文月!」


 妹?

 俺の?


「…………美裟」

「なによ」

「俺に、妹が居たらしい」

「はあっ?」


——


——


 よく、考えてみた。色んなことを考えた。


「単純にさ」

「なによ」

「『妹』って、普通に嬉しいよな」

「そりゃね」


 新しい兄弟、姉妹。家族が増える。

 喜ばしいことに決まっているだろう。


 俺には。

 居なかったんだ。


「俺はずっとひとりだったんだ。祖父さんが死んでから。母さんは帰ってこないし、父さんは誰か知らないし。だけど今日! 遂に! 俺に『家族』ができるんだ! なあ美裟!」

「だから、声抑えなさいっての」


 どんな子だろうか。ていうか年齢とか色々知らないんだが。手紙には何にも書いてないし。

 何で日本に? ていうか何で今まで海外に?

 俺を置いて、海外で母さんと父さんと暮らしていたんなら、ちょっと悲しいけど。


「着いた。よし行くぞっ」

「あっ。もう、待ちなさいよ」


 駅に到着して、すぐに立ち上がった。美裟も慌てた様子で俺を追うようにホームへ降りる。


 楽しみだ。

 歳は? 背格好は。どんな子だろうか。


——


「……えーっと」


 空港の出口までやってきたが……そういえば。

 どんな子か知らないんだから、どうやって見付ければ良いのだろうか?


「名前は?」

「知らない」

「顔写真とかは?」

「無い」

「……いやそれどうすんのよバカちん」

「母さんに言ってくれ……」


 出口からは、続々と観光客やらが出てくる。そもそも、出口はここで合ってるのか?


「……看板でも作るか」

「は?」

「『川上文月の妹』みたいな文字書いて」

「…………ていうかその子、ずっと海外に居たら日本語できないんじゃない?」

「…………」


 名も顔も知らない妹を探す方法。

 そんなの学校じゃ教えてくれないよな。


 とか考えていた時。


「……っ!?」


 ふと周りがざわついた。向こうの方を見ると、人だかりができている。


「なんだ?」

「行ってみましょ!」


 美裟が俺の手を引いた。

 そうだ。

 こいつはこういうのは見逃せないタチだ。


 『人が倒れてる』所なんか。


——


「——今救急車呼びましたから!」

「いえ。必要ありません」

「ママ! ママぁ!」


 そんな声が聞こえる。

 俺達は野次馬を押し退けて、その中心へと辿り着く。


「なっ! なんだね君は!」


 おじさんのひとりが文句を投げ掛けてきた。だが一刻を争うなら、失礼ながらおじさんよりは俺達の方が役に立つ。

 『俺』の方が。


「よっと。……外傷は無いな」

「気絶してる。息が荒い。……だけどそこまで心配無いみたい」


 見ると、30代くらいの女性が倒れていれ。その側に、泣きじゃくる男の子。息子さんだろうか。


「よし。ならとっとと——」


 俺が女性に手を触れようとした時。


「待ってください」

「?」


 それは遮られた。

 小さな手に。


「今、アルテ達が処置していますので。ご心配なく」

「……へっ?」


 女の子が居た。ふたり。

 どう見ても小学生にしか見えない女の子。

 だけど見た目は、日本人ぽく無い。ふたりとも金髪で、その眼は青色だ。

 そしてふたりとも服装が、まるで教会のシスターのような黒い修道服だった。


「セレネ、やるよ」

「ほーい」


 謎の女の子の迫力に圧され、俺達は立ち止まる。女の子は倒れる女性の両サイドを挟むようにして、座り込んだ。


「……~~~~」


 そして。


「ぁ……~~~~……~~」


 よく聞き取れない言葉を発する。ふたりの手は女性の腕に添えられている。目を瞑って『それ』を呟く光景は、どこか『儀式』のようにも思えた。


「……ふう。こんなもんかな」

「もう少しだって。セレネ。途中で止めないでよ」

「ごめんごめん」


 そうして、1分程度だろうか。その『儀式』を終える頃には、女性はぱちりと目を覚ました。


「……あら? 私は……」

「ママぁ!!」


 それを見るや否や、男の子が飛び付く。

 おおっ、と周囲から歓声が上がった。


「貧血による立ち眩みって所ですね。水分補給をしっかりなさってください」

「…………ありがとう……?」


 女性自身、何が起きたか分かってなさそうだった。

 女の子のひとりがそう伝えると、ぺこりとお辞儀する。

 それを見て、親子はその場を去って行った。


——


「……ねえ文月」

「ああ」


 呆気に取られたのは、誰より俺達だった。美裟は目を見開いて、驚愕を露にする。


「今の『あれ』って、じゃないの?」

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