第22話 その光景を追い求めて


「まだ、だ……」

「よせ。これ以上は手加減できんぞ」

「知るかっ!」


 身体はボロボロだというのにまだ戦おうとするリアムに、ベルナルドは冷徹に最終警告を出した。しかし、その最終警告は意味もなく、リアムが声を荒げる。


「っ!」


 その瞬間、ベルナルドの足元で膝をついているリアムの周りから巨大な氷の棘が飛び出てくる。危険を感じ取ったベルナルドは、咄嗟にリアムから距離を取ることでそれを避けた。


「……解せないな。そこまで抵抗する理由は何だ?」


 よろめきながら何とか立ち上がったリアムに、ベルナルドは大剣を構えながら問いかける。

 勝てないと分かっている敵と戦う。馬鹿げたことだと分かっていても、なぜ自分は戦っているのか。その疑問に対する答えは既にリアムの中では出ていた。


「約束が……あるんだよ」

「約束、だと?」

「ユズハと、また桜を見る……それまでくたばる気はないっ!」


 氷の短剣を投げ、リアムは雷魔法を同時に放つ。眩い雷光はそのまま真っ直ぐ向かっていくが、ベルナルドが分厚い土壁を魔法で生成し、氷の短剣と共に防がれてしまう。

 その土壁を踏み台にして、ベルナルドがリアムへと飛びかかる。


「お前が自警団に戻れば、その約束も簡単に果たせただろうにっ!」


 ベルナルドの大剣を受け止める体力が残っていないリアムは、ベルナルドとの間に分厚い氷の壁を形成した。ベルナルドの一振りで、それは容易く砕け散る。


「っ!」

「吹き飛べぇぇ!!」


 氷の壁でベルナルドがリアムを見えなくなる一瞬。それを利用し、リアムは強力な炎魔法を放つ準備をしていた。ベルナルドは空中でそれを避けることができない。リアムの叫びを共に、巨大な火柱がベルナルドを襲う。

 ベルナルドを倒せるとは思えないが、追いかけて来れなくなるほどの一撃を与えたと確信するリアム。しかし


「自警団団長を、舐めるなぁぁ!!」


 燃え盛る火柱からベルナルドが現れ、鬼神のような勢いでリアムにその大剣を振るってきたのだ。咄嗟にリアムは硬い氷を身体を覆って防御したが、受け止めきれずに吹き飛ばされる。

 地面を小石のように転がったリアムは痛みの余り、すぐに立ち上がることができない。


「く……そ…なんで……」

「お前のやり方を真似させて貰った……氷の鎧とは、存外便利なものだな」


 地に伏せたままのリアムがベルナルドに目を向ければ、ベルナルドの身体の一部が氷で覆われていることを確認できた。身体を氷で覆うことでベルナルドの一撃を防いでいたリアムのように、ベルナルドも氷を見に纏うことで火柱から身を守ったのだろう。

