第12話 ガパへの帰還
深夜であったものの、サイード・アルマリクの暗殺未遂事件については、すぐさまタサ太守ネトプ・ルルーシュに報告され、現場の検証と賊の追跡が命じられた。と、同時に首都ガパへの伝令も走らされた。
東の蛮族の掃討作戦には赴かず屋敷に残った家人たちは全員叩き起こされた。
賊の行方について捜索が行われたが、足跡ひとつ見つけることができなかった。明るくなってからはより詳細な現場検証が行われたが、暗殺者の正体も行方も分からずじまいであった。
地の底からの中から這い出た冥府からの使者か。それとも夜闇が使わせた死神だったか――暗殺者は忽然と姿を消してしまったのである。
ウマル・ルルーシュという目撃者がいなければ、自らが襲撃されたのは、実は
――あるいは……
サイードは思った。
――あの時、死んでいれば、むしろ私はこの魂の抜け殻から解放されたのかもしれない。
「現実を生きることこそ悪夢だ」
サイードの呟きは誰にも聞こえていなかった。
――しかし……
サイードの頭の中で、ハーラ・ネブーゾのこちら見向けられた藍色の瞳が揺れていた。
「私が死んだら、|婚約者≪彼女≫は涙を流してくれるだろうか」
もしも、|婚約者≪彼女≫が悲しんでくれるのならば、私は生きなければならない。
彼女だけが
私の魂を生に繋ぎとめる
ハーラへの想いに耽るサイードの横には、ウマルが従っていた。暗殺者による襲撃以降、ウマルはサイード皇太子の傍を離れずにいた。
ウマルの頭の中には、夜闇に青白く浮かび上がるラクピの無表情な顔がちらついていた。
――自分が暗殺を断ったため、別の者に頼んだのではないか。しかし……
この考えに、ウマル自身が違和感を持っていた。
事件の夜、サイードを狙った
――そんな
暗殺に金を惜しむようには見えない。
――では、他に誰が皇太子を暗殺しようとしているのか。
事件以降、血の気がひいたのか、一層青白くなったように見えるサイードの横顔を眺めながら、ウマルは考えていた。
タサ太守ネトプ・ルルーシュの元には毎夜、モフセン王国に入った蛮族の掃討部隊から伝令が入っていた。
サイード皇太子暗殺未遂事件から十日が過ぎたこの日は、しかし、違っていた。
「ウマルよ、お前に折り入って頼みがある」
伝令に下がるように申し伝えたあと、ネトプは、息子ウマルを呼んだ。
膝をつき
「先ほどガパから伝令があった。サイード様をガパにお連れするようにとのことだ」
「それは、賊の襲撃にあったからでしょうか」
ネトプは瞳を伏せて頷いた。
ガパに戻れと言われるのは仕方のないことだと、ウマルも思う。
「今回の掃討作戦の総大将の任は解かれ、ガパにご帰還されるのですね」
ネトプはしばらく口を
はるばるガパからやって来た作戦の総大将が、戦わずして帰るとなると、モフセンに赴いている同胞たちの士気低下は避けられない。エラム帝国の皇太子が指揮を執ることに喜んでいたモフセン王国も意気消沈するだろう。
ウマルは父が自ら口を開くまで、辛抱強く待った。
「……サイード様の総大将の任は解かない。しかし、サイード様ご本人にはガパに帰ってもらう」
「サイード様ご本人はというと?」
「タサに影武者を立てる」
ウマルの問いにネトプは即答した。
「サイード様には秘密裏にガパへと戻っていただく。そこでだ、ウマル。お前にはガパまで皇太子の護衛を頼む。非常に重要な任務だ」
ウマルは黙ったまま真っすぐに父親の目を見た。父親の顔は険しかった。
「このことは、多くの者に知られてはいけない。サイード様についていくのは身も周りの世話をする小姓とお前だけとしようと思っている。……いいな?」
ウマルが首肯するのを見て、ネトプも満足げに頷き、続けた。
「皇太子をお連れしてベモジィまで行け。ベモジィまで行けばリミムザーロ様の配下の者が迎えに来る手はずとなっている」
「リミムザーロ様の?」
内務大臣フィゲ・リミムザーロは、次期皇帝をサイードに推す派閥の長だ。サイードとベモジィ太守ハーラの婚約を進めたのもリミムザーロだという。
――そんなリミムザーロの配下の者が、ラクピと鉢合わせしたら……
ウマルの顔が曇ったのを、ネトプは見逃さなかった。
「どうかしたのかウマル?懸念があるなら申してみよ」
ウマルは父の顔をじっと見た。父親はしっかりとした眼差しをウマルに投げかけていた。
「いえ……」
ウマルは目を伏せた。
――ラクピが、今回皇太子を狙った犯人であるという証拠はない。
「この話はあなたにとっても悪い話ではないはずだ。あなたの甥であられるロンミ様に皇帝になっていただいた暁には、貴方にもそれ相応の地位が約束されるのです」
不意に、ラクピの言葉がウマルの頭のなかをよぎった。
――皇太子を殺して得をする人間……
それは、ウマルもそうだ。そして目の前にいる父親もそうだ。
――しかし、オレは皇太子を守った。そして守ろうとしている。
ウマルがサイードを守ったのは、エラム帝国とアルマリク家への忠誠にすぎない。ウマルには当たり前のことだったが、果たして父も同じであろうかと、ウマルは思った。
「父上は……ロンミに皇位を継がせたいとお思いですか?」
俯いたまま尋ねる息子の言葉にネトプはぎょっとした。
――孫のロンミが皇位を継げば……
ネトプは
「ロンミに皇位を継がせたところで、私の何かが変わるわけでもないよ。肩書が増え、領地が増え、あるいはお前たち兄弟に分け与える財産が増えるかもしれないが、今あるタサの民との暮らしに変わりはないはずだから」
父の言葉に顔を上げたウマルは、安堵の表情を気取られないように口の端で無理矢理笑みをつくった。
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