第3話
「姫、様?」
魔力の奔流が走り抜けた先を呆然と眺めるシン。
そこにはきらきらと光る魔力の残滓があるだけだ。
人は全て複数の魔力が密接に繋がって構成されている。
何らかの影響でその魔力の繋がりを維持出来なくなった時、全ての生命は魔力となって世界に還るのだ。
すなわち――
その光り輝く残滓こそ、アイナの成れの果てだった。
「あ、あ、あ……」
姫が死んだと認識した瞬間、シンの脳裏に次々に今までの思い出が浮かんでいく。
生まれてすぐ神官の祝福を受けなかった者、あるいは何らかの事情で祝福を失った者は貴族や平民でなく賊と呼ばれる存在になる。
物心付いた時には山に居たシンが、祝福など受けている筈もない。
故に山賊と呼ばれていたシンだが、その実態は獣に近かった。
山で獲物を喰らい、ただ食い繋いでいくだけの日々。
その生活に空虚感を覚えつつ、けれど変える術も持たなかった。
賊と呼ばれる存在が新たに祝福を得るには、貴族以上の人間の協力が必要不可欠。
山で生き続けているだけのシンに、そんな当てなんてある筈もないからだ。
(見ず知らずの人の為に魔物に向かっていくとは、さては貴方、良い人ですね!)
そんな時、魔物に襲われていたアイナを助けたのが二人の出会いだった。
無邪気に喜ぶアイナを騙したくなくて、シンは答えたのだ。
他人に迷惑を掛ければ我々のような者はすぐに討伐されてしまう。
アンタを見殺しにしたら俺の仕業にされるかもしれない。
だから助けただけなのだと。
(言わなければ解らないのに眩しいくらい正直な人。出世と保身しか興味ない方々に見習ってもらいたいくらいです)
そんなシンの言葉にアイナはより一層喜びの色を濃くしたかと思うと、命を助けてもらったお礼をしたいと言ってきた。
だからシンは自分が今の生活に空虚感を覚えている事をアイナに話したのだ。
(解りました! それじゃあ私が外の世界に連れて行っちゃいます。大丈夫です! 楽しい事も嬉しい事も私がいっぱい教えます。何もないなら今から増やしていけばいいんです!)
そうして、アイナはシンを山から連れ出した。
そこからの日々はシンに取って新鮮そのものだった。
魔物に怯えず眠れる日々、狩りをしなくても出てくる美味しい食事。
たくさんの人。使い方どころか見た事もなかった道具。
ただ生きるだけで色のなかった世界が徐々に色付いていくようだった。
(楽しいですか、シン様?)
何より隣には、ずっと楽しそうにシンの事を考えてくれるアイナが居た。
そのアイナの嬉しそうな顔や声をもっともっと見たくて、だからシンは聖騎士を目指したのだ。
(恩人だから様付けなんです。ふふ、命以外もたくさんたくさん救ってくれました。狭く暗い世界から私を救ってくれました)
けれど、そんな事を言って笑っていたアイナはもう居ない。
もう、居なくなったのだ。
「何という事だ、魔王様に何と仰ればいいんだ……」
喪失感に襲われていたシンを引き戻したのはダークスの小さな呟きだった。
(今、なんて言った?)
その呟きが耳に届いた瞬間、ぽっかりと心に空いた穴が急速に何かで埋められていく。
(魔王への言い訳の方が姫の死よりも気になる、だと?)
それは完全な八つ当たりでしかなかった。
かつてアイナと知り合いであったとしても今のダークスは敵でしかない。
アイナの死を悲しむ理由などないのだから。
「殺す……」
しかし、今のシンにそんな事を判断出来る余裕などない。
あるのは、たった一つの衝動。
ダークスという存在がこの世に居るのが許せない。
その存在を消し去らねば気が済まない。
すなわち――
ダークスへの殺意だけ。
「殺してやるぞ!」
その衝動の赴くままシンは雄叫びを上げたかと思うと、獣染みた動きでダークスへと飛び掛かる。
その速度は目にも止まらなかった今までの速度さえ、遥かに凌ぐ速さだった。
「怒り任せの剣で私を倒せると思うなよ!」
だが、いくら速くても動きは直線的な上に剣も大振り。
ダークスは難なくシンの剣を受け流し反撃に移ろうとした。
「オラァ!」
その瞬間、突如放たれたシンの蹴りがダークスの顔面に直撃する。
(なんだと?)
初めての直撃にダークスは慌てて距離を取ると、思考を張り巡らせる。
「ちょろちょろ逃げるな!」
だが、シンはそれを許さないとばかりに追撃。
獣染みた動きでダークスを追い掛けると叩き付けるように片手で剣を振るい、蹴りを繰り出し、肘打ちや空いた手で拳を叩き込む。
(どういう事だ?)