 ただ、完全に防いだわけではないようだ。ベルナルドの腕や足に火傷があることが確認できる。


「ユズハと桜を見ると言ったな、リアム。ならば、義賊など辞めて、自警団に戻って来い。これが最後のチャンスだ」

「っ!」


 ベルナルドの言葉に驚き、地面に腹をつけたまま動きを止めるリアム。

 ここまでリアムと争ったというのに、ベルナルドは全てを水に流してやるとも取れる発言をしたのだ。当然、リアムにとって予想外の言葉で。


「今なら、お前が義賊であることも知らなかったことにしてやる。自警団に戻って、ユズハとまた桜に見に行けばいい」

「おいおい……犯罪者の俺を許すのか。自警団団長の言葉とは思えないな」

「そんなもの知るか。町が平和になるためなら、なんでもする。それが俺のやり方だ」


 ベルナルドの目は本気だった。

 たとえ罪を犯したとしても、その者が町の平和に貢献するのならば、捕まえることはせずに共に戦う。それがベルナルドという男だとリアムは理解する。


「お前なら、ユズハと共に自警団の皆を導くことができる。戻ってこい、リアム」


 そのベルナルドの誘いは、思わず手に取りたくなるほど魅力的なものだった。全てを投げ出して、その手を取れば幸せになれる。リアムにはそんな気が不思議とした。


「……ありがとう、団長。でも、それはできない」


 だが、その手を取ることがどれだけ正しかったとしても、どれだけ幸せになれるとしても、やらなければいけないことがある。


「なぜだっ!」


 リアムからの拒絶に、ベルナルドは声を荒げて理由を問いかける。そんなベルナルドとは対照的に、リアムは穏やかな表情でベルナルドに問い返した。


「……団長、桜美川の桜を見たこと……あるか?」


 唐突なリアムの質問に、ベルナルドの理解は追いつかない。


「桜がどうしたっ!」

「桜美川の桜はこの世のものとは思えないほど綺麗だった……」

「そんなもの、今は関係ないだろう!」

「でも、それが霞むほどに……」


 あの時、ユズハと桜吹雪を見た時に抱いた感情を、リアムは告げる。


「ユズハの笑顔が綺麗だった……」

 

