第9話 訪問者

 四人は四角い屋敷の正面から右側にあたる部屋をあてがわれ、交代でエドアルド・バジェの護衛にはつくものの、三食昼寝付きで、清潔な白いリネンの敷かれたふかふかのベッドで眠る生活を送っていた。

 朝食はパンとスープ、チーズにハム、そしてサラダがついてくる。昼食はマンサフやカレーといったワンプレートディッシュにデザートがつくし、夕食は、パン、メインディッシュ、スープにサラダだ。

 快適な寝床を与えられ、食事はうまいし、腹いっぱい食べられる。少なくともクレメンテは、マリゼラの実家にいた時からこんな贅沢な暮らしはしたことがなかった。どちらかというとベッドが柔らかすぎて身体が沈んで寝づらいぐらいだ。

 バジェの護衛は、四人のうち、基本的に二人が当たっている。それは昼も夜も同じだ。昼間はエドアルド・バジェの部屋の番と砦内の見回りを行う。夜は二階にある奥にあるエドアルド・バジェの寝室を重点的に砦の見回りをする。

 不測の事態を警戒して、素人を用心棒を雇うぐらいだ。この歴戦の元海賊にも、バイロウと同じぐらいには恨みを持っている敵が多いのだろうと、クレメンテは思っていた。

 しかし、ここ二日間は用心棒をすると言っても、賊が侵入するでもなく、崖の下で波が割れる音を聞きながら、月明かりの差し込む回廊から冬の空を風流に眺めるのが仕事といった具合だった。

 海賊時代に財宝でも掘り当てたのか、略奪の限りを尽くして財を成したのか――バジェがなんで生計を立てているのか、疑問にも思うこともあったが、それは瞬間的なものだった。自分に直接的に関係のない疑問について、根掘り葉掘り調べたがる野次馬根性を、クレメンテは持ち合わせてはいなかった。

 この赤ひげの老人は、屋敷の外に出かけることはあまりないようだった。外出の際は、四人のうちひとりは必ずついて来てほしいとのことだったが、そういった機会はなかったし、今後も永久にないのではないかと思われた。

 日がな一日、寝室か書斎に籠るか、屋敷の周りを散歩するといった具合で、老海賊は穏やかに過ごしているように見えた。




 来客が初めてあったのは、バジェの屋敷にクレメンテたちが匿われた次の日の昼のことだった。

 来訪者は、これまたクレメンテには既知の人物だった。ジョゼッフォ・バイロウの元で働いていた時に、モヘレブの港に入ってすぐ、ちらりと挨拶したことがある男――モヘレブ警察隊長、ゼラノーギ・ズィゴーだ。

 切れ長の目の奥に光る小さな漆黒の瞳は、こちらが挨拶をしながら入港許可書の提示をしても「ああ」と言ったきり、ピクリとも動かなかったことを、クレメンテは覚えている。入港許可書を確認し、ズィゴーはクレメンテの顔をじっと見た。クレメンテはその時なんだか、犯してもいない心の奥に眠る罪を暴かれそうな不思議な気持ちになって、目を逸らせたことを覚えている。警察とはこう事務的で冷徹でありながら、人の心の本質を見定めていくものなのだろうかと思った。


 この訪問者がやって来るのを、遠くから眺めていたクレメンテは、数ある入港者の中で、多分自分の顔など覚えていないだろうと思いながらも、あの漆黒の瞳の奥ですべて記憶されているような気もして、もし見つかってバイロウにここにいることが漏れてしまっては一大事になると思い、見つからないように物陰にそっと身を隠した。


「おおお!ゼラノーギ!!!明けましておめでとう!お前も新年の挨拶回りや何かで忙しいだろうによくやって来てくれた」


 顔が広くて人の弱みにすぐに付け込み、他人を自分の支配下に置きたがる、あのバイロウすら警察長と聞いてヘコヘコするしかなかったゼラノーギ・ズィゴーに対し、エドアルド・バジェは実に横柄に話した。


「おめでとうございます。また新しい年が明けましたが、例の男は相変わらずですか?」


「ああ……相変わらずだとも。業突張ごうつくばりの老いぼれが!金は死んでまで持っていけるものでもなし。黙ったままだ。それはそうと、今日お前を呼んだのは、8日に実施するオレの船の新年の出港式についてなんだが――。……ああ、もうここからは護衛は着いてこなくていいぞ。なんせこいつは天下の警察隊長様だからな!!!警察と一緒なんだからこんないい護衛はない!」


 バジェは、ズィゴーの肩を押しながら書斎に入るよう促し、扉の影に隠れていたクレメンテに向かってガハハと笑いかけた。

 書斎に入っていくズィゴーと目が合わせたクレメンテは、顔面を蒼白にしていた。つい半月ほど前にジョゼッフォ ・バイロウと一緒にいたことが思い出されはしまいか?バイロウの買った奴隷を逃したことでなにか罪に問われて突然捕まりはしないかとビクビクしていたのだが、ズィゴーの方は無表情を崩さないままだった。その表情からは、ズィゴーがクレメンテの素性に気づいたかどうかは分からなかった。


「護衛を雇ったんですか?」


とバジェに尋ねながら、書斎に入って行き、クレメンテの目の前で後ろ手にバタンと扉を閉めた。




 エドアルド・バジェとゼラノーギ・ズィゴーが何を話していたかは、クレメンテにはまったく見当もつかなかった。約一週間後の八日に執り行う船の出港式についての話だというのは分かっていたが、バジェの書斎に二人きりで籠っていたかと思うと、一時間後、ズィゴーが苦虫を噛み潰したような苦渋に満ちた表情――いや、辛酸を舐めさせられたというよりも、もっと怒りに満ちた表情だ。切れ長の目をさらに吊り上げて、憤怒を押し殺した鬼のような形相をして、ものすごい勢いで扉をバタンと開けて書斎を出てきた。その扉を閉める音にビックリして身体を震わせ、改めてそちらのほうに目線を向けたクレメンテと目が合った。


「……あ」


 クレメンテが見ていることに気づいた途端にズィゴーの表情が少し和らぐ。バイロウと一緒に港で挨拶をした自分のことを思い出されるとまずいとクレメンテが思う以上に、ズィゴーは拙いと思ったのかもしれない。


「お役目ご苦労」


とだけ言い残し、それ以降はまともにクレメンテと目を合わせることもなく、部下らしい、金糸で縁取られた紺色の立派な肩章のついた、金ボタンの白い揃いの制服を着た人物を二人従え、足早に去っていった。


 たいそう機嫌よく始まったエドアルド・バジェとゼラノーギ・ズィゴーとの新年の会合は決裂に終わったかのように見えた。クレメンテは恐る恐るバジェの残った書斎を覗いてみたが、バジェの方は平然とした表情で椅子に腰かけ、残ったお茶をひとりで飲んでいるところだった。部屋を覗くクレメンテにバジェが気づいて苦笑した。


「……やれやれ。どいつもこいつも、オレの関わるヤツは業突張ごうつくばりばかりだ。……だが」


 老人は、そこにいるクレメンテが見えないかのように、独り言を呟いた。


「ゼラノーギ・ズィゴーにとってはオレの言うことは絶対だ……アイツの首根っこはオレが抑えているんだからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る