あまりの猛攻に何度も直撃を喰らいつつ、それでも剣による致命傷だけは何とか避けながらダークスは考える。
シンの攻撃は力任せで乱雑そのもの。
威力と速さはあるものの、それでも隙はそこかしこにあるようにダークスには見えた。
(だが、どうだ? この慣れ親しんだような連撃は!)
それでもその隙を突くよりも速く次の攻撃が飛んでくる。
(慣れ親しんだ?)
そこでダークスは気付いだ。
(そうか。このスタイルこそがこの人間の本来の姿。姫の前では騎士として振る舞おうという気持ちが本来の力を抑えていたのか)
そして同時に皮肉だとダークスは思う。
「守るべき者を失った事で騎士という殻を打ち破り本来の自分の力を発揮し始めるとはな。最初からその動きが出来れば姫もああはならなかったかもしれん」
「黙れ黙れ黙れぇ!」
(お前が姫の事を話すな!)
話の内容なんかどうでもよかった。
ただダークスの声を聞くだけで心が泡立ち、身体が沸騰しそうだった。
その衝動に突き動かされるままに、シンの動きは加速していき、もはやダークスはマトモに防御さえままならない。
ついにシンの剣がダークスを捉え始め、切り裂くのも時間の問題かと思えた時――
「舐めるな、小僧!」
叫び声と共にダークスの身体を覆っていた甲冑が弾け飛んだかと思うと、身体が一回りほど大きく膨張し、肌は黒紫色に変色する。
かと思うとダークスの動きが鋭さを増し、加速していく。
「剣だけで倒せるかと思ったが、どうやらこの姿にならねばお前は倒せないらしい!」
魔王軍に降ったダークスが変わらず人のままである保障なんてない。
ここに来て魔族となった己の力を解放し、防戦一方だったのが嘘のようにダークスが押し返し始める。
「だからどうした!」
だが、シンも負けてはいない。
多少押し返されたものの、それでも決して押し負けずダークスと打ち合い続ける。
お互いの力はまさに互角。
このまま続ければ勝負は解らないだろう。
「うおぉ――――!」
しかし、今のシンには悠長に決着を待っていられる程の心の余裕がない。
膠着状態を嫌い、体当たりで無理やりダークスを吹き飛ばす。
「この世界から消え失せろ!」
そして距離が開いた隙に【騎士の剣閃】の構えに入る。
当てる策なんてなかった。
跳ね返されれば防ぐ手段はないし、今度こそお仕舞いになるだろう。
それはシンだって解っていた。
(姫、もうすぐ俺も逝きます)
けれど、アイナの居なくなった世界で生きていく意味などシンにはない。
この狂おしいまでの衝動を、ぶつけられるなら何でもいい。
跳ね返され倒されたとしても構わない。
この身体を焦がす程の想いと共に朽ち果て、アイナと同じ存在になりたかった。
「これまでか……」
しかし、そんなシンの姿にダークスは諦めの表情を見せた。
そもそも生死の懸かった戦いで意味もなく力を抑える理由がない。
おそらく【騎士の剣閃】を跳ね返したあの技は、今の姿では使えないのだろう。
「消し飛べ!」
だが、そんな事はシンにはどうでもいい。
全ての怒りと憎しみを込め、剣を振り下ろす。
何かが割れるような音が響き渡る。
「な、に?」
それは【騎士の剣閃】が放たれた音ではなく、シンが装備していた剣と鎧が砕け散る音だった。
「なるほど。どうやら光の装備とやらは今のお前に使われるのは嫌らしい」
突然の事態に驚くシンを尻目にダークスは現状を把握すると、どこかゆっくりとした様子でシンに歩み寄る。
(そんな。姫の仇も討てないまま、怒りすらぶつけられないまま、終わるっていうのか?)
ダークスの余裕も仕方のない事だった。
先の攻防でも剣はともかく、拳や蹴り自体は何度も直撃していた。
それでも致命傷を与える事は出来ていない。
シンがダークスを仕留めるには武器が必要不可欠なのだ。
「姫を攫う任務が果たせなかったのは無念だが、もう一つの任務だけはきっちり果たさせてもらおう。怨敵の聖騎士が居なくなるのだ。少しは魔王様もお喜びになるだろう」
それを理解し、諦めに染まった表情を見せるシンなどダークスには何の脅威でもない。
ダークスが無造作に剣を振り上げる姿が、やけにシンの目にゆっくり映る。
その剣が振り下ろされれば死ぬ。
解っているのにシンの身体はもう動かなかった。
(もう、姫様姫様って。アイナって呼んでくださいって言ってるじゃないですか)
死が迫っている。
それを意識した瞬間、思い出すのはアイナの小さな願い。
(聖騎士になって周りに認められたら呼ぼうなんて思ってたな)
そして、そんな願いすら先送りにして叶えてやれなかった自分への底知れない嫌悪感。
(俺なんか選ばなければ姫は死なずに済んだのに……)
シンは抵抗すらせず、己の死を受け入れた。
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