 ああ、そうだ。どれだけ美しい景色がそこにあろうとも、ユズハの笑顔を綺麗だと思ってしまった。どんなことがあっても、死ぬ瞬間までずっとあの笑顔を忘れることはない。

 心の奥底から込み上がってくる、優しくて暖かい感情を胸に、リアムはゆっくりと立ち上がった。


「全てを終わらせて、俺はユズハの笑顔をもう一度見てみたい」

「だからこそ、戻ってこい……! 自警団に戻って、ユズハを笑顔にしてやれ!」 

「違うんだ、団長……俺が本当に見たいのは、あの時以上の笑顔なんだよ」

「なに?」


 目蓋を閉じて、自らの胸に手を当てるリアム。その目蓋の裏側で、リアムは己が求める光景を思い描いていた。


「人攫いへの復讐とか、背負っているもの全部が無くなって、桜の木の下で無邪気に笑う……そんなあいつを見たいんだ」


「そのためなら、俺は全部を捨ててもいい……」


「だから、団長……俺はここで捕まる訳にはいかない」


 どんなことがあっても揺るがないであろう強い意志。

 そんなリアムを言葉で説得することは無理だ。それをリアムの表情から感じ取ったベルナルドは、剣を握っている手に力を込める。


「ここでお前を捕まえてみせる! そして、ユズハの前に引きずり出して、土下座をさせてやるっ!」


 未だ目蓋を閉じているリアムに、ベルナルドが一直線に駆ける。

 迫り来るベルナルドの気迫を感じ取っても、リアムの心の中はまるで凪のように穏やかだった。リアムがそんな気持ちになれたのは、ユズハの笑顔を想像したからだ。

 もう一度、リアムは目蓋の裏で理想の光景を思い描く。

 視界を覆うほどの桜吹雪の中で、こちらに笑顔を振り撒くユズハ。

 その光景を見るためなら、不思議と力が湧いてくる。立ちはだかる、どんな大きな壁だって、今なら乗り越えられる気がした。


 リアムは湧き上がってくる力を解放するように、閉じていた目蓋を一気に開き、胸に当てていた手を思い切り振り払った。

 その瞬間、絶大な冷気がベルナルドを襲った。


「っ!」


 思わず冷気から守るために顔を覆い、足を止めてしまうベルナルド。

 彼が次に目蓋を開けて見れば、まるで世界が変わったかのように大通りの景色が変化していた。


「なっ!?」


 地面は白く染まり、大通りの両端に、氷でできた立派な木が次々に形成されていく。

 まるで、その木の姿は桜美川に並び埋められている桜のようで。

 心なしか、本物の桜のように、氷桜の花びらは淡い桃色を帯びているように見える。


 壮大な光景を前にして、ベルナルドは言葉を失う。首を振り、周りの光景を確認すれば、大通りの奥先まで氷の桜並木が形成されていた。


「まさか、これは……!」


 やっとの思いでベルナルドが口にできた言葉は


「心象風景の具現化だと……!?」


 驚愕を隠しきれないものだった。

 わずかに吹いた夜風が始まりの合図かのように、氷で形成された桜の花びらがひらひらと舞い散り始める。それは、一瞬で視界を覆うほどの量へと変わる。


 文字通り、桜吹雪と呼べる光景がそこにあった。


 氷の花びらは、ベルナルドの身体に触れると体温を奪っていく。それが大量にあるのだから、ベルナルドの体温はどんどん奪われていく。


「団長……最後にしよう、これで」

「リアム……!」


 桜吹雪の中、ベルナルドからわずかに確認できるリアムは、氷の刀をその手に生み出していた。ベルナルドは震える身体に鞭を打ち、大剣を両手で握り、構える。


「「……」」


 お互いに睨み合ったのも束の間、二人は互いへと駆けた。


 そして、二人の影がすれ違う。


 重なったのは一瞬で、二つの影は再び距離を取って動かなくなった。

 氷桜の花びらが、生じた風圧で遅れて盛大に舞い上がる。


 影の一つが、音も無く倒れた。

 もう一つの影は、剣をしまった。


 氷の桜並木が終わりを告げるかのように消えていく。


「終わりだ、リアム」


 倒れなかった影の主であるベルナルドがそう言い放った。

 視界を覆うほどの桜吹雪も次第に収まっていく。そして、視界が良くなり、ベルナルドが倒れている影に近づいて確認して驚く。


「っ!」


 そこに倒れていたのは、リアムではなかった。人の形をした氷の塊が一つ転がっていたのだ。ベルナルドの一撃がくっきりとその胴体に刻まれている。


「そうか、逃げたか……いや、見逃して貰ったと言うべきか」


 ベルナルドはため息と共に言葉を漏らした。

 桜吹雪で体温を奪われ、体が満足に動かない状況で戦えば、ベルナルドといえど勝てない。冷静にそう分析したベルナルドは、リアムが自分を殺さないで確実に逃げる方法を選んだと結論づける。


「惜しいな、本当に……お前なら、ユズハと共に……」


 ベルナルドの悲しげな呟きは、夜風に掻き消された。
















「はぁ、はぁ、見逃してくれたか……?」


 逃げてきた道を見て、ベルナルドの姿が無いことを確認したリアムは、安堵と共に言葉を漏らした。彼には、ベルナルドが同じことを言葉にしていたなどと知る由もない。

 リアムは気を失いそうになりながらも必死に足を動かす。ベルナルドとの戦闘で、身体はボロボロであちこちに痛みがあり、魔力もほとんど残っていない。


「はぁ、はぁ……」


 リアムは路地裏など気にせず、最短のルートで家へと戻る。そして、桜美川の橋へと辿り着く。そこを渡りきれば、家までは目と鼻の先だ。


「っ!」


 橋を渡っていた最中で、リアムは不気味な気配を感じ取り、足を止めた。

 リアムを取り囲むように、黒い服を着た男たちが現れる。


「なるほど……隻眼の人攫いの情報の通りだな。こいつは、本物の氷結の義賊だろう。見るからに手負いのようだ」

「簡単に仕留めることができそうだな。予想以上に簡単な依頼だ」


 男たちはそう言いながら、己の使い慣れているであろう武器を取り出してくる。

 突然現れた男たち。その中には、リアムが自警団にいた頃に見かけたことのある者もいる。だからこそ、その男たちの正体もリアムは知っていた。


「町長の傭兵どもか……!」


 ゴーインが護衛として雇っている傭兵たち。それが男たちの正体だった。

 リアムが自警団にいた時、ゴーインの護衛たちは何度も見かける機会はあった。その者たちが今目の前にいる。

 イゾーと繋がりがあると取れる発言も、人攫いの親玉であるゴーインの傭兵ならば納得できる。


「俺たちの正体はバレているか」

「構わん。どうせこいつはここで死ぬ」


 人攫いの邪魔ばかりしてきた義賊を仕留めることができるとなれば、ゴーインも動くのは当たり前だ。雇っている傭兵に金を積んで命令したのだろう。


「ははっ、くそ……」


 ろくに身体は動かず、魔法も使えない。

 絶体絶命の状況で、思わず笑ってしまう。それでも、リアムはここで死ぬ気はない。


 ユズハの笑顔を見るために。


 それだけを目指して、リアムは己の刺客どもに叫ぶ。


「かかってこい……! 簡単に俺の首を獲れると思うなよっ!!」
















 それから一週間後。

 桜美川の下流にて、氷結の義賊と思われる仮面を被った死体が発見されることになる。

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